Friendshipは船と港 ~藤田くらら 小6でTOEIC980点までの軌跡~

小学6年でTOEIC980点を取った女の子のお話。中学1年での、学校体育時の事故が原因で「脳脊髄液減少症」を発症。寝たきりから「復活」の兆しが…

目標への夢遠のき「今の学校」に辿り着いた中3夏の終わり ~ 学校が決まるまでの葛藤と諦念の忘備録 ⑫

 今日は、途中まで書きかけだった娘の「学校が決まるまで」の記事の続きにやっと戻ることができました。

今回のブラッドパッチで少しでも体調好転の兆しを見せていたら、もっと早く戻れていたかもしれません。どんどん高校の選択肢が無くなり娘の心が病んでしまった頃のことを思い出して書くのは、現在が明るいものでないと中々辛いものがあります。

まずは、前記事です

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最後の希望「立命館宇治IBコース」への勉強ができないまま夏が終わる

中3夏の時点で、中1からの志望校の変遷はこんなことになっていました。

葺合高校国際科⇒神戸市の公立進学トップ校(長田)⇒葺合高校国際科⇒立命館宇治IBコース

 

しかし、肝心の夏休みも過眠や体調不良が全く改善されず、ろくに勉強らしきことができない上に「夏休みは教師を派遣して全力でサポートします!」と言っていた原籍校にも、なんと、夏休み直前の支援学校教頭先生からの申し送りも無視をして反故にされてしまい、娘は気持ち的にも「もうこれはだめだ」という諦めに似た気持ちを抱いていたことと思います。

 

結果、癌末期の激痛の緩和のためににホスピスに移った「病院のおばあちゃん」の看病のため病院に泊り込み始めた私に連れられ、8月中旬頃には京都に生活の場を移し、夏休み後半から9月12日に亡くなるまでの最期の2週間はホスピスに一緒に入り、本当に昏睡のおばあちゃんのそばで、これも昏睡したように深く眠り続けていました。目覚めたら持参の問題集などをしようとするのですが、すぐに眠くなりほとんど進みません…

 

そして、この頃の過眠は甚だしいもので、おばあちゃんのお葬式にも参列できず控室で眠り続け、お棺に献花して蓋をしてしまう最後の瞬間になってやっと飛び起きるという有様でした。 

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 夏が過ぎ去り、諦めの色が濃くなる

 

運命がかかっていた夏休みはほぼ何もできないまま過ぎ去り、娘は、原籍校にも見放されたことに加え、立命館宇治IBコース受験にも赤信号が灯り、孤独感は募っていました。

お葬式を済ませた数日後に神戸の病院に行ったときのことです。

 (抜粋)

そして、今日、神戸のこども病院に行った時のこと。

娘の身体全体からにじみ出る深い孤独と寂寥感に唖然となって、思わず写真に収めた。

 

1枚目。何もせず椅子に座り、虚ろな表情で前の床を見つめている
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2枚目は、待合の椅子のひじ掛けに、崩れ落ちて眠る

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3枚目、周りで子供が騒いでいても一人の世界の中で眠る

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本来なら、体育祭で、足は遅くともクラスメートたちとワイワイ騒ぎながら、迫りくる受験への不安と焦りを皆で共有し、初秋の爽やかな太陽の元、一日だけは底抜けにはじけた笑顔で中学校生活最後となるこの行事の一分一秒の妙味を堪能していたはずであったのに・・・

 

 このように、孤独のオーラに包まれた娘の「心の状態」も夏の時期からは、立命館宇治IBコースという目標ができた数か月前とは打って変わって非常に苦しいものとなっていました。 

  (抜粋)

昨夜は、久しぶりに一緒の部屋に寝たのだが、驚くことがあった。予想もしていなかったが、メンタル面での問題が深刻なレベルに重症化しているようなのだ。

 

夜寝る時も、電気は薄暗くつけて、「音楽」を聴きながら寝ようとしている。こんなことでは熟睡できないので、「電気を消して、音楽のイヤホンも外しなさい」と、ちょっと厳しめに言った。よく、朝までイヤホンをつけっぱなしのことがあったので。

 

すると娘は、急に嗚咽を漏らして、ボロボロと泣きながら訴え始めた。

 

「前から言ってるやろ・・・心の問題があるから、苦しくて不安で寝られないんや。

事故に遭ってからは、真っ暗が怖くて、音楽も聴いてなかったら、色んな事を考えて、悲しくて不安で心臓がどきどきして過呼吸みたいに苦しくなって息を吸えなくなるんや・・・。

だから、早く、お医者さんに診て欲しいってずっと思ってたのに、私の言ってること

真剣に聞いてくれなかったやろ?」

 

なだめても、なかなか泣き止まず、ティッシュペーパーひと箱をほぼ使ってしまった。

 

これは、私にとっては晴天の霹靂のような告白だった。過去何回か、鬱病のようになって、布団の中でずっと泣いて食事が入らない時もあったが、まさか、いまだに夜中にそんな不安に襲われているとは思いもせず、ましてや、「不安障害」「パニック障害」のような症状まで出ているとは・・・軽い「鬱」は、まだあるかもしれないとは思ったが、これは完全なる「盲点」といってもよいものだった。

 

実は先日、現在かかっている病院の脳神経科の医師から、「ここの児童精神科の先生に紹介させてください」という申し出があった。私はそれを聞いて「もう脳神経科では打つ手がないから、難しい病気がいつもそうであるように最後には精神科に回されてしまうのかな?」という気持ちもないではなかった。

 

しかし、それに異論を捉えないどころか寧ろ諸手を挙げて歓迎したのは、娘の体重減少と食欲がないことを、精神科のほうで何とか対処をしてほしいと考えたからだ。一般血液検査に異常値がでていないため、内科を始めとする他の科では何もしてもらえないとわかっていた。

 

 

 

 私の方もかなりキツイ状況にありました

  

 そして、私の方もストレスで締め上げられているような状態となっていました。

そしてある日、我慢の緒が切れ「モラハラ事件」が起こります。

私がこの人生で「娘に対して酷いことをした」ことの自覚があるとすれば、後にも先にもこの日だけではないでしょうか…

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子供の不登校 など同じ立場になったことのある親御さんなら、こうなってしまうことは理解していただけると思うのですが、この記事に対してあるコメントのようなものが来ていたのですが、思うところがあり次の記事で取り上げます。

 

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そして、今の学校が始めて記事に登場…

 

こんな状況で、立命館宇治IBコースの受験が危うくなり、「全日制の高校に通いたい」という娘の希望を叶えるために、あらゆる選択肢を探そうとしていました。 

 

(抜粋)

受験は待ってくれません。それに、どんなに進学を希望しても、どんなに潜在能力があっても、「起きて学校に行くことさえできない病気の子供」を受け入れられるところはないのです。当たり前ですが、私達には目の前が真っ暗になるような現実です。

 

それが、今まで、幾つかの高校のオープンキャンパスや見学説明会に行って、個別に相談して私が嫌ほど聞かされたことでした。

 

先週、私一人で「イエス様の愛と憐れみに縋りたい」と見学に臨んだ、最期の頼みの綱であるクリスチャン系の或る学校でさえ、「一時間目の始まる前のホームルームで、聖書の勉強をしますので、この時間に来られないという事は、残念ながら無理だと思います」と言われてしまいました。

本当に最早、娘を受け入れてくれるところはないのかと、情けない思いで一杯になっていたのです。

 

このことも尾を引いて、前記事の、娘へのまさかのモラハラ行為となってしまったと思います。弁解の余地はなく、願わくば同じような辛い状況のご両親にとっての反面教師となれば、この記事も少しは意味のあるものになるのではないかと考えます。

 

本当に、タイムリミットが近づき、絶体絶命です。受験に間に合わなくても、せめて来年の4月までに、何とか朝から起きて外に出られるようにしてやりたい。

 

そうでないと、これまで同様、同年代の子供と交われず多くの社会的体験を失ったまま一日の多くを眠り、起きれば「勉強を教えてくれる先生」や「治療をしてくれる大人の人」と会うだけの、思春期の子供にはあまりにも寂しすぎる孤独な日々が、さらに遠くまで続いてゆくのですから。

 

 下線部分のところ、実は娘の今の学校のことを書いているのです。

 

この記事が10月7日付けですので、昨年9月末に訪れていたようです。

 

勿論、娘を片道2時間もかかるこの学校の見学に連れて行くなど無理な状態でしたので、私は一人、電車に長い時間乗り、最寄り駅で下りてからまだ猛暑の京都の道を日傘をさしてとぼとぼと歩いて行ったのです。

 

 

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