昨日、9月16日は、僧侶の都合で亡き母親が3日待たされた葬儀の日であった。
昼前には準備も整い、後は1時の開式を待つのみである。
午前11時ごろに、京都自宅から車に寝かせたまま乗せて連れてきたのだが、朝食も昼食も食べずに控室でずっと眠り続けていた。
各方面からの参列者の方々と話をしていて、娘の事は頭から消えていたのだが、1時前になると、会場のスタッフの方が、「控室で眠っておられるお子様がいらっしゃいますが、そのままで大丈夫でしょうか?」と尋ねてこられた。
そこで、はっと娘の事を思い出した。急いで、控室に呼びに行くとまだこの状態である。
「おばあちゃんのお葬式が始まるで!起きて‼」と呼び掛けても、
「う~ん」と唸りまた眠る。
3度これを繰り返しても同じなので、これは脳が起きる気がないと判断し、私のみが戻る。
読経が始まりしばらくして「では、これより、ご家族の方からご焼香を・・・」のアナウンスが流れ、私の番を済ますとすかさず娘を起こしに行った。すると、同じ位置に微動だにせず眠り続けている。
「ご焼香終わるで!しなくていいのか?」の問いかけに、
「う~ん・・・」と反応もなく、3回呼びかけ、脳が依然覚醒する意志がないと判断し、式場に戻る。
そうして、御式も終わり出棺の準備に入る時が来た。参列者が別室で待機する時間に、今度こそは、と控室に戻ると、依然この状況。
耳元で、「おばあちゃんがもう出ていかはるで!起きないともう会えないんやで‼」の渾身の呼びかけが、やっと脳に届いたのか、娘は、はっと目を開けて飛び起き、Tシャツに短パン、ぼさぼさ髪のまま、式場の部屋に向かおうとした。
あまりのいでたちに、事情を知らぬ参列者をびっくりさせるといけないので、さっと制服に着替えさせ、お棺の中にお花を順番に入れるところでやっと娘の登場となった。
お花に囲まれた、お祖母ちゃんのお顔は、生き生きとして少女のような可憐さと、仏様となった高貴さを纏っていた。癌で苦しみぬいた時のやつれた顔とは別人である。
「煩悩」や「我欲」の抜けた人間の表情はなんて美しいのだろうとしばし見惚れた。
いよいよお棺の蓋を皆で閉じる段になって、あと数センチという所で、娘が手紙を書いていたことを思い出し、
「手紙入れたか?」というと、「あ、忘れてた!」と言いながら、制服のスカートのポケットからメモ用紙を何枚かがさがさと取り出し、お棺と蓋の間からポストの投函をするように落として、中にいるお祖母ちゃんに届けた。
京都東山山中にある、京都中央斎場まで葬儀の列の車を連ね到着して車を降りると、蝉時雨に迎えられた。そこで、お祖母ちゃんの肉体と最後の別れの対面をして、棺がいよいよ炉の中に消えてゆくまで、娘たち孫はその側面を手で撫でていた。
そうして、時間が過ぎ、お祖母ちゃんと再度対面した時は、白いお骨となっていた。喉ぼとけは立派に立っており、思わず小さく拍手・・・してしまった。
順番にお骨を拾い、骨壺一杯に入れて、最後に持ち帰りたい人は残りの骨からその一片を拾いハンカチに包んだ。娘が選んだのは、「脊髄」である。
娘の最近の症状は実に思わしくない。娘の脳脊髄液減少症が、1日も早く治るようにどうぞ娘の身近から見守っていてください・・・
この夜、看病をはじめてから初めて母の夢を見た。浅い眠りの時である。何かこちらにむかってぼそぼそ囁いているが聴き取れない。次の場面では、母の背中が目の前に広がった。白く肉付きの良いかつての母の背中である。癌で骨と皮になっていた背中を見ていたため意外だった。一緒にお風呂に入ろうかなぁ?と一瞬思ったが、思い直して、「父親と一緒に入れば?」というと、母親は大好きな父親に飛びついていった。私の母へのこの「遠慮」については長年の深いわけがあるのだが、それはまたいづれ・・・