昨年10月、肩の手術で入院中に子宮がんを治療中の女性と知り合いになった。
彼女は彩雲をよく見るらしい。
彩雲は幸運の象徴だそうで、彼女のにこやかな顔相を見るに、「やはり彩雲によく出会う人というのはこういう穏やかで円満な心持の方なのだろうな」と妙に納得したものだ。
かくいう私は生まれてから一度も彩雲を見つけたことがない。
まだまだ尖っている自分だと、もっともっと心の修行をしないと一生見ることがないのかもしれないな、とも思う。
神戸時代に二重虹(ダブルレインボウ)には遭遇したけれど、時々思い出しては空を見上げても彩雲らしきものはさっぱり見当たらず、最近は完全に忘れてしまっていた。
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そうして今日、2023年5月3日の昼過ぎのこと。
地元の高台に立って半ば虚無感に近い状態でぼんやりと近くにある京都の西山を眺めていた。
この数年来父と訪れた寺社はどのあたりだろうか…
大原野神社はおそらくあの辺りか?
花の寺はもう少し向こうで、吉峰はあの山を深く入ったところだろうか?
先週、苦しみの果てにやっと身軽になった父は今頃、今年はとうとう訪れることができなかった桜の名所、娘と共に訪れた数々の西山の寺社に至る急な坂を、ふわふわとした軽やかな足取りで登りながら、五月の萌える緑の木々の美しさに心を奪われているのではなかろうか・・・
と思いを馳せていたその時、
生まれて初めて見た彩雲が、
父と何度も訪れた京都西山の上に浮かんだ。
母の死後一人になった孤独感の深みからなかなか抜け出せなかった父のために、神戸から近くに居を構え、週末は娘と共に京都西山の各所に連れ出した。娘の体調が悪い時以外は、ほぼ毎週、観光やランチや買い物を共にした。
父と私と娘の3人で、何度も何度も訪れた西山。
その緑の中に潜む寺社の思い出の中には、桜や紅葉を背景に撮影をする私の前を歩く父と娘の姿が幾重にも重なっている。
「助けられなくてごめん…」そんな大きな無念さに今も涙ぐむ私に、父が西山の真上に見せてくれた彩雲。
青空に描かれた、狂おしいまでに鮮やかな七色の、父からのメッセージ。
「幸せな時間をありがとう‼」
天から私と娘への、そんな声が聞こえた。
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