2日前の火曜日、何とか父(88)を退院させ、後は幾ばくかの余命を自宅で安心して送ってもらおうと思っていた。
火曜、水曜、木曜と、妹と2人とあとは親戚やヘルパーさん、訪問看護師さんにもサポートをお願いして24時間寝たきりの父を見守ってきた。
毎日実に多くの人が出入りしてその対応だけで一日が終わる日もある。在宅医療とはこれだけ潤沢に安価で人の資源を利用させて貰えるとは、毎日が驚きの連続だ。
父はもう声を出す力がなく起きている時間も短くなり、勿論のことながら身体を自分で動かすこともできない。右肺は機能せず左肺の一部でしか呼吸ができないので大きく口を開けて苦しそうにしている。
着替えやおむつ替えなどは、本当に大変で、私は右腕が使えないので、身体全体で父を支え妹が持ちあげる。1日目にして腰と肩が悲鳴を上げた。
そんなことは覚悟の上だが、要介護5レベルの人間の世話をするのは、まずは身体が強くないとできないことを思い知る。
父の急変
今日は父の容体に大きな変化が訪れ、残された日々をしばらくは穏やかにゆったりと過ごさせてあげたいという希望は雲散霧消してしまった。
既に食べ物も水も喉を通らないが、昨日までは、氷を欲しがったので、料理の得意な妹が、宇治茶味、ほうじ茶味、青汁味などいくつか小さ目の製氷機で作って砕き、喉が渇くたびに与えた。
しかし…
今日は、自分の唾液さえも嚥下することができなくなり、呼吸も激しく喉がゴロゴロ言い出した。息が苦しがるので、2度も訪問介護の看護師さんに来て頂いたがそれでもすぐにゴロゴロ言い出す。
酸素濃度も下がってきたので、酸素の流量を2ℓと倍にして、なんとか94レベルをキープしてもらった。
今夜臨時で診療に来てくれた医師に恐る恐る余命を聞いたところ、なんと、今晩亡くなっても驚かないというレベルまで体調が悪化してしまったと言うのだ!
そして、持って1週間・・・
症状を緩和するための薬も飲めこめず口に残っているので、医師からは「もうすべての薬をやめて、点滴もせず、自然に最期を迎えた方がよい」と提案された。
医師の予想を上回る悪化
2月3日に持病の検査で偶然発見された肺の影が見つかった時は「余命6ヶ月」と言われた。そもそも、診断自体が信じられなかったが、医者は短めに余命を宣告するのが常なのだから、上手くいけば今年いっぱいくらいまでは生きられるだろうと思っていた。
それが、癌の勢いは予想を上回り衰弱は甚だしく緩和ケアに入る頃には「余命は2か月」、2週間後、退院日に緩和ケア担当医師に聞いたところでは、それでも「余命は1ヶ月」だったはずなのに・・・
退院から2日めで、「余命は長くて1週間」となってしまったのはどういうことだ?
3か月前まで、人並み以上に丈夫で元気だった88歳が、こんなに短期間で急速に命の灯を消そうとしているなんて・・・まるで狐につままれたような気持だ。
2週間前の4月5日には、緩和ケアの病室でなんとか自分で髭をそり、
足の筋肉が弱るのを嫌がって、5分ほどの起立自主練もしていた。
本当に信じられない思いなのだ…
しかしながら、もしも父の肺癌が2月3日、他の持病の検診時に偶然発見されず、脛骨転移の自覚症状が出始めた3月初旬に初めて病院に行っていたとしたら・・・余命はもっと短く感じるものであったろう。
これがターボ癌が「発見時に余命が1ヶ月」とも言われる所以なのである。
でも、退院させることができて本当に良かった。
2日前の退院時にこんな状態になっていたら果たして退院をさせる決心がついたであろうか…?
父の思い・・・退院の日まで失わなかった「絶対に家に戻る」という強い意志が最期の防波堤となって病気の進行に抗い自宅に戻るエネルギーをもたらしていたのかもしれない…
父は自分の願い通り退院をして、間もなく自宅で最期を迎えることになるのだろうが…
その時でさえも、まだ自分がこんなことになっている現実が受け入れられないままなのではないか?
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