Friendshipは船と港 ~藤田くらら 小6でTOEIC980点までの軌跡~

小学6年でTOEIC980点を取った女の子のお話。中学1年での、学校体育時の事故が原因で「脳脊髄液減少症」を発症。寝たきりから「復活」の兆しが…

5歳児による”friendship”の定義 ~小6でTOEIC980点 藤田紅良々の原点~

このブログタイトルの作者は5歳の女の子だった!



フィリピンの先生とスカイプ英語のレッスン中、教材の内容について先生が問うた。

friendshipって何かわかる?」

物陰で聞いていた私は、「大人なら「友情」って答えるよね。でも娘ちゃん、friendなら「お友達」って知ってるけど、「友情」なんていう抽象概念、日本語の語彙おそらく持ってないわ。どう答えるんだろう?」と興味津々。

そして娘はいつもの如くすぐに答え始める。

 


「ある時、お船が大きな海に航海にでました。でも嵐がやってきてお船は揺れて沈みそうになります。
そしてその時お船は波に大きく揺られてとても苦しい思いをして怖くて泣きそうになります。その時そのお船は、なら大丈夫だと思って一生懸命に戻りました。お船を嵐から守り、安全で安心できる気持ちにしてくれました。

"friendship" はこんなお船と港みたいなものだと私は思います」

 

ィリピン人先生「わ~、詩を聞いてるみたいね!私は、「friendship」のそのような意味の捉えかたをした人に会ったのは初めてだわ・・・素敵ね・・・」

 

(以上のやり取り勿論全て英語)



というやり取りを聞いていた私、雷に打たれたような電撃が身体に電流が走りました!
比喩じゃなくて
本当に、ビビビと何かが全身を走りジ~ンと痺れたのです。そして感動のあまり涙が自然に溢れ出てきました。


娘が英語を自然に身体で習得していくのを傍で眺めておりましたが、この時初めて娘の頭の中の「英語の世界」
を垣間見ることができたのです。

それは、同時に子供が一つの言語を身につける際、未知の言葉の意味をどのように捉えるかを暗示するものでした。

 

一定の年齢以上になってから、英語を外国語として学ぶ人は、「friendship」=「友情」という母語である日本語との対応を通して認識すると思います。

少なくとも中学校からの英語学習者である私にとって、fiendship,kinship, relationship, leadership, internship等の語に見られる-shipは、それのつく名詞にその「あり方」としての抽象概念的意味を加える指標としての位置づけのみで、「friendship」のなかに、実体としての
イメージの「海を航海するお船」が見えることがありませんでした。皆さんはどうでしょうか?


しかし、母語においてもその抽象概念を未だ持たない幼児にとっては、体験から感じるイメージを言語化する過程で、まずはその言語の中に含まれる自分の知っている概念(friendshipの中のfriend とship)
からイメージを膨らませ、「友達とお船」から自然に物語を紡ぎ出していました。

そこから、「friendship」 は、「お船とお友達、それを守る港、即ち、自分が困ったときに頼っていける相手、そして同時に相手が困ったときに
守ってあげたい自分」という感情を表す言葉として、脳の中にストックされたのでしょう。そして、それは、見事にfriendshipの本来の意味と一致しておりました!


幼児期において、friendshipのような抽象概念の意味獲得にshipのような具象言語の確かなイメージが確かに介在し補助的に使われていのるのを確認できたことは
大変興味深いことでもありました。



この時に悟ったのです。

それまでの幼児期は、私の不完全な英語の影響を与えないように敢えて放置していましたが、学童期に入る前後の娘の英語の獲得に私が手を出すべきかどうか悩んでおりました。

娘の英語の力が皆目見当がつかなくて、それの目安としてそろそろ英検などにも手をだそうかと思い始めてた時期でもあり、その際に、
「Friendshipは英語よ~、kind は親切よ~」というように日本語を介在させたほうが抽象語彙の意味獲得が楽で早いのではないかと思っていたのです。事実、周りの幼児英語に熱心なご家庭でもほとんどそうされていましたので・・・

しかしここではっきり答えが出ました。

 

英語の上達の如何にかかわらず、娘の純粋で詩的な英語の心象風景を損なうのは避けるべきだと。

こう決めたのは、私の趣味と美意識上の問題でもあります。実際に単語帳を片っ端から暗記させていったとしたら、どういう結果が出ていたかは定かではありません。「親子マンツーマンで毎日単語いくつ覚えて」という、きっちりした勉強で成果を出しているご家庭も多くみられますので、本当にこれは私の趣味の問題でもあると言えます。

一度このように決めたそれ以前も以後も、私は娘に英語で話しかけたり、教えることは一切ありませんでした。

 



*このことを2年前、小6でTOEC980点の際のテレビ取材のときに、各ディレクターさんに、「私がビビビときた感動的な瞬間でした!
娘が無勉で今のレベルまで来れた原点なのです!是非このエピソードの部分を取り
上げてオンエアして下さい!」と何度も言ったのですが、残念なことにどこの局にも全く興味をもってもらえませんでした・・・ 美意識の違いかな?