特別支援学校の生徒である娘。中学生活の大部分を送らぬままに、2学期も間もなく終了となります。
3学期の成績や出席率は高校入試の成績に関係ないので、3学期は自分の志望校への受験勉強に充てるべく、東灘区やお隣の灘区では学校に行く生徒も少ないくなると聞きました。
そうです、実質、中学生活は終わりなのです。受験生として志望校に向けての勉強をする機会も与えられず、未だに高校に行けるかどうかもわからない状態の娘は宙ぶらりんのまま年を越すことになりそうです。
そして、形式的に、「進路指導を受け」「調査書(内申書)」を書いて貰うために、12月末には原籍校に戻り、院内学級の生徒たちは、そのまま原籍校で卒業を迎えることになるのが慣例だそうです。その「慣例」への娘の反応がこちらでした。
普通の感性を持っている人間なら戻れるわけありませんよ・・・
「冷たい」原籍校には戻りたくない娘
事故後、度重なる、計2か月の入院中、原籍校の先生方も生徒達も、誰一人として、明石の病院まで娘の顔を見に来られる方はありませんでした。神戸市と明石市は隣接しています。
同じ病室の、中高生のところには、毎日のように先生や友達が来て勉強を見て貰ったり、学校の話で楽しそうな笑い声を上げています。娘はあまりの孤独感と疎外感のため、気持ちが一杯一杯になり、入院を続行するのが不可能になり、治療を途中で打ち切って家に帰ることになりました。(研修旅行の明石海峡を渡れなかった時の入院です)
その時から、あれだけ一人で時間を過ごすのが好きだった子供が、「一人でいること」を極度に怖がるようになり、夜も今に至るまで薄く電気をつけないと不安になるというトラウマを植え付けられてしまっています。
入院中、誰か一人でも、心ある方、先生でも生徒さんにでも来ていただけていたら、娘はここまでのダメージを受ける事はなかったのに、と今更ながら残念で仕方ありません。
因みに、娘の特別支援学校は神戸の大病院の院内学級なのですが、遠方から入院されている子供さんが多くおられます。遠路はるばる沢山の方がお見舞いに来られるそうです。
中には、遠く離れた他府県からバスをチャーターして、海を渡って大勢の、「病気見舞いの応援団」を組織してこられる学校もあると聞きました。
そもそも娘は、自分の都合で病気になって入院しているのではありません。学校内で、指導上問題のある体育の授業の中、他の生徒の危険行為により負傷し髄液が漏れたことから、このまま一生引きずることになるかもしれない恐ろしい病気を発症させられたのです。
この状況で、学校関係者が、長期の入院の中で見舞いに来ないなんて、異常としか感じられません。このような冷酷な対応をされる中で、私たちはずっと孤独の闇の中で病気の苦しみに押しつぶされそうになりながら辛うじて生き延びてきたのです。
被害者の娘に冷淡で無関心な学校内では、当然の事ながら事故後3ヵ月で娘の事故は風化し、こちらから連絡する以外は学校からほぼ忘れられたような存在となってしまいました。
私の心も切なく泣いた夏休みのある出来事
その後、私達と学校の唯一の接点となった優しい担任の先生も、事故被害者となった私たちになるべく顔を合わせたくないのでしょうか?たまに来られる際でも、何故か事前に電話で私が在宅しているか確認を一度もして頂けず、これでは滅多にお会いできるはずもなく、ポストに書類を放り込まれることが殆どとなってゆきます。
私達に会おうと言う意志が全く感じられないのです。
今年の夏休みの始まったあたりの午後、たまたま、私の在宅時に来られたことがありました。その時間、珍しく娘が目を覚ましていたので、先生にお願いしました。
「先生‼今日は珍しく娘が目を覚ましています。ちょっとだけ上がって顔を見てやってくれませんか?」
それに対する、先生の返答はこうでした。
「いや、部活の指導がありますので…」
私は、耳を疑いました。
「先生、1~2分で構わないのです。娘が喜ぶので、少しお時間頂けないですか?お引き止めしませんから」
「いや、すみません。ちょっと戻らないと…」
この日は夏休みでした。授業が控えているわけでもありません。久しく顔を合わせていない生徒に会うための数分も与えてもらえないという現実を直視することになりました。
元気な生徒達の部活や勉強(補習)指導には毎日のように何時間も時間をかけてられますが、こんなに苦しい日々を送っている、外ならぬご自分のクラスの生徒の顔を見るためには数分も割いてはもらえないのかと、拒絶を受けた際は胸が潰れる思いがしました。
そのやりとりを布団の中で聞いていた娘は(狭いマンションなので筒抜けです)、悲しみとも諦めともつかない複雑な表情を浮かべていたことを思い出します。
本来、とても優しい先生のはずなのに「学校事故で床に臥す生徒の家の敷居をまたいではいけない」などと、上から厳しく言われてでもおられるのでしょうか?この件の前にも何度か、床に臥している娘に会って頂こうとしたのですが、いつも辞退されて決して上がられる事はありませんでした。
結局、配布物を届けるためだけに来られているようだから、家に上がって娘に会ってくれとお願いしてご迷惑をおかけすることは今後決してはいけないのだな、とわかりました。
他にも色々ありましたが、私もやっと悟りました。当初、見舞いにいってあげようという気持ちを持つ先生も一人もいず、家に来ても顔を見るための数分も惜しまれるという現実。
「先生方は、健康で学校に来られる子供の相手でお忙しいのだ。体育教師と加害生徒によって廃人のようにされて、学校社会からも除外された落伍者である娘は、「一人の人格を持った生徒」としてもう何の関心も払ってもらえないのだ」
学校社会のヒエラルキーの最下層に突き落とされ、精神的にも、勉強ができないことへも、何のケアも関心も同情心も持たれることはない、いつも後回しにされる面倒なお荷物的存在となってしまったのです。
総括的に見ると担任の先生のこのような私達への接し方は恐らく学校側全体の姿勢の一つの表れに過ぎなかったのかもしれないと今は感じています。(次に続きます)
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