Friendshipは船と港 ~藤田くらら 小6でTOEIC980点までの軌跡~

小学6年でTOEIC980点を取った女の子のお話。中学1年での、学校体育時の事故が原因で「脳脊髄液減少症」を発症。寝たきりから「復活」の兆しが…

娘の心が崩壊した日

昨年2月末の学校事故後、 

 

一週間後の3月初旬の一度目の入院、4月の2度目の入院を経ても娘の起立性頭痛は消えなかった。


新学期になって、同級生の顔もろくに知らぬままの入院生活は、娘にとって不安の募るものだったに違いない。

4月の入院後試しに1日だけ、学校に顔を出したが、あまり話す人もいずちょっと寂しかったようだ。もう新しいクラスの人間関係ができ上がっていたところに、空気を読みすぎる娘が入っていくのは難しかったのだろう。そしてやはり頭痛はその日に戻ってきてしまったので娘と一緒に落ち込んでいた。

娘が目標にして、その時までには治りたいと思っていた行事が近づいていた。
中学2年生生徒全員が参加する5月末の淡路島への研修旅行だ。
しかしあろうことか、娘の願いは叶わず病院のベッドでその日を迎えることになってしまった。

入院している病院は風光明媚なJR朝霧駅からバスで山手に上ったところで、病院の窓からは見事なまでに明石海峡大橋とその向こうの淡路島を一望できる。そして、同級生たちは、その朝そのバスを連ねてその橋を渡り嬉々として淡路島に向かったことであろう。

その日から数日して、病院から知らせが入った。○○○さんが、全く食事を食べず、ずっと泣いておられます私は、仕事をキャンセルして飛んで行った。

聞かなくても理由はわかっていた。娘は、弱り切った様子であったが、私の顔を見て安心したのだろう、「一人でいるのがつらいわ・・・家に帰っていいかな・・・」とぼそっと言うとそのまま寝てしまった。その間に私は、主治医とも相談をして、娘の荷物をまとめて帰る支度をした。
家に帰ってからも、一人にしないように家族の誰かが家にいるようにした。


これまでの入院で、娘を見舞った人は皆無であった。(その後現在まで皆無であるが)
同室の中高生はいつも見舞客、特に学校の先生や友達が毎日のように訪れ楽しそうに大声で笑っていた。

そのような状況の中、この淡路島での研修旅行をきっかけに娘の孤独感疎外感は、堰を切ってあふれ出た。あれほど独立心に満ちた子供が孤独の渦に呑み込まれた瞬間だ。

その日の朝、娘は友人達があの橋を渡っている姿を思い描いたであろう。連れて行ってもらえなかった悲しみ。自分は何1つ悪いことはしていないのに、自分をこんな辛い目に合わせたあの子は楽しく参加しているのに・・・自分は、友達から忘れられ学校からも先生からも忘れられ、海を挟んで1人でいるのだ・・・弱った心に様々な思いが錯綜したことだろう。

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病室から見える明石海峡大橋と淡路島


家に帰ってからも、それまでは家でも一人で本を読んだりすることを好み、親に構われることを嫌った子だったが、「一人になるのが怖い」と常に言うようになった。ここが娘の一番の正念場だった

身長は寝てばかりいるので皮肉にもぐんぐん伸び、160センチをゆうに越した。でも体重は10キロ近く落ちて39キロになっていた。左腕にリストカット?のようなためらい傷を見つけたこともあったが、家に戻って自分の好きな空間で家族の愛情と、幼少時から苦楽を共にしてきたグッズに囲まれているうちに、鬱病患者のようだった娘の心は生気を取り戻してきた。絶望の淵から蘇ったサバイバーだ!この時以来、娘は涙を見せたことはない。

  
 ~あまりに辛いことは身体が元気になるまでは、心の奥に封印するに限るのだ~ 
                                    by 娘

 

  

 

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