娘の事故が学校で起こった時、M先生は担任でも教科担当でもなく、娘とは何のかかわりもな「部外者」でした。
しかし、1年の担任が学年末で転勤となったため、白羽の矢を立てられたのがM先生。笑顔が可愛らしい、私から見ると「大きな息子」と言えるくらい歳の離れた若い先生でした。
私の思いとしては、「ソフトムードで優しい人だから、事故被害者に寄り添う立場として担任にされてしまったのかな?」という同情心のようなものがありました…
心優しい担任の先生が損な役回りを2年もさせられて
2年生の夏以来、私が外せない用事で1~2回学校に行った以外、学校関係者で目にしたのは、たまにブリント類を持って来られる担任のM先生だけです。そのM先生も特別支援学校に移ってからは、ほぼお会いすることはなくなりましたが…
この先生、(気持ち的に)重い任務を2年も任されてお気の毒でした。なので、3年に上がる時、「2年続けて、葬式中のような暗い家庭を担当するのはお気の毒なので、他の先生に変わらせてあげてください」と、こちらから管理側の先生にお願いしたりもしたのです。
事実、とても優しい方だと思います。でも優しすぎるので、娘や私たちの立場に立って、情熱的に学校に対してものを言い、制度よりも、道義的に正しいと思う事のために闘ってくださるというタイプではないと言う印象を受けました。
事故直後の定期テストの受け方や、スクールカウンセラーの派遣など、色々便宜と配慮をしてもらえないかと伺いを立てても、窓口であったM先生はいつも申し訳なさそうに、
「お母さん、残念ですが、今までに例のない事なので…」と言う答えが決まって返ってくるので、こちらも徐々にあきらめムードになっていきました。
「スクールカウンセラーさんが来られる日に、かなり精神的に参っている「動けない娘」の所に寄ってもらえないか?」と伺ったときも、「学校外はちょっと…」みたいな雰囲気でした。
「目と鼻の先にいる、おそらく校内で一番しんどい思いを抱える生徒の所に来ないなら、何のためのスクールカウンセラーか?」と、どう考えても納得がいかず、私は、自分で学校のカウンセリングの予約を取って、直接お会いして、「学校からすぐそこに寝ている娘に話をしに来て頂くのはハードルが高い事なのか?」と伺ったのです。
すると、「たまにそういうこともしますよ」というお返事で、話はすんなり進んでゆきました。こんなに簡単な話なのなら、学校の先生の方から頼んでくれたら、こちらも楽だったのにと感じました。一事が万事です。
おそらく、M先生は、「学校の規則や慣例」に波風を立てる事を好まないタイプの方だったのかもしれん。良い方で、全く悪気はなかったとは思うのですが…
「もしも」・・・という仮定をして娘の学校生活を想像をしてみました
もしも、こんな不幸な事故に巻き込まれなければ、2年生から英語の教科担任でもあるこのM先生の英語の授業で、1年生の時のように能力を抑えつけられることも無く、のびのびと授業に参加することを許され、英語の授業を活性化して、勉強熱心なクラスメートに英語の面白さを伝えられるような、そういう充実した時間を経験できていたのになぁ、と、すでに幻となり叶わなかった楽しい場面に思いを馳せるのです。
このM先生、娘の英語の力をよく理解して下さっていました。
1年生の入学間もない頃、娘のクラスにふらっと来られた時に、「あなたが藤田くららさんですか!どんなふうに英語の勉強をしたのか、今度先生に教えて下さいね!」と気軽に声をかけてくれたのです。芦屋の公立インターナショナル中学に謎に不合格にされて以来、「学校の英語の先生」に不信感を通り越して恐怖心さえ抱いていた娘は、家に帰るなりこの出来事を大変喜しそうに私に話してくれたのを今でも鮮明に覚えています。
もしも、娘が、2年生に無事上がれて、M先生、あなたのクラスでも相変わらず図書委員を続け、合唱コンクールでは合唱指導をしながら、1年の時のようにまた無謀にもピアノ伴奏をかって出て、コンクールの結果発表の「入賞!」にクラス皆で歓声を上げて喜び、或いは落選に肩を落として泣いて・・・
英語の授業では、自分の「特技」をあなたにうまく使ってもらって皆のやる気に火をつけ、教科書も中学に入ってから初めて読ませてもらったりして・・・
そして、何が何でも行きたかったのに願い叶わず、その当日、明石の病院で精神が崩壊してしまった「5月の淡路島への研修旅行」にも皆と一緒にバスに乗って明石海峡を渡り、宿でダニに噛まれながらも、同じ野生の体験をして夜遅くまで同級生とガールズトークをして・・・
体育祭も、文化祭も謳歌して、音楽の授業で弾いてみたかった憧れのクラシックギターにも触れて、M先生の指導で更に自信と積極性を持たせてもらって、ひょっとしたら生徒会役員にも立候補していたかも・・・
このように、あなたの暖かい雰囲気のクラスの一員として同年代の子供の中で経験した諸々の事を一生忘れることのない「かけがえのない」中学校の幸せな思い出としていたことでしょう。
何よりも、あなたのような心優しく、英語を心から愛する先生に、一部の未熟な大人からは嫉妬や脅威の対象となっていた「英語の能力の特異性」を守られながら、自分にもっともっと自信を持てて、きっと今までで一番楽しい一年となっていたと思うのです。
しかし、運命は皮肉にも、優しすぎるが故に若干気が小さめのあなたに、「学校事故の被害生徒家庭の担当」のメッセンジャーボーイとして寝たきりになった娘に接するという役どころを与えました。
それは、全く適役ではなく、やはりあなたは、英語の授業で子供たちに接する中で輝く人なのでしょう。
そうして英語が大好きなあなたと娘は「英語」を介しての繋がりを持つことはもう永久に不可能となってしまったのです。
昨年1年を通して、娘の、「言葉では尽くせぬ程の」つらい、つらい境遇を一番よく知ってられたのはあなたでした。
その手から娘が離れた3年生の今、どのような感慨を持って、娘が入学したての1年生の4月のあの日、あなたが笑顔で娘にかけて下さった言葉を思いだされることでしょう?
元気で輝いていたその時、あなたが掛けた言葉に恥ずかしそうに微笑む12歳のやせっぽちのおさげ髪の女の子の姿をまだ覚えておいででしょうか?
「あなたが藤田紅良々さんですか!どのように英語を勉強したのか、今度先生に教えて下さいね!」
今日の娘の状態:昨日の昼から夜寝るまでは気分が良く、日曜に見舞客がくるためか久しぶりに自分の部屋の掃除を少ししていました。今日は、朝に一度目を覚まして、その後すぐに寝てしまい今まで目を覚ますことができないという過眠で絶不調で途方に暮れています( ノД`)…
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