今日9月12日は母の2回目の命日であり、コロナ禍ではあるが実家で三回忌が催された。
齢86歳に父にとっては、おそらく次の七回忌はもうないだろうと、自分の代での法事はこれが最後と決めているようだ。
娘も出席の予定であったが、つい2~3日前に、実家に出入りする親族の一人が職場の濃厚接種者の濃厚接種者となったと連絡が入った。PCRを受けたのだが結果がまだわからないため、娘は大事を取って家に残しておくことにした。
脳脊髄液減少症重症時には免疫が壊滅的になり、風邪でもひこうものうなら数週間は大変な思いをすることになっていた。今もまだ回復途上にあるため、念には念を入れるに越したことはない。
「残念だけれど、お祖母ちゃんはきっとわかってくれる」と、娘は家でお祈りを捧げることになった。
お坊さんが来られる前に、門からドアノブからトイレも、そして木魚やらお鈴やら仏具をアルコール消毒をして、到着をお待ちした。
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お坊さんはそそくさと
お坊さんの着換えが終わり、読経が始まるとスマホのlLINEで娘に実況中継をする。
(本当は青ではなく紫色のお着物でした)
途中で「グ~、グ~」と変な音が聞こえるのでそちらに顔を向けると、なんとなんと・・・
朝早くから用意をして疲れが出たのか、父親が居眠りをしているではないか…!
一周忌の昨年はまだ母を亡くした寂しさから立ち直れず、涙をためながらお坊さんに合わせて読経していたというのに、時が深い悲しみを癒してくれたのか…
とはいえ、くすみピンク色の風呂敷に包まれた妻の遺骨はまだ手放せないでいるのだが。
そうして、読経が終わると、お坊さんはお着換えになりながら世間話をしてそそくさと帰られた。
父は、お布施の5万円と、お菓子の包みが入った紙袋を渡して外までお坊さんをお見送りに行った
お祖母ちゃんに報告
お坊さんが帰られるや否や皆でしっかり消毒をし、やっと落ち着いたところで、本当は娘本人がする筈だったけれど、先日の神戸新聞の記事と娘のここまでの回復を母に報告した。
母の晩年の最期の年は娘の症状が一番重い時で、神戸から動けず全く会えない状況となっていた。孫娘の悲運を嘆きながらも、まだまだ元気だと思っていた母に癌が見つかったのはそんな時だった。
闘病の甲斐なく、いよいよ危なくなってきた最後のひと月は娘も京都に連れて戻り、最後の2週間は病院の家族室に泊り込んでずっとお祖母ちゃんと一緒に過ごすことになった。
これは、亡くなる5日前の写真である。もう意識は戻ることはかったけれど、ずっとベッドと畳で向かい合い、共に眠り続ける孫娘の気配を感じ、この「不憫な子」の行く末を案じていたのではあるまいか…
母の「死前喘鳴」と藤田紅良々の行く末 - Friendshipは船と港 ~藤田くらら 小6でTOEIC980点までの軌跡~
それからの娘の紆余曲折を、ずっと傍で見守ってくれていたとは思うけれど、この三回忌に丁度間に合う形で、神戸新聞の記事が手元に届いたことには何かの意味があったのかもしれない。
母が待ちわびていた孫娘の笑顔が輝く紙面を、仏壇にそっと捧げた…
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