前回の続きです。予告通り好き嫌いが別れる記事になることでしょうが「批判精神」をお持ちにならずお気楽にお読みください♪
その他の反対意見(霊的な怖さ…)
前回の「学校事故・事件を語る会」のAさんは、加害者である生徒を相手方に加えた場合の保護者の反応の怖さを言ってられたのですが、それとは全く異なる視点から、「やはり加害生徒はもう構わない方がよい」とのアドバイスを頂くこともありました。
昔から何故か、私の周りには宗教を熱心にされていたり職業にされていたりする方が多く、また最近では霊感の非常に強い方と知り合う機会も幾度か持つことになっています。
そうなのです、その方たちの何人かが口を揃えたように言われるのが、「人と対立することにより生じる念」の怖さなのです。
「逆恨みをされて、悪い念をこちらに送られたら、くららちゃんの回復の妨げになるのではないか。『生霊』は本当に怖いよ・・・」と皆心配されるのです。
「生霊・・・( ゚Д゚)!!」 信じるかどうかは人それぞれですが、生霊はともかくとして、実は、私の母親が一昨年の夏に亡くなってから、不思議なことが2度起こりました。
おそらく、唯物論者が見ても「これはもう100%霊の仕業」としか思えないくらい、もう笑うしかないくらいのあからさまなアプローチがあったのです。(画像に収めてあるので、いずれ記事にします)
娘も幽霊を何度も見ていますからね…
この娘の目撃体験より「目に見えない存在」を9割9分くらい信じるようになりました。そして、更に母からの死後の2度のアプローチにより、それが9割9分9厘9毛となりました。(非科学的にならないように1毛の余地は残してあります)
事あるごとに言っていますが、「私は自身霊感がゼロ」であり(ゼロというと非科学的になるのため「感知できないほど」と言ったほうが良いかもしれません)、自分の目に見えない事を盲目的に信じることができないタイプなのです。この数年来何度も何度も熱心なお誘いを頂きましたが、いつも丁重にお断りし、何かに深く帰依することはありませんでした。
神仏には一般的日本人レベルの関わり方で「神頼み」はしょっちゅうしています。
その前提があったとしても・・・
「目に見えないものが行う何らかの作用はやはりある」としか思えない心境へと達するに至っています。
なので、生きている人の念が何かを起こし得ることはあっても不思議ではないだろうし、そういう領域でお仕事をされているプロの方々は、「生霊」が一番怖い、とまで言われるので正直ビビっています。
この件で言うと、相手方の保護者が、例えこちらに積極的に怖い念を持たれていないとしても、「厄介なことに巻き込まれて自分の子供が嫌な思いをしている」と漠然と思うだけでも、嫌~な「気」が飛ばされることがあるそうなのです。
こちらも子供を守るためにそんなこと「気」にしてられませんが・・・
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その他「スピ系」「自己啓発系」からの反対
結局は同様な根元を持つ考えによるものですが、もう少し現実的、実用的見地からも反対意見は見られます。
「過去を振り向かず、ドロドロした気持ちは捨てて、生まれ変わったつもりで明るいことばかりを考え毎日楽しく生きてゆくことが今後の幸せを呼ぶことになる」
確かにそうかもしれません。明るい気持ちで生きていると、同じような生き方をする人と波長が合い、そういう人の輪が広がって心理的に健全な状態で暮らしやすくなるものです。
なので私も思い切って過去の辛い記憶を遥か彼方に追いやり、楽しいことばかり考え、しばらく忘れている「自分のために時間を使い、自分を愛し労わる時間」を持てば、少なくとも私自身は以前のように生き生きとできるかもしれないとは考えています。
この3年間は本当に、自分の事も顧みず、子供を不運から引き上げ幸せに生きられるようになることのみに時間と労力を使っており、それ以外の事には全く興味関心がわかない状態でした…
このブログにしても、多くの人にとっての「個人ブログ」は、ご自身の趣味であり楽しい時間であるはずですが、当初の「告発」を行っていたころはいざ知らず、現在は事件の風化に抗うために続けているものなので、白髪やシミを増やし疲労感に苛まれ確実に健康が蝕まれている状態です。既に、麻痺状態となっているので疲れているのかどうかさえわかりません。
しかし、心の中を吐露する事が心理面な癒し、カタルシス、時には高揚感さえもたらす事もありますが、一方では不特定多数の目に晒され続けているストレスは小心者の私には絶大なものがあります。正直、正体を明かしたうえでのブログは本当にしんどいです。(その一方で、温かいコメントや最後の「応援クリック」には、感動と希望と勇気と元気を頂いており、だから続けられているのですm(__)m)
なので、過去に纏わる暗い気持ちを消去してしまうこと(=ブログをやめることも含む)は、私にとっては「自分自身の人生を生きる」という上で良い結果をもたらすことになるかもしれないとも考えます。
もし現在、娘が今完治して、夜眠れなかったり一人で泣いたりせず、過去にあったことが嘘のように毎日を生き生きと生きていたならば、それも可能だったかもしれません・・・
いやいや、スピ系、あるいは自己啓発系の発想ならば、「今がどう維持状態であっても暗いものを連想させる気持ちを持たないことが良い状態を引き寄せる」となることでしょうが…
また、こんなこともありました。
神戸にいる時に度々訪問されてこられたキリスト教系の上品な女性2人組には、一番辛い孤立無援の真っただ中の時期、隣のファミレスでお茶を飲みながらの話し相手になって頂きました。こちらの悲惨な生活状態を十分すぎるほどご存じだったのですが、それでも「訴えても何もよい事はないのでは…?」と、よく言われました。
「人と争わない事を教条に掲げている宗派のため、最初から迷いは持たれないのだなぁ」と感じました。「問題体を捨て去るほうが今後の心の平安が乱されないのでは?」と思われていたのです。
このように、宗教、霊能、スピ系からのご忠告としては、「相手方をどうするか」ではなく、「訴訟自体をやめた方がよい」という結論が導かれることも多いのです・・・
皆さんこちらの状況を真剣に憂慮して言って下さっているのは痛いほど伝わってくるのですが、正直、かつてあれだけの苦しみを味わい、現在もまだ心身の傷が癒えていない娘を見ている親の心情としては、そこまで吹っ切れず、どうしても収まりきらないものがあるのは確かでした。
この記事で終わろうとしましたが、長くなったので「まとめ」は次回に…
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