Friendshipは船と港 ~藤田くらら 小6でTOEIC980点までの軌跡~

小学6年でTOEIC980点を取った女の子のお話。中学1年での、学校体育時の事故が原因で「脳脊髄液減少症」を発症。寝たきりから「復活」の兆しが…

「学校内事件(指導死)」遺族の方から教えて頂いたこと ~ 「相手方」に纏わる苦渋の日々(下)

 臨時記事が入ったため少し空きましたが、この記事の続きです。

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前回は、いかなる事故においても通常の運びとして、「加害者には当然の事としてきちんと自分の過失に向き合ってもらうべきだ」という多数派のご意見を紹介しました。

 

「罪」とまでは言いませんが、自分が脚を出した結果、他の人間がこんな事態になってしまったのは紛れもない過失です。交通事故でもドライバーが交通法規を守り普通に運転していても、急に飛び出した子供やよろめいて急に道に倒れ込んだ老人をひっかけたり、小さな子供が車の下に潜り込んでいるのを気づかずに轢いてしまっても、ドライバーの過失責任は免れることはありません。

警察が入ることで事故が成立して、過失割合が決められ、例外なく賠償の義務が生じるのです。

 

娘の件に関しても、こんな大事になってしまったのは双方不運だったとは思いますが、きちんと過失を認めて速やかに個人賠償責任保険を使って頂くべきだったと今でも思っています。

 

しかしながら、そのようなことを十分理解された上で、ある方から「敢えて、加害者を相手側から外した方が良いかもしれない」とうご意見を頂いたのです。 

 

 

「学校事故を語る会」のAさんの考え

 知人の知人の更に知人という方に、かつて小学生のお子様が学校内で起こった事件の被害者となった方がおられ紹介していただきました。


電話をして初めて子供さんが亡くなられた事を知り絶句してしました…

 

教師の体罰が原因で小6の息子さんが自死されてしまった遺族の方です。案の定、責任を認めない教師、学校、教育委員会、それを統括する市との争いとなり、かなり長い期間訴訟をされた過去をお持ちです。メディアにも出演されたこともある有名な方でした。

 

現在も「学校事故を語る会」のメンバーとして被害者救済のために活動されていますが、今回は、本当に偶然のご縁から、私たちの体験を聞いていただけることとなったのです。

 

学校事故というものを知り尽くしているAさん、とても落ち着いた穏やかな方ですが、一言一言に重みを感じます。2時間近く、じっくりとお話をして頂けたのですがその中で、強調されていたことを幾つか挙げます。

 

訴訟は裁判所との闘い

 

Aさんは何度も「訴訟と言うのは、実は『裁判官との闘い』と思っておいた方がいい」と断言されていました。確かに今までお会いした法律に関わる方全てが「裁判官により判決が180度変わる」と言われるようにが、これは本当にその通りなのでしょう。なので被害者である私たちは、学校(教育委員会)、加害者、に加えて裁判官も場合によっては敵になってしまうのです。 

 

これは、現在行っている「毒部屋案件」の調停をすることで「あぁ、なるほど」と実感を得ることでもあります。理解力のない裁判官なり調停員は、相手方の虚偽に満ちた「たわ言」を真に受けてしまい、下手をするとそのまま相手が勝つことになってしまう事も起こりえます。或いは、最初から体制側に付く裁判官もおり「初めから判決ありき」みたいなことも大きな案件ではあると聞いたこともあります。

 

被害者側が第一審に大きく勝って、相手が控訴して第二審になって同じ証拠や提出書面を見ても、裁判官という同じ職にある人が正反対の判決を出して、結果、大きく負けてしまうのは珍しくありません。このような被害者の立場に立とうとしない裁判官に当たろうものならその訴訟は非常な困難を極めることになります。

それが、「訴訟は運も大きい」と言われる所以なのでしょう。

 

こちらに不利な考えや心情を持つ裁判官に当たってしまうことは、既に満身創痍になっている被害者には本当にキツい問題であり、Aさんはこの時の被害者側にのしかかるストレスの大きさを大変心配されていました。

 

そして更に学校事故特有の難しい問題があるのです…

 

 

「子供」を訴えるという事のリスク

 

Aさんの訴訟の場合は相手方は大人(教師、学校、教育委員会、市や県)でしたが、私達のような子供が相手となる場合に被害者側に襲い掛かる更に大きな心理的圧迫にも言及されていました。

 

子供を訴えることは、その親との全面的闘いとなります。現時点で責任を取ろうとしない親は通常、自分の子をあらゆる手段を駆使して守ろうとします」

 

「だから、こちらの負担を減らすためには、訴訟の相手方にはせずに、示談弁護士を通して話をつけるほうが望ましいかもしれません」

 

「つまりこういうことです。加害者の子供に対して、示談を用いずに訴訟という一段レベルの高い争いの俎上に載せるのであれば、相手方から受ける圧力もそれだけ大きいものになるのです。全力で来ますからね」

 

教師、学校、教育委員会、市、県、裁判官を相手にするだけでも大変です。その上、更なる最も厄介な負担を抱え込むことを考えたら、相手方は教育委員会の系列のみにして加害者は敢えて外し示談に持ち込むほうが負担が遥かに少ないのではないか・・・というご意見だったのです。

 

「学校や教育委員会を相手に訴訟をするというのは想像を絶する大変さがありますよ。組織を守るためには信じられないような酷い嘘や隠蔽も平気でしてきます。これが何年も続くことを考えてください。その上加害生徒もとなると身が持たなくなりますよ…」

 

Aさんの場合、当然のことながら私たちより遥かに大きな事件でありました。しかし、共感や支援と同様に、学校側の緘口令、隠蔽、非協力姿勢は勿論の事、息子さんに暴行をした教諭や学校を擁護しようとするPTAや地域住民の存在があったりして、孤立に追い込まれたと言われます。

 

Aさんは、当時公立中学校の先生をしておられ、本来は学校や教育委員会から守られるポジションにある方です。それが、「被害者側」になると、周りは一斉に背を向けてしまう・・・そんな事が起こるのが「学校事故」の恐ろしいところです。

 

以下は、新聞取材を受けられた時のAさんのお言葉です。 

遺族の孤立
 遺族は声を上げることができない。地域でボロボロにされるから。子どもをなくすだけでなく、事実に向き合わない教育現場に傷つけられる。孤立したまま、PTAや地域を相手し、夫婦関係の悪化や家族離散、失職にまで追い込まれる。
 長男の事件当時も同じ。かん口令で関係者が全く話さなくなった。提訴前も「やるべきじゃない」「学校のせいにして勝てなかったらどうする」と言われたが、教育現場がどうあるべきかを問い正したかった。
 事件後、同じ境遇の遺族と出会った。子どもを失った遺族がなぜ地域で苦しまなくてはいけないのか。顔を上げて生きていこう。それが「兵庫学校事故・事件遺族の会」を結成した原点だった。事件から18年。当事者の遺族が語り続けたことで、遺族が言うことが「本当かもしれない」と聞いてもらえる時代になったと感じる。まだまだ入り口だが、やっとここまで来た(2013年3月5日 読売新聞)

 

              

学校が因果関係を認めないことから提訴。 結局5年がかりの訴訟となり、全国初の教育現場での体罰と子供の自殺との因果関係を認めた判決となったのです。

 

 事件の重大レベルは違ってもAさんは、私たちが学校事故の被害者であるのに、加害生徒を相手方に加えることによって生じ得る「二次被害」のことを予測し心配して下さっていたのです。 

 

当時の私たちと言えば、神戸では「新参者」であり「よそ者」。一方加害生徒家庭は地元でも学校やPTAでも認知度の高い方々です。現に原籍校のPTAではこの件は取り合ってもらえませんでした。

 

思えば、神戸に住んでいる時は怖くて訴訟の話などは持ちだせず、生活圏まで変えてびくびくしながら生活していましたね…

明らかに私たちは地域社会から疎外された「弱者」の立場だったのです。

 

Aさんに心からじっくりとこの上なく親身に語り掛けていただき、「これは全くもってその通りだ」と感じずにはおれませんでした。(Aさんには深い感謝と尊敬の念を持ち続けております)

 

この時点で気持ちの指針は一気に「示談にする」ほうに振れることになります。

 

そして、近い時期に更なる「反対派」の意見も届いていたので、それは次回に書こうと思います。

「好き嫌いが別れる記事」になると思いますのでそのおつもりで…

 

 

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