2021年の1月5日、娘は京都の大学病院で「精神面の治療」を始めました。
一番辛いのはお風呂の時間
このことは既に何回かブログの中で書きましたが、問診で女性医師に一番しんどいと訴えていたのはやはり、「数学の時間」、そして「お風呂の時間」でした。
お風呂が怖いことは何回か記事にも書きましたが、今もそれは変わらないのだそうです。
この年頃の女の子は、お風呂は毎日でも入りたいのではないかと思うのですが、娘にとってはお風呂は今でも憂鬱な時間なのです。
長期の休みには本当に限界値のまで入りませんので、頭とかかなり汚くなってしまい、そこで無理に入らせます。
単純に体調が悪くて、夜になると風呂に入る余力が残っていないことも多々ありますが、それに加えて気が進まないのです。
学校に行っているときは、3日くらい空くと私が尻を叩くように
「そろそろ入らんと臭くなるで~」
「フケがかなり発生してるで~」
「友達が寄り付かなくなるで~」
と声掛けをすると、「うん…」と大人しく入りにいくのですが、烏の行水のようにすぐに上がってきます。
もともと自立心に溢れた、人の干渉を嫌い、自分一人で過ごすのを好む子なのですが、
お風呂の空間はすごく不安になると言います。
特に、頭を洗う時の シャワー
診察室で女性の先生(今後K先生と書きます)が、
「シャワーの時、どんな風に不安になるの? その時の場面とかが蘇ってくるの?」
と娘に問いかけると、
「場面というよりもどちらかというと、その時の重くて苦しい気持ちが襲ってきて苦しくなって、涙が出てくることもあります」
と答えていました。
ブログを初期から読んで頂いているかたはお分かりだと思いますが、この場面の記憶です。
今でもこれを読むとしばら く暗澹たる気持ちになってしまいます。13歳の罪のない子供の心をよくもここまで追い込んで知らん顔ができたものだという怒りも蘇ります。
(学校関係者が3か月の間に誰か1人でも病室に娘の顔を見に来てくれていたら、ここまで追い込まれることはなかったのです)
この日を境に、娘は精神的に弱り切って食事が喉を通らなくなり、166センチで39キロにまで体重が落ちてしまいました。
この日の診察での収穫なのですが、娘がK先生との対話の中で、今の自分の不安を説明しうる大きな根源というべきものが、このM病院入院中のシャワー室にある、と自分ではっきりと認識できたことでしょう。
「事故の後、すごく悲しくて悔しい気持ちはあったけど、学校の淡路島の旅行に私もみんなと行けたら『全てを水に流そう』と思って治療を頑張ってきました」
「でもそれは無理だとわかって…私の入院している明石の病院から明石海峡…大橋?が見えるんです。そこを友達を載せた学校のバスが渡っていった日の朝から、心がおかしくなってしまいました」
「ベッドの中で涙が止まらなくてずっとふとんを被って声を出さないように泣いていました。その日のシャワー室で、外に声が聞こえないようにシャワーを一番強く出して、しばらく号泣しました」
「その日から今もずっと、1日も不安が消えません」
このように、K先生との対話の中で、娘はこの3年間で初めて自分の口から「心が砕け散ってしまったあの日の記憶とその思い」を私以外の人間に語ることができたのです。
それまでずっと診察室では「娘の代弁者」として過ごしてきた私は、今回、事故当事者である娘が初めて診察室での主役となり、自分の心身の傷に向き合う覚悟をした姿を、傍らで黙って見守っていました。
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