担任に託した手紙
2018年2月28日、雨でぬ濡れた校庭で、担当の体育教師が不在の中で起こった事故。
翌日から頭痛を訴え、2日目、「頭痛くて立っていられない」と卓球クラブを早退してきた時に起立性頭痛だと気づき、翌日、専門病院受診の手続きを始めたと思います。
事故から1週間経たずの入院でした。
娘が無事入院し治療が始まって後、その時に考えたのは、「学校が大好きだった娘が『不登校』だと思われるのは辛いだろうな」ということ、そして、「クラスの友達にも、娘の欠席の原因を伝えることが必要だ」ということでした。
加害生徒は当時同じクラスで、「自分が原因だ」とはっきりわかっている状態でしたが、自分からは誰にもそのことを言っていないことが窺われました。
なので、その生徒を傷つけない範囲で、周りに事実を認識してもらうことは娘の心情を考えると避けて通ることはできないと思ったのです。
そして、クラスに向けて読んでもらうための短い手紙をしたためて、担任に届けに行きました。
1年1組の皆さん
娘、藤田くららは、先日2月28日の体育時に発生した事故で腰を強打した結果、翌日から強い頭痛を始めとする髄液漏れの症状が見られました。
現在、既に入院をして初期治療に当たっていますが最低2週間の入院となり、退院後も安静とその他の配慮が必要な状態となります。
娘は一日も早く大好きな学校に戻り、皆さんと楽しい時間を過ごすために治療を頑張ると言っております。
学校に復帰したら、授業中に水分を補給したり、重いものを持つことを避けたりするように医師から言われていますので、皆さんのご理解とご協力をよろしくお願い致します。
藤田くららの母
藤田○○
担任は、手紙をちらりと見るなり、実に嫌そうな顔を歪めながらこう言いました。
「事故ぉ~?」
「はい、事故です。勝手に一人で転倒したのではありません。それにより髄液が漏れたのです。骨折よりも深刻な事が身体の内部で起こって長期の入院が必要なのですよ。娘のために伝えて頂けますか?」
「全部読むのは何ですから、私が必要な部分を口頭で伝えてもいいですか?」
「できれば、手紙を全部読んで頂きたいですが・・・」
「それはできるかわかりませんが、私の方から何らかの形で伝えておきます」
「必ず伝えてくださいね。娘は学校に来たいのに休んでいることを皆に知ってほしいと言っていますから!」
というようなやり取りがあり、手紙は担任が預かることになりました。
間もなく不登校だという噂が・・・
この手紙を届けたのが3月中旬、そして、翌年度この担任は移動の転勤となり、この学校から姿を消しました。目の前の霧が晴れたような気持がしましたが、娘の病状は度重なる初期段階の治療に関わらず、悪化の一途を辿りました。
そんな折、娘の状況を知るある保護者が教えてくれたのです。
「くららちゃんが不登校だって噂が立っていて、私も聞かれたんだけど、どこまで答えたらいいかな?」
不登校が悪いわけではないのですが、娘の場合、学校に戻りたくても戻れない状況なのです。なので、こういう噂は、娘にとって本当に不本意であり、絶対に知らせたくなかたのですが、後に知ってしまう事となります。
私はこの保護者に答えました。
「私は、初めから何も秘密にすることなんてないよ。全て伝えて貰うのが娘には一番いいけど、あなたが言えるところまで言ったらどう⁉」
娘が不登校だという根も葉もない噂が広がっていることを聞かされた時、後ろから殴られたような気持になりました。
そして、この保護者に対してはらわたが煮えくり返る思いでした。「よくもこんな事を私に対して聞けるものだ」と。
お気づきでしょうか?
この保護者とは、他ならぬ、娘を地獄に突き落としたあの生徒の母親なのです。
本当なら、
「誰かに聞かれたのなら、自分の娘の危険行為が原因でくららの髄液が漏れて大変なことになっているのだと答えておけよ!」
と言いたいところでしたが、怒りを抑えました。
やはり担任は隠蔽していた
このような形で加害者親から神経を逆撫でされたわけですが、まぁそれはいいのです。
この時、よぎった不安が現実となりずっと娘の心を苛むことになりました。
担任は、もしかしたらクラスの生徒に対して何も伝えてないのだろうか・・・
でも、当時の同じクラスの子には直接聞いていないので確信がもてないまま年月が過ぎ去りました。
入学当初から担任以外の先生方には可愛がられ友達も沢山いたのに、誰一人尋ねてくれない娘の部屋は、まるで大海の孤島のような孤独感が渦巻いており、その中で娘の心は徐々に壊されていきました。
先生が誰も来ないのは、校長の指示或いは暗黙の了解でしょう。学校事故後の学校側の対応はほぼこういう事になるのだと後にわかりました。そして、先生方はそれに異を唱えることができないことも。
しかし、友達が来ないのは、「藤田さんがある日突然学校に来なくなったのは、やはり不登校なんだ」と思われ、どう接したらよいのかわからない生徒さんが多かったのではないかと思います。担任が事故後すぐに手紙の内容を伝えてくれていたらそんな事は起こらなかったでしょう。
2年の担任もこういう言い方で伝えていました。
「藤田さんは、やむに已まれぬ事情で学校に来たくても来れないのです」
これって、まるっきり心の病だと思われませんか?
生徒のほうもわけがわからないまま、時は過ぎてゆき、娘との距離はだんだん離れていったのです。
Revelation~そして嘘と隠蔽が露呈した
3年の冬、突然友達が数人で尋ねて来た時の会話から、「この子たちでさえ、娘に何が起こったか全く知らないのだ」と確信を持ち、次に来てくれたこの日に、意を決して娘に起こったことを全て話しました。
皆一様にショックを受け、泣いている子もいました。(この日の事は上の記事に詳しく書きました)
そして、私にとって何よりも衝撃だったのが、この中の一人の女の子、3年間娘と同じクラスで、担任が運んでくる課題の入った封筒によく可愛いイラストを沢山書いてくれていたこの子がはっきりと断言したこの言葉でした。
「先生からは一度もくららが何で学校を休んでいるのか聞いていません」
3年間皆勤賞の生徒が言うのだから、これ以上確かなことはありません。
これで、あの事故の後に担任に渡した手紙は隠蔽され、それどころか「自分から話をする」と言った約束も果たされなかったという事がはっきりわかりました。
そして、この担任は去り、2年からの新たな担任も上からの圧力が強かったのでしょう、決してあの日の事故の事は生徒達に語られることはありませんでした。
娘の味わった筆舌に尽くしがたい苦しみの日々は、中学校という組織の構成員一人一人の協力と服従により、まさしく闇の中に葬り去られてしまっていたのです。
最初の事故時の校長は、翌4月には教育委員会に天下りしています。そして次に来た校長は、「3年の夏休みに勉強を手伝うために先生を寄越す」と言って嘘をついた人物ですが、引継ぎの時、先輩校長からしっかりとこんなことを言われたのかもしれません。
「藤田くららの事故の事は、決して表沙汰にするな。わかってるな!体育時の事故だ。ちょっと転んだくらいで重症になりやがって。英語ができても身体の弱い奴は自然淘汰されるんだよ。それよりも、わしらの後輩の体育教員を守ってやらなければならない。あれらはわしの期待に応えて生徒を厳しく鍛えとるわい。わしも、お前も体育科だ。わかるな、水泳の事も、靴下の事も、マラソンの事も、決して保護者に妥協して規律を緩めるなよ。
あの藤田くららの事故が表沙汰になれば、体育時のわしらの不手際が世間に知られてしまう。わかるな、わしが規則づくめで維持してきたこの城を守るのはお前の番だぞ。生徒一人くらい潰れても死んでも構わないんだ。組織を守ることが大事なんだぞ。最後まで隠しとおせたら、お前の天下り先もわしら体育科派閥で何とかしてやるからな、安心せい!」
学校という組織が意思統一をすれば、一人の生徒の痕跡を消してしまうことなどたやすいことだったのです。
私は、お前たちが一人の罪のない子供を潰したその汚いやり方を決して許さない。
首を洗って待っておけ!
終
♡書きたかったことを書ききりました。脱力感・・・。明日、ご挨拶をしてブログ第2部終了とします