Friendshipは船と港 ~藤田くらら 小6でTOEIC980点までの軌跡~

小学6年でTOEIC980点を取った女の子のお話。中学1年での、学校体育時の事故が原因で「脳脊髄液減少症」を発症。寝たきりから「復活」の兆しが…

全ての「活躍の場」を奪われていたと知った日 ~ TOEIC980点の子供が公立中学の授業を受けるという事⑨

担任であり英語担当である故、文字通り娘のこの中学校での運命を握る人は、最初から娘のことを否定的に見ていたのだとわかりました。 

最終回です。

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二種類の大人

 娘のテレビ出演を見て「こんな方法で日本にいながら勉強せずに英語の習得をした子がいるのだ」と、知った時の人々の受け取り方は二通りでした。

 

好意的に或いは興味津々に受け止めてくれたのが大方の人でした。

 

しかし、おそらくは「妬み」からコメントなどで嫌がらせの感情をぶつけてきた人もいました。それは、容貌や人格への攻撃にまで及びました。

 

そして、1年時の担任の娘への態度を決定づけたたのは、この人が紛れもなく後者であったからという単純な話です。でも、教育を受ける場所でそのような私的制裁のような感情をぶつけられては子供もたまったものではないので、そこは周りの大人がきちんとした環境を取り戻すべく動いてやらねば、子供の心が潰れてしまいます。

 

親である私は、テレビ出演であまりにも目立ってしまったため、この学校では目立つのを恐れ、最後まで介入しなかったことがこの先生のパワハラを助長してしまったのかもしれません。

 

 幸いといいますか、この先生は学年末になると他の生徒さんへもパワハラ行為があり保護者さんと揉めておられたと聞きました。それが原因?か、2年では職場移動になり心からほっとしたのですが、それがわかった時、既に娘は布団から起き上がれない状況になりつつあったのです。

 

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学校も娘の英語力には冷淡だった

 

娘の英語を延ばしてやろう、与えられなかった活躍の場を作ってあげようとしてもらえなかったのはこの学校の体質もあったかもしれません。

 

娘は、私の知り合いを訪ねた台湾旅行を小5の時に10日ほどしただけで、英語圏には行ったことはありません。なので、中学に入学後、神戸市の姉妹都市であるオーストラリアの「ブリスベン」への中学生使節団のオーディションがあることを知り、喜んで応募しようと思いました。

 

しかし、学校からそれを止められました。何故なら、娘は1年生だからだそうです。2年、3年に希望者がいたら、どれだけ飛びぬけたがあっても応募は許されませんでした。果たして、応募者があったのかどうかはわかりません。

しかし、娘は初めから除外されていました。

 

この「年功序列」はこの学校だけの決まりかもしれませんが、後に娘が学校事故で応募する機会を失ってしまったことを思うと非常に残念なことでした。

 

全ての部活では、実力のある1年生は中心選手として特別練習に参加させてもらい試合でも活躍しているのを見ながら、何故英語の分野ではだめなのか?と疑問には思いましたが、素直に学校の言い分に従いました。

 

しかし、これとは別に知らぬ間に許せないことが起こっていたことが後でわかりました。

 

高円宮杯スピーチコンテスト

 

言わずもがな、読売新聞社主催の中学生最大権威ある全国規模のスピーチコンテストです。

 

入学当初の面談で、担任の娘への黒い感情を知らなかった私は、こんな話をしていました。

「公立の某芦屋国際中学に酷い落とされ方をして、失意の中でこの学校に来ました。娘が自信を取り戻すために、英語の留学の募集やスピーチコンテストがあれば、是非教えてやってください!」

 

そして、安心して任せていたのですが、気が付いた時には高円宮杯スピーチコンテストの応募締め切りは終わっていたのです。

 

大会事務局から予め学校に応募要項が毎年配られ、私学でも公立でも英語の教師なら知らない筈のない有名な大会です。

 

こういう学校をあげての大きな大会の場合、普通は先生の方から英語の得意な生徒に声をかけるようです。英語教師とALTの外国人講師の協力の下、マンツーマンでスピーチを特訓して仕上げ、学校の代表として市や県の予選に出て、そこを通れば全国大会に出場です。

 

帰国生は出場できないため、娘にとっては大きなチャンスだったと思います。後に、入賞者たちの動画を見ましたが、客観的に見て、予選を通り全国大会にはまず行けていたことでしょう。

 

参加資格の一番上にこう書かれています。

 

「日本の中学校に在籍する生徒で、学校長が推薦したもの」

 

なので、1年でも当然に出場資格があります。実際、1年生も沢山出場しています。全国規模のコンテストなのですから、学校側も実力のある生徒を選ぶのが当たり前なのです。複数参加も可能だと思います。

しかし、結局担任からは、知っていた筈なのに、ついに娘のほうに声をかけてくれることはありませんでした

 

私は担任を信用しきっていて、まさか、こんなに重要な大会を娘に知らせないでおくことは考えてもみなかったのです。

そして、担任からの声がなかなかかからないので「スピーチコンテスト、まだ応募が始まってないのかな?」と思ったら、既に終わっていたという顛末でした。

 

この先生が、初めから娘に声をかける気がなかったのか、体育科の脳筋校長が推薦したくなかったのかはしれませんが、とにかく、誰からも声がかからなかったのです。

こちらが面談で声を大にして頼んでいたのに・・・

 

非情に残念でしたが、事を荒立てることなく、娘にも「2年では絶対に出場しよう!」とこの年は涙を呑んだのです。それが最後のチャンスであったことは知る由もありませんでした。

 

 

これだけではなかった・・・

そして、もうひとつ、故意にスルーされていた英語の大会があったことが2年時の冬に発覚しました。

 

それは、神戸市で毎年開かれる「学校対抗のディスカッション大会」です。

学年に関係なく、生徒2~3人の希望があればチームを組んで、これも英語教師とALTの協力の下に練習を重ねて大会に臨めるのです。

 

こんな大会があると知ったのは、2年生の冬の頃でした。その時娘は昏睡状過眠の真っ最中でしたが、その時の担任(別の人)から、突然こんな申し出がありました。

 

「くららさんも一緒に参加させてあげたい気持ちです。生徒が2人希望していますので、くららさんもメンバーに入れていいですか?実際に出るのは難しいと思いますが、ここに連れてきますので、監修として、生徒たちのスピーチをくららさんに時々聞いてもらって直して貰えればと考えています。」

 

その時、まだブログも始めず孤独の真っただ中にいた私達でしたので、それは私にとってはとても嬉しい申し出でした。

「ありがとうございます!娘がきっと喜ぶと思います。出場される生徒さん達のお力になれるよう頑張ると思います。ただ、なかなか目を覚まさないので、来られる前日に教えていただければ、夕方になんとか覚醒できるように試してみますので宜しくお願いします!」

 

娘が目を覚ました時にそれを知らせると、寂しい中にも嬉しさを感じていたようで、「私にできるかな?目が覚めなかったらどうしよう・・・でもみんなが来る日は頑張って起きられるようにするわ」とにっこりしていたのです。

 

そして、毎日毎日、先生からいつ連絡が入るかと待っていたのですが・・・待てど暮らせど、何の音沙汰もありません。

娘も徐々に不安そうに聞いてくるようになります

「まだ、来ないのかな?みんな頑張って練習してるのかな?…」

 

そして、大会1週間前くらいになった時くらいに、「これはもう来ないな…」と悟ったのです。

 

そうして、何もないままに大会が終わったようで、その後、先生が来られてこう言われました。

「くららさんの所へは来れませんでしたが、大会を運営する団体(教育委員会?)と話し合って、闘病を続けるくららさんに「努力賞」をあげようということに決まりました。」

 

私は、もう呆気にとられました。

娘は、皆が来てくれて少しでも「人の輪」に加われることを楽しみに待っていたのです。不運のどん底の可哀そうな状況にいる子供に突然あんな期待をさせておいて、音沙汰なしだったのです。そして、全部終わってから「賞をあげます」なんて、どれだけ人を馬鹿にしているのでしょう? この人たちは、娘がどれだけ落胆していたか想像がつかないのでしょうか?

 

なので、こう答えました。

 

「お気持ちは嬉しいのですが、少しの参加もしていない人間が賞を頂くのは不自然だと考えます。それは娘も同じ気持ちだと思います。」

「おそらく、それを朝礼か何かで全校生徒の前で受賞を発表されるのだと思いますが、それは娘にとっては全く嬉しい事ではありませんので辞退させて頂きます、といいますか絶対にやめてください」

 

既に、人生を滅茶苦茶にされている娘の心をこれにより更に傷つけられたことで私も相当腹が立っていましたが、同時に、こんなことを朝礼で言われて、記録にでも残されたら、たまったものではありません。

「学校側は、この傷ついた生徒のためにできる限りの心遣いをしていた」 

みたいな美談まがいの偽の実績を学校側が作り上げることになるので、心情的にはそれは許せないことでした。

 

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結局、全ての英語活動から排除されていた

 

とまあ、こんな風に2年の辛い時期に更に娘が悲しい思いをしたのは事実ですが、正直、これは別にいいのです。

 

恐らく、気の良い2年の担任の先生(この人も英語担当)が、一度は心から「くららさんを参加させてあげたい」と思ってくれていたのは事実だと思うのです。

 

何しろ、こんな先生ですから☟ 

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しかし、それまでも、その後も、届け物をするこの担任以外の先生が一人として「学校から徒歩一分の娘のいる家」に顔も見せず、担任も絶対に上がろうとしなかった事から察するに、娘の所へ英語ディスカッションコンテスト参加者の生徒さん達を連れてくることは管理職に止められたのだろうと思います。

 

状況を考えればこの先生も辛い立場にあったのかもしれません。優しいですが、気の弱いイエスマンですので、管理職に抗うなど到底無理な事だったでしょう。とにかく、事故後、一切の教員は、被害者家庭に行ってはいけない、そして謝罪まがいの事をしてはいけない、という空気があったのは確かですから。

 

この話から何が言いたいのかというと・・・

 

娘が元気だった一年生の時、何故あの担任の英語教師は、この神戸市中学校対抗ディスカッション大会」があることを知らせず、声もかけてくれなかったのだろうか?ということです。

 

当時の1年生では、ディスカッションが大得意の娘は勿論の事、英検2級で会話も上手な友達もいて、声をかければすぐに応じてレベルの高い参加チームは作れたことは間違いありません

 

そして、この年は、後で聞いたのですが、上の学年の誰も出場していなかったらしく、それなら尚更、娘が出場できない理由など何もなかったのです。

 

どう考えても不可解です。ここまで露骨にされたらどんな馬鹿でもわかります。 

 

要するに、初めから娘の存在を全否定していたこの担任は、無意識なのか故意なのか、とにかく娘に活躍の場を与えないように、在学中の英語に関する全ての出場機会を知らせず、或いは理由をつけて反対して(英語教師の中では権力あり)、全て握りつぶしていたと思えて仕方がないのです

 

その後、中・高の色んな先生と話をする機会がありましたが、「娘さんという強力な武器が手中にあるのに英語の大会に出そうとしない学校があるなんて考えられない。もしクラスにそういう生徒がいたら普通は真っ先に声をかけて出てもらう。それが学校の名誉にもなるのだから校長も反対する理由などないだろう…」と皆おっしゃっていました。

 

こうして娘は、他の学校や先生の元では可能であっただろう、自分ならではの成長の軌跡を何も残すこともなく、この中学校生活から文字通り「永久的に葬り去られる」ことととなったのです。

 

 

以上、

これが、質素な生活で親は大してお金をかけてやれない中、古いペーパバックに集中し何度も読み返して、ほぼ自力でTOEIC980点を取るまでに「英語と一体化」していた純朴な子供が、公立インターに落とされた後、地元の公立中学校で受けた扱いを示す一例です

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この笑顔の日の前後には「教育者」と名の付く大人たちが寄ってたかってこの子の英語能力を潰す方向に全力で動きました

 

ご参考までに・・・

 

 

  

(何しろ、自分のクラスの生徒が長期入院した当初、一度も見舞いに来ないばかりか、被害生徒の親である私を欺き娘の学校事故の隠蔽に最も加担された人物なので辛口の記事になることご了承ください) 

 

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