Friendshipは船と港 ~藤田くらら 小6でTOEIC980点までの軌跡~

小学6年でTOEIC980点を取った女の子のお話。中学1年での、学校体育時の事故が原因で「脳脊髄液減少症」を発症。寝たきりから「復活」の兆しが…

藤田紅良々12歳、TOEIC980点・英検CSEスコア2857点で公立インターナショナル中学選考入試で不合格をくらう(後)-県教育委員会の見解ー選考入試における平等性とは?

悪夢の不合格から、その記憶を2年間封印してきた。


そして、娘が学校事故でほぼ寝たきりになり、中学校生活も高校進学の希望も奪われた今、その封印を解き長々とそのトラウマを書き綴ってきた。こんなに不快でしんどい思いを長々と書き連ねて、一体自分は何がしたかったのかというと気が付いた。

「大人の事情」で子供に対し非情な不正を働いた”自称教育者たち”を
「告発」をしたかったのだと。

私も子供達も、今まで色んな試験で失敗したことはあるが、どれも納得のいく形であった。才能のあるものが勝ち、そうでないものは負ける。或いは、誰もが認めるほどの努力をしたものが勝ち、そうでないものは負ける。その2つを掛け合わし、そこに多少の運も加味されたものが結果となるのだが、今回の娘の不合格は、その合格と不合格を決める公平なスケールでは全く測れないものであった。

一旦は忘却の彼方へ追いやろうとし、ほぼ忘れたままで日常を過ごしてきたが、今回、記事を書くために、閉じていた記憶の蓋を開けると、中のカオスはそのままで思考はぐるぐると渦を巻き始める。

なので今回、その全てを吐き出し、紙面に落としたまま置き去りにしてしまうことで、もう自分の中には何も残らない空っぽの清々しい状態にしようと思った。

そういうわけで、私は、もう今後、後悔はないよう、かねてより迷っていたある行動を実行に移し、この問題に終止符を打つことにした。 

 

 

ー今回はその最終回となるー

書き続けているうちに、教育委員会の人たちはこの事に対してどういう反応を示すだろうか?自分たちが管轄する中学校の入試で、起こった不可解なことを知っているだろうか?とふと考えた。

不合格を貰った直後、芦屋国際中学で教頭に不合格とした理由を聞いても何も答えてもらえなかったため、兵庫県教育委員会に行って真相を聞きたいとも思っていたが精神力が続かずやめた。

それからもう2年も経過しており、判定を覆すなど無理であるし元々そんな気もないので、ただ、「以前教職に就き自分の受け持つ生徒達を進学させたり就職できるように一生懸命になっていたであろう「元先生」が、一人の人間として、先生として、親として、周りの誰もがおかしいと感じた、娘の不合格判定にどういう言葉を投げかけてくれるだろうか?」と興味があった。

4月の初旬にアポを取った。こちらのたっての希望で、兵庫県の英語推進をされているなど、英語がわかる職員の方とお話をさせていただきたいと希望した。そして当日の朝、JR三ノ宮駅から地下鉄で一駅の県庁前に降り立った。

迎えてくれたのは、兵庫県教育委員会高校科で、芦屋国際中等学校の入試担当の男性1名と、英語の教師をしていた女性1名であった。

私は、まず神戸新聞の現在の娘の病気記事を見せ、そして娘の輝いていた頃の新聞、TOEIC980点を取った際の満面の笑みの娘の記事を見てもらった。そして問うた。

「娘は独力で、日本中の多くの方が驚くほどの高いレベルまで、環境的には何一つ恵まれない中でたどり着きました。それを達成するまでの興味と集中力と持続性と努力が、あのインターナショナルスクールで学び、将来海外へ出て学び、働き、国際社会に貢献できる力を、潜在能力という形ではなく、既に明確に説得力のある形、客観的な数字と資格により証明していると誰もが考えています」

「しかし、芦屋国際の入試では、これが全く考慮されず、受験生の殆どが専門の教室で対策されつくしたA4用紙1枚の作文と、5分間の面接を面接委員に判定されました。そのような非常に個人的な主観と印象で作られた数字の方が優先されるというのは、誰が考えてもおかしいことではありませんか?それに、娘は、専門の教室で作文も面接も優秀で合格点をもらっていました。仮にこちらが僅差で合格最低ラインに届かなかったとしても、それを補って余りある客観的資質が示されていたのではないですか?」

男性職員「お気持ちはわかりますが、この試験は、平等性を重視しておりますので、他の子も、スポーツとか色々他に優れている面はありますが作文と面接だけで審査しました。そんな特技を加味したら平等性が実現できませんよね(笑)まぁ娘さんは僅差だったと思いますよ」

「いや、この学校はインターナショナルで英語を習得して国際的な視野を持つ人間を育てるところなんですから、英語の能力と水泳やサッカーが同列に扱われるのはおかしいですよ。それに、形だけのような短い時間の面接と作文で、子供の持つ資質が見抜けるのですか?作文に至っては、皆作文教室で修正に次ぐ修正を重ねられ、大人の手垢にまみれたものじゃあないですか。既に築き上げた実績とどちらが本当のその子供の本来の力を示していると思われますか?」

男性職員「いや、これは選抜試験ではなく選考試験なのでいろいろな側面から審査するので総合的に・・・」

 そら、馬脚を現した!

「は?さきほど、先生は「作文と面接で審査」とおっしゃたではないですか。そうですか。これ、選抜ではなくて選考試験なのですね!!今まで気がつきませんでした。それなら、作文と面接だけでなく、調査書とか全ての資料が考慮の対象という事ですよね。そうすると娘は、調査書にも書いていたTOEIC980点も審査に入れられた上で落とされたということになりますね」

「選考試験なら、余計にそうではないですか?作文教室でこの学校好みの作文を書くように訓練させられているのはご存知でしょう?少しの差しかつかないようもの、審査の際の主観の誤差が出るようなものに、娘が仮に僅差で届かなかったとしても、この学校が力を入れてられている英語に置いて、この学校の先生は知りませんが万人が認める偉業を成し遂げた事実に敢えて目をつぶり評価から外してしまったのですね。そういうのは総合的評価とは言いませんね入試の合否判定の際、何かの意図が働いたのではないですか?

「英語の優れた実績を初めから見ようとしなかったか、若しくは、日本人枠で受けたのに、英語ができすぎる事が、日本人枠役割としてふさわしくないから故意に外したのではないですか?もしそうなのであれば、「英語が半端なくできる日本人は受験しても無駄です」とか初めに知らせてもらわないと子供が可哀そうですよ」

(これは一見、無茶苦茶言っているように聞こえるであろう。しかし、信じられない事だが、娘の作文教室の先生が実際に何回も言っていたことなのだ。「今までの結果を見ていると英語ができると書いたりアピールすると落ちる?みたいな感じがするんですよ・・・」ーと。なので、TOEICや英検の結果を学校の調査書に書いてもらうことに渋い顔をされていたのだが、私は「今の時代の日本でそんな馬鹿な事あるかいなww」と思い、堂々と小学校の先生に報告をして書いてもらったのである)