(前回の続き)
「英検2級とかで落とされたのなら何も言いません。でも娘は、英検1級に受かる力があり、TOEICも受験者上位1パーセント未満なんですよ。インターナショナルスクールの入試でどうして何の評価もされなかったのですか?これは誰が考えても謎ですので答えていただけませんか?」
男性職員「・・・・・」
「英語の先生はどう思われますか?この子が読んできた10000冊の洋書の重みがわかられますか?
この学校で育ててもらって、近い将来海外に羽ばたこうとしていました。この学校の卒業生の進路をみておりますと、国際や海外志向とは全く縁のない進路に進まれている生徒さんが多いですよね。
作文と面接で公平に選ばれた人達らしいですが、この学校の目指す教育効果があまり現れていないようですね。娘は小学生で既に自分の方向性を掴んで、将来は翻訳家になると言い、12歳ながらそれにふさわしい積み重ねをしてきました。これだけの資質の片鱗をのぞかせている子がどうして選考から漏れるのですか?どうして、「この子は今までは一人で頑張ってきたが、これからはこの学校の、他には見られない恵まれた英語教育の環境の中で育ててやろう」と思われる人が選考に当たった先生の中に一人もいなかったのですか?先生は英語教員としてどう思われます?」
女性職員「確かに娘さんは、凄いと思いますし、今回は残念でしたけれど・・・どこに進まれても将来は立派になられると思いますから大丈夫ですよ」
私「いや、もう地元の公立に行って授業中の事故で潰されて廃人となってますから大丈夫じゃないです。それに英語の授業でも、出る杭は打たれるみたいに抑え込まれてほとんど空気みたいに扱われてまして、先生の顔色と周りの空気読んで大人しくしてる以外は何も学びませんでしたから」
女性職員「・・・・」
私「最後に言わせて頂きますと、先ほどから平等性、平等性、と言われますが、この学校の入試制度自体が公立でありながら不平等ではないですか?長年海外にいた人はいいとしても、何年も前にちょこっと親の仕事で行っただけで、言語的にも怪しい英語を話し、全く日本語が損なわれていない子がどうして優先される必然性とその枠があるのですか?ましてや、親が外国人であるだけで、日本で生まれ育ち日本語しか話せない子や、日常会話はできても英語の本も碌に読んでいない子が、どうして特別枠で楽な入試が受けられ、英語やその他の言語の恵まれた語学教育を受けられるのですか?」
私「帰国の子にしても、裕福な層のお子さんが多く、海外の恵まれた環境で英語や他の言語を身につけ、日本に帰って、安い公立に特別枠で楽な入試で入れてもらい、英語などの保持はしてもらえるし、日本語が不十分ならばフォローも受けられるという至れり尽くせりの一方で、日本から出られない私達のような庶民層は、英語の習得には圧倒的に不利な中でも頑張って、等別枠の子に引けを取らないか場合によっては遥かに高い適性を客観的に証明しているのに、その「能力」とか、そこまでの達成をした「人となり」を全く評価されずにはねられてしまうというのは、何が平等性の入試なのですか?こんなの、親の経済力や出自による差別ではないですか。」
私「ところで先生はどの教科を教えてられましたか?」
男性職員「理科です」
「では、将来の科学者を育てる趣旨で作られた学校があるとしますね。試験は作文と面接。そこに既に物理オリンピックや化学オリンピックで入賞した子供が入試を受けたとしましたら、「作文や面接が少し劣る。平等性を期すために・・・」とか言ってオリンピック入賞の事実を考慮に入れずに不合格にすることはありますか?ナンセンスでしょう?」
私「娘はそれに近いことをされたのですよ。あなたのお子さんがこんなことをされたら黙っていられますか?」
男性「私の子供がこうなったらやはり、動揺するでしょうが、なぜそうなったかを考えて試験の平等性を・・・」
馬鹿馬鹿しいのでもうこの辺りでやめておく。まるで、芦屋国際の教頭と同じく、典型的な管理職の対応しかしない「能面をかぶったロボット」だ。最後にお二人に、元気なときの娘のテレビ出演のビデオを見てもらった。
沢山のカメラやマイクが囲む中で、全てワンテイクで、数時間にわたる全ての撮影やインタビューに英語、日本語を切り替え臨機応変に対応した。こんなに堂々として、大人ともどんな話題でも臆せず英語で渡り合え、楽しみながらにこやかにディスカッションできる子供を、この大人たちは切り捨てたのだ。
英語の女性職員(元教師)は、非常に興味を持って見てられたが、現在の娘の不遇さを思うにつけ、少し涙ぐんでいるようであった。彼女の目は、同情心に溢れ、「言いたいことはあるが立場上言えないのだ」と語っているようにも思えた。
入試担当の男性職員(元教師)は、途中で、「早く終わって帰ってくれないかな~」みたいな様子がこちらには感じられた。明らかに「早くこの厄介な話を終わらせたい」様子であった。
全てを終わらせ、私は帰途についた
こちらの疑問への何の回答も得られないだろうことは初めからわかっていた。はっきりしたのは、あの人たちは結局、私には最後までさっぱり意味の分からない「平等性」というものを死守するために、ひとりの子供の「きらきら光る才能」を、切り捨てても平気なのだということだ。こんなことでは日本の教育界に未来はない。
それでも自分は、一言でいいから、「ここだけの話ですけど、私なら、この子を落としたりはしませんよ」とか、「確かにちょっと不可解な入試でしたねぇ」などのオフレコ的個人見解を聞きたかったのだと思う。そんなこと、あり得るはずはないのにそれでも心の中では最後まで、ちょっと期待していた・・・
出世して管理する側に身を置いた人間はロボットと化し、不当に傷つけられ弱り切った子供に対しても、暖かい人間の感情を発動することは許されていないのだ
いつか娘が再び教育を受ける権利を回復できたなら、暖かい人間のまなざしを持った真の教育者と出会い、学校事故により遅れてしまった学力と自称教育者により傷つけれた魂の救済をしてもらえることを切に願う
ー 完 ー