娘が中学校の体育事故が原因で寝たきりになり、半年後には昏睡が始まり2018年の秋冬は、本当に娘も私も息も絶え絶えになりそうな状態でした。
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神戸新聞の記者さんが来られた日
そんな中、2018年最後の月の初旬に神戸新聞の馴染みの記者さんが、どこからか娘の状態を知り驚かれたようで、見舞いがてら話を聞きに来られました。
当時、娘の昏睡が一番深い時期であり、ドア越しに、大きな声で数時間話をしていましたが、娘は記者さんが来られたのも知らぬまま眠り続けていました。
記者さんが娘の顔を一目見て帰られてからしばらくして午後6時くらいに目を覚まし、「〇〇さんはいつ来るの?」と私に問いかけるというような状態です。
記者さんは、普通の中学生が学校の授業時の事故に遭って、治療費の補償も受けずにこんな状態で放置されている事実を知り大層驚いておられました。保険制度の狭間で、被害者に全ての負担がのしかかる現状について話しましたが、他の人と同様、そんなことがあるなんて信じられない、というような表情をされていました。
私も、脳脊髄液に関わる医療関係者も、実際に苦しんでいる患者さん達も、せめて大きな金銭的負担のない状態で安心して治療に臨めるような、「当たり前の」制度となるように医療制度の改善を希望していることを告げると、記者さんも納得されている様子でした。
記者さんは「学校事故における保険制度の問題」をテーマに記事にしようと思われたようで、この話を社に持って帰られました。
もし、記事になるのでしたら、ここからは早いと思っていましたが、待てども待てども連絡はありません。
「TOEIC980点」の記事は、取材に来られて、一週間ほどで新聞に載りました。しかし、今回のように、相手(学校、教育委員会、加害者)がいる状態での掲載は大変困難を極めるようでした。
社としては、主治医をメインにすることで、学校事故の要素を薄め、加害者との対立関係も極力描かない方針だったようでしたが、記者さんの尽力で、最終的には事実の持つ衝撃がほぼ伝えることができる記事になったと思います。
しかし、当初は、娘の写真は掲載予定はなく、主治医の先生の先生の一枚のみだったようです。でも、私はそれは報道のあるべき姿とは違うと思い、娘のこの写真を送り、「医師がどんなことを語ろうが、どんな名文で記事を綴ろうが、この一枚の写真が語る真実には及ぶべくもない」という思いを伝えました。
そうしてこの記事が日の目を見るまでには、3か月という月日が経過していました。
この新聞記事が、以下のブログ記事の中にあります。短いですが新聞の記事が出た当日にこれまでの万感の思いを込めて書きました。 まだブログを始めたばかりでしたが、この日のためにブログを始める決心をしたようなものです。
新聞だけでは、学校事故の事、病気や保険制度の事も広まらず・・・
しかしながら、TOEICの記事の時と比べて、この記事は地域限定でほとんど話題に上りませんでした。この記事が、カラー版ではない白黒であることもさながら、ネット版に載せてもらえなかったというのが大きかったのです。
担当記者さんに、「今回はネットに載っていませんね…」と聞いてみましたら、意外だったようです。普通は載るのに、何故か載らなかったという状況のようでした。
そして、担当記者さんが動いてくれて、暫くしてやっとネットに載りましたが、なんだか印象の全く違う記事になっており、娘の名前も伏せられ写真も削除されていました。
その意図は図りかねたのですが、「まぁ載らないよりはいいか」と思っていたところ、知り合いの弁護士先生から、「有料版にはちゃんと載っていますよ」と教えて頂きました。
すごく作為的な状況が生み出されていたと言えますが、この学校事故を現状で記事にするというのは簡単なことではないのだな、という実感を持つに至りました。
記者さんが「社会制度のあるべき救済から漏れてしまっている哀れな一人の子供」をみるに見かねて、力を尽くしてこの問題を社会に投げかけてくれたのです。
そう思うと、本当に、新聞記者と言うのは、人の運命や人生を左右することに直接繋がる価値ある仕事をされているのだなぁと感銘を受けずにはおれませんでした。
事実、このように新聞に掲載された事で、結果として、後々の大事な局面で娘を助ける方向に社会の力学が働くようになったのです。
次回もメディアのことを取り上げます。
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