本日の娘の状況
大勢の方にご心配頂いております娘の体調は、今日も変わらずです。昼前に起きて、30分ほどして、昼食をきちんと食べました。鳥の手羽先5本と目玉焼き2個とご飯でした。今週いっぱいの身体を横に保ち、脊髄に縦の圧をかけない安静期間が終わりましたら、リハビリに入ります。一緒に料理をしたり、外を散歩したりと徐々に慣らしてゆきます。
訪問授業の再開を考えていたら…
福山への遠征治療でばたばたしておりましたが、思い出してみると、娘は中学3年生。
今も横になったまま出来る事はしているようですが、入院前の支援学校の先生の訪問を来週から再開して頂こうかとも考えているところでした。
そして、いつもブログでは、「特別支援学校」と書いているのですが、正式の名称をご紹介したことがないな、と気づき、ひとまず落ち着いた今、きちんと紹介しておこうと思います。
インターネットで検索していたら、出てきました。
「神戸市立友生支援学校 みなと分教室」というクラスです。ポートアイランドの「こども病院」の院内学級です。
ここの先生たちのお陰で、学校社会から完全に隔絶され、病の苦しみと失意のどん底にいた娘は、「中学生」である自分を思い出し、先生方のご理解とご協力のもと、1年以上、全くできなかった勉強を少しずつ始めることができたのです。
www.tomaclara.com
「みなと分教室」と「娘」の偶然とは思えないシンクロニシティ
私がこのブログを始めるにあたって、2つの柱を想定していました。
1つは、「脳脊髄液減少症を巡る非人道的対応で不条理かつ理不尽な状況に置かれた被害者宅の惨状を公表し、社会の判断を仰ぐこと」そして、もう一つは、「私が今でも宝としている娘の言葉を英語学習者の皆様に知って頂き感動を共有すること」でした。
親馬鹿ではなく、一人の、「語学を真剣に取り組んできた人間」として、当時は昏睡状態だった娘を見つめながら、「この子の頑張って生きてきた証を残さねば…」という極限状況ににおける決意のもとに、かつて娘が放った奇跡のような言葉のエヴァンジェリストとなったのです。
それが、こちらです。英語学習者の方必見!です。きっと、ビビビと痺れます。
その中の、スカイプの先生の、「frienndshipって何かわかる?」の問いかけに対する、5歳の娘の返事です。(やりとりは全て英語です)
そして、私は、驚愕しました‼ 友生支援学校みなと分教室の名前の由来を偶然見つけ、そこに書いてあったのは…(以下は、友生支援学校のホームページより抜粋、色付けは筆者による)
「船」と「港」・・・・⁉
支援学校は、娘の港となってくれた
こんな不思議な縁があってよいのでしょうか?娘は、大きな海で荒波にもまれ、難破寸前の沈みかける舟でした。
そこへ、「みなと教室」が、灯台の灯りを娘の船の方向を照らしてくれます。そうして傷つきボロボロになりながら娘は港にたどり着き、そこで守られ、安心して身体を治し、次の航海に向けての活力を蓄えているのです。
「船」と「港」とう2つのキーワード結ばれた、「支援学校」と「娘」。
娘は5歳の時に、自分が難破船となり港に命を救われる10年後の事を、まるで予見していたかのようです。
それを象徴するモネの「印象の日の出(soleil levant)]
絶体絶命の極限状況で私が選んだ「船と港」は、フランスの印象派、クロード・モネのこの一枚でした。原画とはかなり色目が違っていますが、あの頃の私の追い詰められ、八方ふさがりの内面状況を代弁できるのはこの色彩でした。
まるで、このムンクの「叫び」と同じ色ですね…事実、昨年度を通して、ムンク状態だったのですから。しかし、このシンクロニシティに、この絵の中で叫んでいる人もびっくりしていることでしょう。
しかし、人間らしい生活状況が戻って来た現在は、パリ16区、ブローニュの森近くのマルモッタン・モネ美術館で見たこちらの色彩に親和性を感じ心の安らぎを覚えます。
実は、悲しいことに娘を守り育ててくれている「友生支援学校みなと分教室」との別れが刻一刻と近づいているらしいのです。それに抗える術があるのかどうか… (続)
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