昨晩、父(おじいちゃん)の夢を見た。
いつものように実家の台所ででせわしなく立ち回っている父の後姿を目で追う。
そして、目覚めた瞬間「あぁ、これは夢だったのか…」と暗澹たる気持ちに襲われた。
おじいちゃんと孫娘
実家で一人暮らしをしている88歳の父は、足が少し弱くなっている以外は完全に現役の人であった。元来、並外れて身体が丈夫なのだ。
毎朝買い物に行き、戻ると休む間もなく台所に立ち、母の仏壇に幾品もの手作りおかずを供える。母への花も欠かさず、はるばる亀岡まで車を運転して買いにもいっていた。
そして、毎週末は「おじいちゃんの日」。娘と私はできるかぎりおじいちゃんと会う時間を作り、レストランで一緒に食事をしたり、買い物に行ったりしていた。
娘の体調でしばしばドタキャンをすることはあったが、いつも土曜の朝は「今日はクーちゃんは行けるか?」という父の電話が入った。
1人暮らしの父の健康状態の確認と、母が逝ってからガックリきていた父を励ますために、私と娘は学校近くのアパートから京都に戻ると、おじいちゃんを最優先して土曜日を過ごしていた。母が亡くなり1年ほどは笑う事のなかった父に少しずつ笑顔が戻るのを2人で見守ってきた。
高校生と言えば自分の都合を優先するのが普通で、なかなか毎週おじいちゃんに会いに行くなどできる子はいないと思うのだが、娘は当たり前のようにおじいちゃんとの時間を大事にしていた。
昨年11月には善峯寺の紅葉を見に行き
11月12日(土)のおじいちゃんは「つけうどん二玉」を余裕で平らげ・・
年末のお墓参りの帰りにはカツカレーをペロリと食すほど丈夫な消化器官の持ち主
そして、2月4日・・・思いがけずこの日がおじちゃんとの最後の食事になってしまったのだが…
父は、サラダバイキングを山盛りに取って、スープもハンバーグもデザートも残さずに、まさに私たちの3倍の量を元気に食べていた。
この時、私も父もいつもとは異なる心情でいた。まだ受験が終わらない娘には何も告げなかったが、前日、恐ろしい告知を受けていたのだ。
まさかの診断
この日の前日2月3日、父の臨診察に付き添った私は、父が進行性の肺がんステージⅣ、肝臓や腹部リンパ、鎖骨にも転移が見られもう手の施しようがなく余命は数か月であることを知る。
そしてこの日から2か月後の今、父は一般病棟からホスピス(緩和ケア)に移されて苦しい時間を過ごしているのだ。
2か月前まで、血圧の薬は飲んでいるくらいで、私より数倍元気に活動していた父が今はもはや歩くことができない。
昨夜の夢、父が台所にいる姿が本来の現実であるはずで、緩和ケア病棟にいる父の方が夢のような気がして、こんな滅茶苦茶な現実は到底受け入れられるものではない。
今度目覚めたら「全ては長い悪夢だった」というオチだったらどんなにいいだろう…
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