Friendshipは船と港 ~藤田くらら 小6でTOEIC980点までの軌跡~

小学6年でTOEIC980点を取った女の子のお話。中学1年での、学校体育時の事故が原因で「脳脊髄液減少症」を発症。寝たきりから「復活」の兆しが…

快挙‼ ~ 「2022年7月26日」は記憶に残る日となる

先日7月26日は(心の中で)感涙にむせぶような記念すべき一日となったため、このブログでもしばらくご無沙汰だった娘のことにも触れようと思いました。

 

高校生になって、進級も無事2回できて、途中退学をすることもなく今までやってこられたのは、かつての娘の苦悩する姿をつぶさに見て来た者としては、もうそれだけでこれ以上望むことのないくらいのミラクルなのですが、「まだもう少し期待を持てそうだ」と思えることがあったのです。

 

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遂に「夏期講習」に参加できた!!!

 

7月26日は、私たちにとって2重の意味で記憶すべき日となりました。

 

ここでは一つ目を書きます。

 

普通の高校生なら当たり前の事なのですが、娘にとっては画期的といってよいくらいのことがこなせたのです!

 

それは、午前中に(娘にとっては)かなりしんどい予定をこなし、その後午後に重要なイベントを入れるという、一見無謀な計画を見事完遂できたということです‼

 

この夏休み、娘は生まれて初めて「夏期講習」というものに続けて参加しています🌞🎐

 

小学生の頃は、お兄ちゃんが原因不明の病気でだんだん弱っていたため親がかかりきり、娘はほとんどネグレクトに近い状態で放置されていたため塾も小6の最後の数か月のみ作文教室に通った(某芦屋国際中学を受験するため)のみです。

 

中学になると、周りはほぼ全員塾に通っている中で呑気にしていたのですが、中1の夏休みに数学だけ行ってみたいと言い出しました。ある塾と交渉して英語は免除してもらって数学だけの夏期講習から初めようと思ったところが、あの「毒部屋案件」に巻き込まれました。

 

娘も急性のシンナーの中毒となり、1日で部屋が汚染され、その夜中に部屋を脱出し、そこからもうその部屋に戻ることはないという大変な事件となってしまったのでした。

 

夏休みは神戸のホテルに避難してから、部屋の汚染の埒があかないため京都に長期で戻ることとなり、娘の数学の夏期講習も2回ほど行っただけで幻と消えてしまったのです。

 

そして、中1の2月に「そろそろ塾を探そうか」(あの教育熱心な地区ではもう既に遅すぎの感はありありでしたが・・・)と体験授業に行ったりしていたころに、あの忌まわしい学校事故で全ての計画が水の泡と化してしまいました。

 

それから2年は完全に教育が抜け落ちて、頭も完全に悪くなっており、夏期講習どころか学校にも行けずという有様でしたが、最終的に試験なしで入れる現在の学校に拾われたような形で入学。

 

1年の間、学校に通うだけで体力の限界値でしたが、進学希望の周りの生徒さんは学校が楽な分、放課後は塾に行かれて大学受験に備えてられると言う方が多く、そんな体力のある姿がとても眩しく映っていました。

 

巷では、夏期講習や冬期講習は、学校や塾で催され、周りの高校生達も1年生から行く人も多かったですが、娘の夏休みや冬休みはほとんど脳脊髄液減少症の治療のために消えました。

 

そうして、娘の学校でも高校2年の夏休みには海外の大学受験のSAT対策のための夏期講習が開かれることになり、同じような進路を目ざすクラスメートも参加するという事でした。

 

しかし、カリキュラムが1年遅れている娘は、それを受けることができなかったのです。

 

でも、例え、受講資格があったとしても、あの時の体調では夏期講習の3時間を毎日こなす事は至難の技に思えました。

 

なので夏休みは、またまた休養と入院治療に充てることになり、周りの生徒さんからはますます遅れてゆくという現実はありましたが、既にそういう立場にも慣れてしまっていたので大した焦りもなく治療に専念できました。

 

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「ダブルヘッダー」で予定をこなす

 

そして今年度、高校生最後の夏休みがやってきました。

 

その1ヶ月ほど前に学校の「夏期講習」の通知をもらいました。

もうこれを逃すと一生夏期講習には参加できない最後のチャンスなのです。

 

娘が、「夏期講習の予定が出ていた」と言った際、「行けそうか?」と聞いていると、「是非行きたい」とのこと。

 

でも、本来は、午前に数学(SAT対策)3時間、午後に英語(SAT対策)3時間を全て受けるほうが望ましいのですが、それはちょっと無理だと自分で判断して、午前中の数学だけを受講することになったのです。

 

それでも、頭を使う(好きでない)数学を3時間というのは、娘にとって楽な事ではないため、始まった初日は、帰ってきて昼ご飯を食べるなり、すぐに寝てしまうといった様子でした(これは想定内)

 

そうして、夏期講習の2日目の7月26日も無事朝から学校に行くことができ、疲れた様子でお昼に帰ってきてご飯を食べたのですが、この日はこのまま眠ることができません。

 

なぜなら、午後に兵庫県西宮芸術文化センターでバイオリンの発表会に出ることになっていたからです。

 

こんな娘にとっての強行軍のスケジュール、よくも立てたものだと思いますが、とにかく、ドタキャンもあり得るという覚悟で一か八か「やってみよう」と考えたのです。

 

娘は、寝込んでいたあの中学の2年間以外は発表会を休んだ事はありません。おそらくそれが自分の生活の自然体になっていたからだと思います。

 

なので、高校1年生の時も、まだまだ体調が悪くブラッドパッチをした夏だったため、この時も、発表会の1週間ほど前まで術後の体調悪化で寝込んでいましたが、当日は楽屋部屋で出番以外はずっと横になりながら、夏休み前の数か月で取り組んだ難曲を弾き通すことができました。

 

その時の根性を見ているので、恐らく今回も余程のことがないとキャンセルすることはないと予想していたのです。

 

京都南部から西宮まで車の中に寝かせて移動し、車の中でドレスに着替えてホールに入り、出番を迎えました。

 

疲労していたため、やはり出来はよくありませんでしたが、そんなことはどうでもよいことです。

 

学校の夏期講習に参加して、その同じ日にこんなに緊張を強いられる舞台をこなすことができたのは、まさに快挙といってよいものでした‼

出番が終わり安心した表情でスマホチェックをする

 

 

一つの段階を超えられた

 

思えば、3年前の今ごろは、ひとつの「予定」を入れる事も難しく、自身ではコントロール不能の体調悪化でドタキャンばかりして周囲の方に迷惑ばかりをかけていました。

 

その次の段階では、「1日に一つの予定をこなすことだけで精一杯」でした。何故なら、その予定で疲弊してしまい後の計画がたたないからです。この時期の娘は学校に行くこと、学校の課題をこなす事以外は疲れて寝るだけという日々であり、友達と遊びに行けるようになったのはかなり後になってからでした。

 

そうして今、遂に第三の段階に確実に入ってきたのだという実感が、この7月26日の1日で持てるようになったのです。(とはいっても、この日はお天気に恵まれたのが幸運だったということは大事な要素です…)

 

 

やはり、発表会一つとっても、年単位で見てみると、今も尚、脳脊髄液減少症の回復は続いているのだと確信できるのです。

 

 

おそらく、娘は次から次へと出現する様々な課題をクリアすることにいつも必死なため、まだあまり実感はないかもしれませんが…

 

何年もの間一日一日の忍耐と努力を積み重ねてきた先に、このような日が待っていたというのは何という嬉しいサプライズでしょうか…

 

(ここまでが7月26日の1つ目の快挙、2つ目についてはまた後日書こうと思います)

 

 

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