Friendshipは船と港 ~藤田くらら 小6でTOEIC980点までの軌跡~

小学6年でTOEIC980点を取った女の子のお話。中学1年での、学校体育時の事故が原因で「脳脊髄液減少症」を発症。寝たきりから「復活」の兆しが…

飼い犬(猫)を「守ってあげたくて」殺してしまった夢

これは夢の中の話だけれど、いかにも現在の自身と子供との関係への示唆を大いに含むものである気がしたため、ここに書き残そうと思う。

 

昨夜の変な夢

 

昨夜の夢は、生きている人間と亡くなった親族が総出で大きな会場で飲んで食ってカラオケをするようなにぎやかなものであった。

それほど近くはない血縁の関係のないおばさん(故人)までで出てきて、

 「私がカラオケを歌う予定なのにくららちゃんが割り込んだおかげで私の出番がなくなった!」と文句をいってきた。


そこで、何故かその場を仕切っていた私は、おばさんも歌えるように娘にスケジュールをうまく組み直すように言ってその場を収めたりしていた。

 

場面が変わり、サバイバル競技のような場所となり、競技のための設備のセッティングも一新されたようで、顔は見えないが子供を中心に崩れかけの壁があるのを這い上がり乗り越えたりして競技者たちはサバイバルの感覚を楽しんでいたようだ。

 

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ピーちゃんの死

 

それを傍で見物していた私は、昔実家で飼っていた「ピーちゃん(20年くらい前に没)」という子犬を入れた浅いプラスチックの洗面器に入れて腕に抱いていた。ヨークシャーテリアのはずが、上から見た格好が何故か不思議の国のアリスのチェシャ猫のような感じに見えた。

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(ピーちゃんは、まさにこんな感じのブチャイクなヨークシャ―だった!)

 

ピーちゃんが寒い思いをしないように、透明の長いナイロン袋にお湯を入れて湯たんぽのようにしたものをピーちゃんの身体の横に添えておいたのだが・・・。

 

気がつくと、ぴーちゃんは動いておらず、「これはどうしたことか⁈」と慌てる中でわかったことは・・・

 

お湯を入れたビニール袋が破れ中のぬるま湯が流れ出て、ピーちゃんはそのお湯で溺死したか、ふにゃふにゃになったナイロン袋が顔に絡みついて窒息したかどちらかのように見えた。

 

その時、2年前に亡くなった母が近づいてきてぼそりとこう言った。

 

「ピーちゃんは昔は過保護だったけれど、最近は、一人で外に遊びに行って近くの山を駆け回って数日帰らないくらい逞しくなっていたのに・・・」

 

私は、自分のしたことに後悔の念が起こり、悲しくてたまらなくなったところで目が覚めた。

 

まずは、「夢で良かった」という安堵感に包まれたが、その後、夢の意味を考えてみた。

 

思い当たることはある。

 

息子と娘・・・

 

長年病気で患い、現在も日々苦労して過ごしていいることから結果として、闘病以外のストレスができるだけかからないように、時には私が盾となって今も守っている状態となっている。

 

この子たちは社会的弱者であり「守られて当然」であり、それが、彼らが長年の逆境から立ち直るためになると思い込んでいたが、もしかすると、そうではないのかもしれない・・・

 

ハンディキャップを抱える人間を「弱者」と決めつけて、進んで手を貸し、苦労しないよう先回りして道に危ないものが潜んでいないかを調べるという、この習慣となってしまった思考回路が、実は、子供の成長を妨げることになっていたのでは・・・?

 

体質は弱くなってしまい、今も不調の日は多いけれども、彼らの「心」や「魂」までもそうであると決めつけていたことは誤りだったのかもしれない。鬱病になってもPTSDになっても、そこから立ち上がるために「自らの内面から湧き起こるべき強さ」をもっと信じて忍耐強く待ってあげほうが良いのかもしれない…

 

夢の中では、実家での愛玩犬の過保護状態から、家を飛び出し野山を駆け巡るようになった逞しいピーちゃんを、私は大切に腕に抱いて自家製湯たんぽまで添えるという、まさに超過保護の「ぬるま湯」状態にしていた。

 

そしてその結果ピーちゃんは

 

溺死? ☜ 私の溢れる「情」の波で溺れ死んでしまった

窒息死?☜ 私の強すぎる「思い」の束縛で窒息してしまった

 

ということになってしまい、私は悲嘆と後悔に暮れてしまったのだった。

 

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夢の意味するところ

 

夢解釈としては・・・

 

まだまだ回復しきらずに体調に苦しむ子供たちであるけれど、この子たちの生きてゆく力を信じて、(今でもかなり手を放しているつもりではあったけれど)もっと思い切って時には突き放すくらいにしたほうが良いということ(病気の事以外)。

 

もう既に小さな子供ではないあの子たちが、以前からも現在も人一倍乗り越えるべき障害が多い日々の中で、今後も、たとえ上手くいかずに更に挫折を味わうようなことになったとしても、それはそういう人生であるのだから、何があっても「C’est la vie!(それも人生!)」だと思うくらいの態度で親は臨んだほうがよい。

 

というメッセージのような気がする。

 

ご先祖様や亡くなった親戚が一同総出で出てこられたのだから、きっとあの方たちが、大応援団を組んで、子供たちを見守って下さっていると考えると、「関わること」より私にとっては難しい「もっと離れて見守る事」が、何とかできそうにも思えるのである。

 

「あの子らは、あれだけの試練を乗り越えてここまで成長してきたのだから、今後何が起ころうと乗り越えられる。大丈夫だよ!」

 

という声が聞こえてくるようだ。

 

 

 

 

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