12月のブラッドパッチから4か月経とうとしている。
術後の変化が既に安定してきたので、M先生に報告をすべく、昨日4月12日は、福山医療センターに向かった。
今回は「報告」のみであるため、初めて娘を連れず単独で行くことに。
いつもの岡山の田園風景に癒しを得ながら新幹線でくつろぐ。
薔薇の季節には少し早かったが、すでに福山の「顔」である薔薇のコーディネーターのイケメンイタリア人に迎えられる。
診察室前の待合室には、2組が待ち、どちらも診察室に入ってから5分足らずで出てこられた。
待ち時間10分ほどで、自分の番が来る。
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今回が最後のつもりが・・・
予め纏めて紙に箇条書きにしておいた現在も残存する症状を読み上げていると、半分くらいのところでM先生から
「もういいから」
とストップがかかった。(最後まで読ませてほしかったのだが…(-_-;)
「その様子だと、まだ漏れが止まってないね。どれも髄液が漏れていると出る症状だから」
自分ではわかっていたものの、先生からこう断言されると改めて「そうなのだ…」という実感に襲われた。
そして先生は続けられた。
「これはもう一度、ブラッドパッチをやったほうがいいね」
そして、8回目はどの箇所に血液を入れるかを話し合う中で、あることを知る。
今までに、他院のI先生を招聘してのカテーテルを使ったブラッドパッチを2回したけれど、もうそれはできないということ。福山医療センターではブラッドパッチはできなくなったし、尾道市民病院でも、I先生とコラボのカテーテルブラッドパッチは無理なのだそう。
カテーテルでする場合は、I先生の病院(姫路赤十字病院)に行ってしてもらうことになるとM先生は言われた。
結局、中3の11月に、初めて福山医療センターでして頂いたブラッドパッチが自他共に目に見える著効があったため、その箇所にしてみようか、という話にまとまった。
やはり、そうなるか。
でも、今後まとめて1ヶ月休養できるのは夏休み・・・
と思ったが、咄嗟に、今は高校3年生になったことを思い出す。
「夏は入試の天王山」と言うが、娘は日本の学校は受けないにせよ、夏休みに海外大学に提出するための一番大切なエッセイをいくつも仕上げるという予定を組んでいる。
そうなると、冬休み?
いやいや、出願するのが1月なのだから、その頃は最後の仕上げにヒーヒー言っている姿が目に浮かぶ。
ちょっと、今は決められないので、「また娘と相談します」と言い残し、診察室を後にした。
しかし、「もうこれが最後」と腹をくくってブラッドパッチに臨んだ娘なので、「まだ終わりではなかった」などと告げるのは実に忍びない気持ちになってしまう。
なので、5月の大事な試験2つが終わったくらいに、それとなく切り出そうかと考えている。
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東福山に寄る
ここ、福山医療センターでは新規の患者さんは診られないため、やはり昨年度より患者数は少なく、11時半には脳神経外科の窓口も閉じられるという今までにない異例の光景を目の当たりにする。
やはり、診療体制は変わってしまったのだ・・・と一抹の侘しさが去来した
M先生は、尾道での診療が中心になるようなので、行ったり来たりと実にご苦労なことである。
そうして、12時過ぎに、尾道在住の患者さんのお母様のお車で東福山のランチに向かい、その後少し用事を済ませて東福山駅まで20分ほど歩いた。
東福山へは彩り豊かな初訪問となる。
東福山駅から福山駅に戻る
福山駅ホームからまだ修繕中の福山城に別れを告げて
窓に映る岡山の「山紫水明」を堪能し
黄昏時のいつになく落ち着いた風情の大阪を通過して
福山診療の原風景となっている東寺に迎えられ京都に帰還する
今月で、学校事故による発症から既に4年と2か月めとなった。
「後、何度くらい同じ風景を見ることになるのだろうか…」と起伏の無い感情の中で自問する。
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