Friendshipは船と港 ~藤田くらら 小6でTOEIC980点までの軌跡~

小学6年でTOEIC980点を取った女の子のお話。中学1年での、学校体育時の事故が原因で「脳脊髄液減少症」を発症。寝たきりから「復活」の兆しが…

先生も号泣‼ ~ 「脳脊髄液減少症」のどん底から今春「大学進学」の女子高生

Sさんのお嬢さん(Aさん)は、中学時代に脳脊髄液減少症の重症期を経験したお子さんです。「同じ病気の方や、まだこの病気だと気づいていない方のために自らの体験をシェアしたい」という思いを持たれて、当ブログ記事に何度も登場して頂きました。

 

お母様とも、この難しい病気や、子供の患者を持つ家族の辛い思いについてもツーカーで話が通じる数少ない患者仲間であります。

 

Sさんとコラボした最初の記事がこれでした。

www.tomaclara.com

 

娘ととても症状や経過が似ており、小6で発症。中1からブラッドパッチをした中2の秋までは本当に重い症状で過ごされました。その間、お母様が「ゾンビのような表情だった」と言われるくらい、心身共に状態が悪く、それに周りの理解がついていかずに「いじめ」の対象となったような事もあったそうです。

 

高校の受験期もまだ充分回復せず記憶障害も酷かったために思うような受験ができず、第一志望だった県立の進学校ではなく病弱者に理解のある私立の高校に進学されたのです。

 

 

「留年を覚悟」から「 特待生」へ

 

Aさん、当初は第一志望に行けなかったことが気になっていたようですが、多様性のあるミッション系の国際コース(これも娘と同じ!)が徐々に気にいり、体調は悪い中でもこの学校に喜んで通ってられたそうです。

(結果的に、大学からの指定校推薦も多く、手厚い指導をしてもらえる(☜ここは娘と違う…)この学校に入ったことが後々吉と出ることになります)

 

しかしながら入学後も過眠、倦怠感、胃腸障害、肩こり、頭痛と言った諸症状に悩まされ、出席できない日も多く留年も覚悟されていたとおっしゃいます。

 

まだまだご本人もご家族も先の見えぬ不安の中におられました。

 

元々成績優秀な上に運動神経も抜群なAさんが、元の自分を取り戻すことになったのが、高1の秋のブラッドパッチでした。あまり例を見ないほどの大当たりで大成功の施術であって、そこからめきめき回復をされることになりました。

 

それまでの、苦しい人生を取り戻すかのように何事にも精力的に取り組まれ、高校2年の末には、何と「特待生」にも選ばれたのです✨

 

これは考えてみたら凄いことです。中学から高校1年の秋まで思考や記憶能力が衰えてしまい、勉強らしい勉強ができなかった子供が、1年という短期間で周りに追いつき追い越したのですから・・・👏

 

 

大学受験を乗り越える

 

そうして、特待生となったAさんは高校3年生となり大学受験期を迎えることになりました。

校内推薦を勝ち取るために、それまでも遅刻欠席をしない、評定を上げることに集中され、お母様が側から見ても怖いくらいの真摯さで、1年生の時に休んだ分を取り戻すために必死に勉強に取り組まれていたそうです。

 

そうして、見事、東京の大学に進学が決まり、今月でご家庭を巣立ち、東京の寮で一人暮らしをされることになりました‼

 

お母様のSさんはしみじみと回想されます

「体調が悪かった時は、親も子も大学受験のことは全く考えられず、日々生きることで精いっぱいでした」

 

脳脊髄液減少症の重症患者であったAさんが、病気であることのハンデを背負った月日は本当に長く、大学受験にかけることのできた時間は周りの受験生よりもかなり短いでものでした。

 

Aさんの第1志望は難関大学であり、受験者は中高一貫で存分に高度な勉強をされてきた生徒さんらが多かったと聞きます。Aさんも物凄い努力をされました。あと少しで手が届きませんでしたが、これは物理的に仕方がないことです。

 

第1志望に合格できなかったショックからすぐに立ち直り、今度こそはと第2志望の有名大学は見事合格を勝ち取られました。

 

私的には、中高を通して受験に集中できて名だたる有名大学に合格した人たちに劣らない、いや、それ以上のことを達成されたのだという思いがあります。

 

その事は、Aさんの苦しみと奮闘をずっと見てこられた学校の先生方が一番わかっておられたのです。

 

だから、先生方は卒業間際のAさんにこんな提案をされたのでした・・・

 

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「合格までの道のり」を後輩たちに話す

 

「あなたの合格までの道のりを後輩たちに話してみて!」という先生方からの依頼を受けて、その日、Aさんは北国の雪深い道を学校まで歩いて行かれました。

 

受験の終わった生徒の中から後輩にその経験を話す生徒を選ぶ際、職員室は満場一致でAさんを推薦されたということでした。

 

難病の子も通われるその学校の後輩へ手向けたAさんの不屈のストーリーは多くの人の胸を打ち、号泣されている先生もいらしたそうです。

 

話の後に、病気で悩んでいる後輩たちにも一人一人丁寧に質問に答えたAさん。ご自分の辛く苦しかった体験が、こうして他の人の励みとなり前に進んでゆく勇気をもたらしていることに気づかれたと思います。

 

お母様のSさんも、「辛かった4年間の経験は尊いものだったのかなと思え、私も久々に泣いてしまいました」と書いてられましたが、それを読んで私も泣きました。

 

 

そして高校を卒業

 

ミッション系の雰囲気漂う立派な体育館で卒業式が行われました。

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そして、Aさんに手渡された卒業証書・・・

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Aさんとそのご家族の、「脳脊髄液減少症」という病気との闘いの日々、そしてそこからの復活の日々がこの1枚の紙の中に凝縮されています。

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ある日突然「日常」を奪われてしまった小学校6年生の小さな女の子は、苦難の日々を生きる中で成長し、今、苦楽を共にしたお母さまの庇護のもとから巣立ち、新天地の大都会で新たな人生のドラマを始められようとしています。

 

Aさんの新しい旅立ち、新しい地、新しい師、新しい友、新しい学問 etc.との出会いが幸多きものでありますように‼

 

 

 

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