1年以上に渡り、闘ってきましたシックハウスの調停、「毒部屋案件」ですが、今月8日にシックハウスの調停は結審しました。
7月の時点で既に、下の階の施工業者の塗料等によるVOCが、私たちを中毒症状にしてた原因であると判断されたのですが…
9月8日に「これが最期か…」と、調停後に神戸簡易裁判所をを後にしたのです。
調停は、もし負けると目も当てられない結果となっていたことを考えれば、因果関係が認められ、僅かながら手元にも金銭が残ることを考えると満足すべきことだと頭ではわかっているのです。しかし、一年以上頑張った過程を思い返すとなかなか複雑な思いが湧き起こっていました。
そして、昨日、弁護士のT先生の元に裁判所から「調停証書」が到着した旨のメールが入り、これで、この案件は正式に終了を迎えたと見るのでしょう。
神戸で苦労した日々の一部が瓦解して、その部分が清明な空(くう)になったような気がしました。
メールの中で、T先生からこれまでの振り返りと、私、そして尋常でなくご協力くださったAさんへのご丁寧なねぎらいや感謝の心の籠ったお言葉が連ねてありました。
「このような美しい言葉を紡ぎだし、適切なタイミングで届けて頂ける方に担当して頂いて本当によかった」と、心の底から感じた瞬間でした。
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心が空っぽに…
最期の調停(9月8日)の翌日に娘の神戸新聞の記事が掲載された日からは少し気分が高揚していたのですが、それが消え去ると、心の中がなんだか変な状態になっているのに気づいたのです。
今までに経験したことのない、形容しがたいものです。
「鬱」ではなさそうです。ちゃんと起きてやることはできていますし、心の葛藤もありません。すべきことは解決を図り、今抱えている問題と言えば娘の体調と、高校卒業後の身の振り方くらいなのは今までと変わらずですから。
この自分が自分でないような在り方、敢えて言うなら、
「心に空虚感しかなく空っぽになっている」
「目の前の事象に現実感が持てず、自分の言動に心が入らないまま、ロボットのようにノルマをこなしている」
といったところでしょうか・・・
大して嬉しくもなく、楽しくもなく、かといって悲しみや不安に捉われることもないのです。
こう書くと、ちょっと恍惚の人っぽい雰囲気に思えてしまいますが💦
1人でいる時はぼんやりとしながら、動画を見たり、頭を使わない本を読んだり、部屋の模様替えをしたりしていたら、そこそこ安らかな気分でいられます。
一方困ったことに、全く気が進まないのは、ブログを書くことです。(-"-)
本来なら、結審した日の調停の様子なども、これまで成り行きを見守って下さった読者様にご報告をしたいと思うところなのですが、あの日のあの調停の部屋での「自分の煮詰まった強い感情」を書くことがひどく億劫で難しいのです。
モチベーションを出すための基本となるエネルギーが全く湧いてきません。
同様に、周りの方に「記事に書きますね!」とお約束した要件についても手付かずのままであり、約束不履行のままで不義理をしております。
そして、娘が社会復帰を以来、私の一番の喜びでもある娘の🎻のこの夏の発表会の記事すらも書けておりません。
動画をちょこちょこっと編集する気力すら湧かないのです・・・
これって、自分で思うよりも重症化しているのかもしれません。
とにかく、「考えること」が億劫で、能動的に自分で思考をしてそれまとめるということが厳しい状況です。
今、気づいたのですが、この「空虚感」は先日の恐怖の胃カメラで悶絶してから、一層強くなってしまいました。
胃カメラのダメージが精神にまで及ぶとは・・・これは全くもって「胃害」です。
今日は、心療内科の先生の診察に行って、「大きな空虚感の中で空気を食むような心理で過ごしている」ことをお話をしたのですが特に問題視はされませんでしたね。
クリニック近くのの烏丸七条の交差点から北を望むと西本願寺、南には京都タワーとその向こうに京都駅が見えます。「京都に帰ってきたな~」と毎回しみじみする風景です。
現実感皆無で、ふわふわしながら外出して、頭は空っぽで、AI時代以前のロボットのように何にも考えずにスケジュールをこなすだけの毎日です。
どなたか、今の私のこのような状況が説明できる方がおられましたらご教示願えないでしょうか?
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