Friendshipは船と港 ~藤田くらら 小6でTOEIC980点までの軌跡~

小学6年でTOEIC980点を取った女の子のお話。中学1年での、学校体育時の事故が原因で「脳脊髄液減少症」を発症。寝たきりから「復活」の兆しが…

「もう訴訟をやめたい」とまで思い詰めていた時に

 最近、自身の抱える問題で大きな決断がありました。

 

その決断に至るまでは、悩みに悩み、神経が始終高ぶっていたせいで夜も寝られなくなっていました。

 

この3年半余り、娘をここまでの状態に導いてくるために、大きな決断を何度も行ってきました。それらは娘の未来を拓く道をつくるための前向きな決断であり、その結果娘の今があります。

 

一方、今回の決断は、「前進に繋がる」ものであるのか、はたまた「退路を見つける苦し紛れの物」とも取れるような気もして、なんとも気まずく苦いものであったのです。

 

そもそもの悩みとは、まずは、この記事の中で触れていたことです。

 

自分でも「あの頃の真っ暗闇」のことは、時の経過とともに記憶が薄れかねないため、このような折に繰り返しますが、学校事故の被害者となったことで、娘は大変な辛酸を舐めることになりました。そして今も体調は戻ったと言えず、人並みの大学受験もできないし、希望の海外への進学も可能な状態にまで体調が戻るのかどうか全くわかりません。

  

娘の健康2間の中学校生活、学習、友達、部活、スピーチコンテスト、海外姉妹都市への派遣、希望の高校への進学、高校での留学、英語の成長、バイオリンの進歩etc...、が犠牲となった事故でありました。

 

いわば、「お金に変えることができないほどの生活体験や各方面の成長を奪われた」という事実です。

そして、将来への不安は今も拭い去ることはできません。

 

事故直後から、当事者たちが責任逃れをしている現状を何とかしてもらおうと訴訟をすることになったという経緯があります。

 

そして今、延長した時効も目前に迫ったところで担当の弁護士さんの方向性とはあまりに違っていることに迷いが生じていたのです。

 

脳脊髄液減少症の訴訟では、被害がいかに大きかろうと勝てることは滅多にありません。そして、学校事故にしても費やすことになる労力の割には勝ちにつながることは難しい訴訟であります。

 

そのことを私以上にわかっておられる弁護士さんだから、今回の娘の学校事故であっても、あたかも交通事故のようなコンパクトは訴訟にまとめようとされていたのかもしれません。

 

「訴状」の下書きを見せて頂いた時、その請求項目の内容に愕然としてしまったことは、上記の記事に書きましたが、このまま裁判に突入しても良いのだろうかと心は千路に乱れていたのです。

 

そして、この頃から、私の心は自問自答で一杯でした。 

「この弁護士さん主導で行うことになるこの訴訟は、私の描いていたものと違ったものになるのは確実だ。今の段階でこんなに噛み合わずに不安感を覚えている訴訟をしていいものだろうか?」

 

「でも、もう間に合わない。時効延長期限は8月初旬。今から、超多忙のこの弁護士さんに対して、根本から訴訟に対する姿勢を変えて貰うように説得して、訴状の根本からの大改訂をお願いするなど絶対無理だ・・・」

 

「かといって今から弁護士を変えることも不可能だ。こんな厄介な案件を受けてくれる人が見つかるはずがないし、第一もう1ヶ月しか時間がない・・・」 

 

というふうなことで頭の中は大嵐が吹き荒れることとなり、もうこんな苦しい悩みからは逃避してしまいたいような気持ちで一杯になっていたのです。

 

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「訴訟を行わない」選択肢

 

「学校事故を語る会」の方、過去小学校の先生のパワハラで子供さんが自死をされ、その訴訟で並々ならぬ試練と闘われた方の言葉が蘇ります。

 

「何のために訴訟をされるのか? 経済的損失の賠償をしてもらいたいのか、被害者である子供さんへの謝罪を求めるのか、娘さんの名誉を回復したいのか、それ以上のものを社会に訴えかけたいのか、それをもう一度よく整理される必要があると思いますよ」

 

「手元にそれだけしか残らないのなら、被害者でPTSDもある子供さんを法廷に引っ張っていくことはどうなのでしょうか… 学校事故では相手はえげつない尋問を浴びせてきますよ。私なら訴訟自体をやめます」

 

この言葉によりふと冷静になり「そうなんだ、まだ訴訟は始まっておらず、ここで訴えを辞やめると言う選択肢も自分たちは持っているのだ」という気付きを与えられました。

 

そうです、これまでは訴訟一択で突き進んできましたが、手元にほとんど残らないどころか、下手をすると赤字になるような訴訟となれば、おそらく、多くの被害者の方は断念されるのです。

 

周りにもそういう方は何人かおられます。ご自身で決断されることもあれば、弁護士のほうが「勝機の見込めない訴訟はやめておきましょう」と初めから受けなかったり、着手金を取った後で言われた方にもお会いしました。

 

娘の難しい案件を引き受けて下さった弁護士先生は、他の事務所では断られた脳脊髄液減少症患者さんの訴訟も受けて下さったり、そして途中で投げ出されることもありませんでした。そういう点では確かに誠実な方であるのです。

 

しかしながら、弁護士先生のこの訴訟への視座は明らかに私たちのそれとは異なっていることが見えてきてしまい、

「このまま不本意な気持ちで訴訟に進んでも、私たちのフラストレーションが大きくなるのではないだろうか?」

 

「精神が耐えられなくなって娘のために闘う気持ちが早々に潰れてしまうのではないだろうか?」

 

という気持ちがずっとくすぶっていたのです。

 

ただでさえ、尋常なく非日常モードで闘うことになるのが訴訟です。それへの自身への動機付けや大義名分が不十分な状態で突き進むと、ほどなく空中瓦解してしまう自分の姿が脳裏にを過ります。

 

私の潜在意識が、警告を発しているのは明らかでした。

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Georges Rouault (ルオー)『悩みの果てぬ古き場末で』

 

時効が・・・?

そんな折、本当に偶然としか言えないのですが、色々考えあぐねて当所もなくネット検索をしていたら、どこかの法律事務所が書いた「2020年4月の民法改正における時効に関して」という記事が目に止まったのです。

何となく読んでみたら、そこには驚くべきことが書いてあったのです。

 

もしかすると、娘の時効は3年ではなく5年となるのでは・・・?

 

一瞬何が何だかわけがわからなくなり、頭が真っ白になりました。

 

そうして、ここから事態は急展開を迎えることになったのです 

 

(続く)

 

 

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