Friendshipは船と港 ~藤田くらら 小6でTOEIC980点までの軌跡~

小学6年でTOEIC980点を取った女の子のお話。中学1年での、学校体育時の事故が原因で「脳脊髄液減少症」を発症。寝たきりから「復活」の兆しが…

亡くなった「S先生」からお葬式に呼ばれた話 ~ 階段でのロマンチックな別れ

前回書いた「亡くなったエリック・カールさんが娘に別れを告げに来た話」を読んで、「これは偶然と思い込みと違うの」という感じた方もいるかもしれないが、今回の体験談はどう思われるだろうか?

 

時を遡る事30年、若かりし頃の私は地域の社会人テニスサークルに入り夏は手足丸出しのウェアで真っ黒に焼け、冬もファッショナブルなウインドブレーカーに身を包み、狂ったようにテニスをしていた時期があった。

 

そのサークルに、近くの高校のテニス部顧問をしているS先生が来ておられて、無料でコーチ役をして下さり私も熱心に指導してもらった。夏はチームで信州の山間に合宿に行った。御巣鷹山からさほど離れていないところだそうで、その方角に向かって毎年黙祷をしていた。

皆さん穏やかな人柄の方が多く、男女程よい人数で(オバサンサークルによくある苛めもなく)とても楽しい思い出として残っている。

 

私がそのチームに入ってしばらくすると、S先生が70代のお父様を連れてこられた。見学ではなく参加希望との事。お父様も同じ学校の管理職の先生であるらしく、お父様のほうを「S先生」、コーチの方を「Sさん」と呼び分けていた。

 

その頃はわからなかったが、70過ぎで若い人達とテニスをするなど余程健康に恵まれていないと厳しい。しかし、若いころから剣道でならしたS先生は、私たちの仲間として、少し休憩されることは多かったが、チームに溶け込んでおられたのだから驚きだ。

 

そうして、テニス三昧で3年ほど経った頃、私はかねてからの念願であった国外脱出を決めそれから海外放浪人生が始まる。「自分探しの冒険の旅」を心身がボロボロになるまで続け、やっと家庭に落ち着き子育ての時期に入った。

 

そうして、息子が小学校2年生くらいのある夏の日にとても不思議な事が起こった

 

息子は当時、家から15分くらいの京都堀川音楽高校の講師の先生のお宅にピアノを習いに行っていた。自転車で15分ほど、途中この「慶昌院」というお寺の右側の長い坂道を2人そろって一生懸命自転車を漕いで登った。

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この坂道は、なんだかんだで当時はもう100回以上通っていたが、檀家でもないこのお寺には当然の事ながら寄ったこともなく、帰りはこの坂道をすっ飛ばして帰ったものだった。

 

夏の暑い日のピアノのレッスンが終わり自転車で坂を下りかけた時、ふとある考えが浮かんだ。「今日はピアノで絞られて緊張が解けないようだから、近くの緑豊かな森にある大きな池に連れていって自然に触れさせよう」初めて思った。いつも体調がすぐれず、外遊びもあまりできない息子だったのでたまにはワイルドに探検をさせてみたいと突然閃いたのだ。

 

この方面のルートでは行ったことがないので道がはっきりわからないけど、たぶんあそこから行けるかもしれないと思い、前を走る息子に、

 

「森の方に遊びに行こか?そのお寺のところを右に曲がって!」と大声で伝えた。そうして、下の地図でいうと、いつもは必ず黄色い直線を辿って坂を下りるのを、オレンジの線を辿り右折した。

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曲がったところでわかったのは、どなたかのお葬式が行われているということだ。道沿いの広い駐車場の所に、霊柩車が一台止まっていて、お寺からの階段下には黒い服を来た参列者が沢山並んでおられる。

丁度出棺の時間だった。

 

お寺の門の階段から、数人の黒服の男性に抱えられて白く美しい織物の布で覆われた棺が下りてきた。

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その男性の中の一人の喪主らしき人を見て愕然とした。少し歳は取ったように見えるが、まさしくあのテニスコーチの「Sさん」ではないか‼

Sさんが喪主と努められているということは・・・・

棺の中には「S先生」が仏様になって入っておられるということか?・・・そうだ、葬式の大きな看板に目を移すとそこにはSさんのお名前と御歳が黒い字で刻まれていた。

 

私は息子に自転車を降りるように言い、駐車場の隅(地図の✖印)に自転車を止めてS先生の棺が霊柩車に運び込まれ、それから喪主のSさんが短い挨拶をされ、お父様の待つ車に乗り込まれて、出発されるのを、二人で手を合わせながら見送ったのだった。

 

テニスで共に汗を流してから15年の歳月が経過していたが、S先生の霊魂は、この時丁度近くで息子のピアノレッスンに付き添っていた私に、最後の別れのために呼びかけてくれたのだろう。

 

「お、坊ちゃんも一緒に来てくれたな!あの頃のテニスは楽しかったなぁ、年寄りの相手してくれてありがとうな・・・」

 

それにしても、その時まさに出棺の時間で喪主である息子のSさんの姿を見かけなければ、何も気づかずに通り過ぎていた・・・この日、この場所で、ほんの数10秒ほどの時間だけが許されたタイミングだったのだ。

 

いやはや、突然の思い付きで、初めてあの一度も通ったことのない道に右折したところに、ドンピシャのタイミングでS先生の棺がお寺の階段に現れたというのは偶然では片づけられることではない。そこにS先生のご意志がはたらいていたとしか考えられないのだ。

 

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こうして、あの不思議な体験を思い起こすと、当時は神妙な気持ちで只管手を合わせる私であったが、今ここでお寺の階段の画像を探して貼ったりしていると、あの有名な映画のラストシーンがまさに「出棺シーン」に重なるように浮かんできた。

 

あの日、老いと病に苛まれた肉体を離れ、身軽になって宙から見ておられたS先生は、棺で階段を降りるご自分と陰からそれを見守る私の姿を映画「タイタニック」のラストシーンに重ねておられたのではないか・・・

 

何かに呼ばれるように私が「黒と白の服装の人達」が居並ぶ場所へ入っていくと

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  階段の上には懐かしいような誰かが佇む…

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 あなたはもしかして・・・

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あ、やっぱりS先生だったのですね!

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清々しい笑顔で鍛え抜かれた片手を差し出すS先生…

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私も別れの予感と共にラケットを何万回も振った右手を伸ばす…

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 Adieu...!生まれ変わってご縁があればまたテニスでご一緒しましょうね♡ 

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年齢のない魂の存在になられたS先生は、あの頃の少女のように可憐な私を思い出し、きっとこんなロマンチックなシーンを妄想しておられたのに違いない。

 

 

 

 

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