前回の記事で、脳脊髄液減少症の西のカリスマ医師のお一人である先生の定年後の勤務継続が危ういことをお知らせしましたが、昨日、東の方でも大変なことが起こっていることが患者さん間に流れ現在大混乱となっています。
脳脊髄液減少症の第一人者である国際医療福祉大学熱海病院脳神経外科教授の篠永正道先生が7月で熱海病院を辞められることを、受診された患者さんへのお手紙のなかで表明されました。
篠永先生が7月一杯で熱海を辞められます | 私は脳脊髄液減少症に負けない
篠永先生のお手紙です。
八月からはご自宅近くの「ふれあい平塚ホスピタル」で午前中の外来診療を行われ、「金曜日にフォローアップとして熱海近隣の患者様への診療を行う」と書かれていますが・・・篠永先生のご体調が気になるところです。
そして現在の脳脊髄液減少症の患者さん達は平塚ホスピタルの方に移られることになるのでしょうか...?
娘も、「このままはっきりしないようなら一度篠永先生のところに行ってご意見を伺えばどうか?」と周りの方に勧められたりもしていましたが、仮にそうなる場合、新規の患者の受け入れは可能かどうかも現段階ではわかりません。
この篠永先生は、1946年生まれの75歳というお歳ながら、脳脊髄液減少症の第一人者として多くのブラッドパッチやその他の外科手術をこなされ、診察のある日は夜遅くまで全国からの患者さんを診ておられます。穏やかな人格者としても定評があり、一人一人にかける診察時間が長い分、待ち時間も5時間とかが普通で、夜の9時を過ぎてやっと診察室に入れるということも多々あると聞いていました。
患者さんが診察を受けるのは大変で、遠い人は泊りがけの行程となります。しかし、同様に篠永先生も、手術に検査に診察にと心身が削られるような診療を続けてこられたのではないでしょうか…
そういうお話を幾人かの患者さんから聞くにつけ、本当に篠永先生の医師としての在り方には頭が下がる思いです。
ブラッドパッチのみでなく、脳脊髄液減少症がきっかけで発症する胸郭出口症候群や線維筋痛症の外科手術も行われていいることから、本当にご多忙を極めておられました。
ご自身がかつて脳脊髄液減少症を発症されたことから患者さんへ寄り添うお気持ちや症状へのご理解が深く、また学術研究面でも多くの功績を残されております。
そして脳脊髄液減少症という知名度が低く医療関係者にも相手にされなかった病気を、今に至るまでずっと支えてこられた最大の功労者であることは皆が認めるところです。
このお歳で今後も現役を続けられ精力的に毎日診療に向かわれるご意向なのは、やはり強く揺るぎない「使命感」を持っておられるからに他なりません。
篠永先生の患者ではないため詳しい事情はわからない立場なのですが、どうか患者様方が引き続き安心して治療を受けられる状態に落ち着くことを願います。
そして、診療報酬点数があまりにも低すぎることから、病院が力を入れられず、後継者も育たないこの病気への制度的待遇改善のためのご署名をよろしくお願いいたします‼
(前回署名をして頂いた皆様には心より感謝を申し上げますm(__)m)
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