白血病と公表してから壮絶な闘病治療を行い、順調に回復。その後プールに戻ってきた池江璃花子さんが2年目の今日、オリンピックメドレーリレーの代表に内定したというニュースが飛び込んできました。
リアルタイムで見ていなかったので、YouTubeで探して娘に送ろうと思って観ていたら間違えていて、15歳の時に、RIOオリンピックの代表枠を始めて勝ち取った時の動画だと気づきました。
万事順調な中で成長を遂げ、期待の新生として、私たちがこの「天才スイマー」を認知した時のものでした。
レース前の控室で、屈託のない輝くような15歳の笑顔を見せていました。そして、レース後は喜びの号泣。15歳の無垢な涙が印象的でした。
そして今日は、おそらく彼女の人生にとって更に忘れられないレースとなったことでしょう。プールから上がる前から人目もはばからず号泣する彼女の姿を画面で見て、一緒に涙した人も多かったのではないでしょうか?
今日の涙は15歳の時の「アスリートとしての喜びの涙」とは違ったものです。2年間の他人には決して理解することが不可能な時間を生きてきた人、底知れぬ苦悩からの復活を果たした人が流した、「壮絶な人生のカタルシスのような涙」に見えたからこそ、多くの人が心を揺さぶられたのだと感じます。
池江さんに注目していたのは、日本人として恵まれた体格や身体能力だけでなく、その美貌にも目を奪われることがしばしばありました。
私の中では池江さんは、スイマーとしてというよりも、水の中の女優だったのです!!
(お名前も女優風の煌びやかなものですよね)
もう、私には、伝説の昭和の大女優、原節子にしか見えませんでした。顔の造りも親子のように似ていますが、それ以上に、笑顔の時に放たれる輝くような強烈なオーラが同じものだと感じます。
その美貌が、彼女の存在を一介のアスリートとして以上に人を引き付けていたのは確かだと思います。この世で注目されるべき存在として選ばれた人のように思えてなりません。
順風満帆で東京五輪で最も金メダルに近いと言われていた矢先に病魔に見舞われ、想像を超える苦しい治療の際には、周りの近い方々や多くの国民までもが「命だけは助かって欲しい」と祈るような気持ちになっていた時期もありました…
その後、徐々に彼女の回復を示すニュースを聞く機会が増えてきて、プールに戻ったと知った日は大きな安堵を覚えましたものです。
そして、何よりも「彼女の並外れた素質」があってのことですが、「体調を考慮しながらの最大の努力」が、今日のレース結果として実を結びました。
バタフライに挑む姿は、あたかも不死鳥の舞を見ているような錯覚を覚えました。
まだまだこれからの人生ですが、既に20歳の現在でその存在が、彼女の人生は人に感動を与え、「人として人生を生きる大切な何か」を、見るそれぞれの人に語りかけるものとなっています。
このような素晴らしい才能の持つ若い人を見ていつも思う事ですが・・・
類まれなものをいくつも持ってこの世に生まれて来た彼女を、その才能が最大限に発揮できる人生へと導いたご両親、この人たちがいなければ、私たちは今日の感動の瞬間を目にすることはなかったことです。池江さんご本人でなくても「生んでくれてありがとう、育ててくれてありがとう」と言いたくなってしまいます。
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多くの人が、池江さんのこの2年間に集約されるような、各々の「病気との闘い」を経験されています。その一つ一つは、その人自身、そしてそれを知る人にとっては、苦しみや悲しみと表裏一体の深い感動と感謝と生きていることへの勇気をもたらしていると思います。
子供の病気を15年近く支えて来た私の周りにも、当然のことながら闘病をされている方が多く、お一人お一人の人生は、まさにドラマのような深い色合いを帯びたものとなっています。
「回復」の兆しが見えた時の点にも昇るような気持ちを経験した人は、その時から人生を違った角度から大きく見渡すことができることでしょう・・・
「回復」を待ち望む人にとっては、先に「回復」に至った人の辿った道が、自身や周りの人間の回復への気概を奮い立たせることでしょう・・・
「回復」から見放された闘病生活を送る人、例えば私の母の最期の数か月は、怒り、悲しみ、諦めを経て「悟り」に至るまでの人生最後の色彩豊かな日々として私の心に焼き付いています。
娘も一時は絶望の淵を彷徨う闘病生活を送りました。2年近く心身共に苦しんで、やっと回復の手ごたえを掴めた日から、このブログの色彩は変化して娘の回復をここに書き続けています。
「もう病気も大したことないと誤解されるから書かない方がいいのでは?」と、親身な方ならではのご心配を頂くこともあります。
恐らく、訴訟・・・魑魅魍魎が跋扈する「人間の冷酷で醜い心」をぶつけられる場に出ることを考えると、一切の情報、特に娘の回復度合いは伏せておいた方が身のためなのかもしれません。信じられないような「言いがかり」を、相手方弁護士や医師の意見書から貰うことになるのが通常運転のような場なのです。
でも、このblogを見て「脳脊髄液減少症」だとわかり治療を行うきっかけとなったり、まだ暗闇にいる同病の方や(うかつには言えませんが)他の病で闘病されている方にも回復への希望を感じて頂けたりすることがあればいいなと思っているのです。
そして特に若い世代の読者さんから、「くららさんを知って勇気が貰えました!辛いことがあっても私も頑張ろうと思います!」というようなコメントをたま~に頂けると、「よかった~、まだまだ頑張って書いて行くぞ~😊」と、疲れが吹っ飛び、やる気が100倍になり老骨を鞭打って、また何時間もかけて書くことになっています。
いずれは、弁護士さんからNGが出て公開できなくなるかもしれませんが、非公開であっても娘の人生の転換期となる日々を細々と記録してゆこうという思いです。
そして、今日の池江さんと同じ色の涙を娘が流すことができる日が、このブログが寿命を終える時となり、一つ一つ溢れる思いの詰まった記事たちは、娘の万感の涙と共に天空に昇華されてゆくことでしょう・・・
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