ブログを休止してから、自分時間を満喫しています。自身の抱えている気が重い課題(娘の問題含む)や、世間の見るのも聞くもの嫌になるような、おどろおどろしいメディアニュースからは敢えて離れて、心の洗濯を行っている最中です。
好きな本も、気が済むまで読む時間を持てることは、なんて豊かなことなのだろうと実感する毎日です。
少しずつ断捨離も初めようという心の余裕も起こってきました。
何と、バイオリンも独学で始めました‼ 習おうかとも思ったのですが、音楽に関しては自分にお金をかける気にはまだならず・・・
自分のバイオリンも以前手にいれてありました。超安物ですがとても明るくふくよかな音がして、毎日触ってみたい気持ちにさせてくれます。☜これが何よりも大事!
YouTubeの中の色んな先生のサイトで疑問を解決しながら、ミュートをつけて小さい音で娘のいない時間に必死で練習をする毎日です。
子供のレッスン付き添いである程度の知識は入っています。楽譜は読めますしポジションのこともわかります。 ビブラートも日々上達途上です!プロの動画を見て「どの弾き方がいいかな?」など夢中で分析している自分がいます。
でも左手が思うように動きません・・・
指が楽器をするには絶望的に短い・・・
音もスマホのチューナーと首ったけにならないとすぐに狂います・・・
絶対音感がないので、一度狂うと相対音感でそのまま最後まで違う調で弾いてしまうという感じです。なので、チューナー手放せません。
自身の脳の力が減退してしまっていて、ピアノの楽譜は数小節すら暗譜ができなくなってしまいましたが。バイオリンは、単旋律なので短い曲ならなんとか覚えられそうなのが救いです。
🎹は弾けないとあれですが、ヴァイオリンはボーイングをしてビブラートをかけるだけでもうっとりするような音が出るので、しばし時間を忘れ、それだけで自己陶酔ができるのです。YouTubeの中の色んな先生のサイトで疑問を解決しながら、ミュートをつけて娘のいない時間に練習をする毎日です。
一昔前に比して、なんと贅沢な時間が過ごせる時代になったのかとまさに隔世の感を覚えてしまいます。
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以前もお話したかもしれませんが、若いころはバイオリンが弾ける人に大きな憧れを抱いていました。留学先に真っ赤なバイオリンケースを肩にかけて、現地の人や他国の学生たちとさっとアンサンブルをする長い黒髪の美しい女子学生がいました・・・
素敵だなぁ・・・といつもため息混じりに見つめていました。
自分の学費や生活費を稼ぐのに精いっぱいだった学生時代は、バイオリンは高嶺の花でありました。なので諦めて、19歳の時に自分でお金を貯めて中古のピアノを買いました。
バイオリンは敷居が高くて自分にはとても手が届かないという思い込みがずっとあったのです。が、いざ子供にさせることになると、拍子抜けするくらいに、ピアノのおけいこと同じくらいの感覚でできるような時代になっているのだと知りました。
プロを目指すのではなければ、スイミングやサッカー、野球よりも出費な少ないくらいなのです。
そうして、(息子もそうですが)娘は様々なアクシデントに見舞われ🎻のお稽古が 長年途絶えてしまいました。
しかしもう既に、あの頃海外で見て憧れたバイオリンを背負って学校に来ていた学生さん以上のレベルになり、英語と同様、(その気になれば)バイオリンでも臆することなく交流ができるようになっているのだなぁ…と、しみじみと嬉しい思いに満たされます。
この子が17年と少し前に私の手元に舞い降りてきてくれて、試行錯誤を繰り返しながらも、一生懸命育てたことは凄く幸せな時間の連続でした。
「一流の何者か」には到達させてやれませんでしたが、「先代からの文化資本(主に教育や教養の伝達)が文字通りゼロ」の私が踏み台となって、自身が過ごしてきた惨めな少女時代~思春期とは別次元の理想や夢に何歩も近づいてくれた過程はまさに幻想を見ているようでした。
これが、庶民の限界であるかもしれません。ある程度傑出した才能を育てるのは、やはり3世代以上はかかるように周りを見ていて感じます。
占いでも、私は「初代運」を持っているようで、何もない土壌から何かを築き上げてゆく運勢のようです。苦労ばかりで華々しい成果は皆無で、滅茶損ですが・・・
そうこうするうちに、娘はもう第二の人生の時期にさしかかろうとし、私から離れてゆく準備に入っています。
思えば私の「18歳」は出生した環境から脱 却すべく、自律的に第 二の人生を生き始める覚悟をした年齢でした。頼れる人も守ってくれる人も誰もいない孤独の真っ暗闇の中で心身のクライシスを感じるほどの辛酸を舐めることになった歳でもありました。
あと半年で18歳になる娘の子供時代ももう終わりに近づいているようで少し切ないような寂しいような気持ちになります。
色んな事がありましたが、これからは親の勝手な思惑を離れて自分の人生に漕ぎ出でることになるのでしょう。
でも、娘にはどんな時でも戻れる「港」があるのは幸いなことであるのです。
そんな確かな旅立ちと別離の予感があるからこそ、自分は自分で娘が巣立ったその後も、音楽やその他のことを楽しめるように、今こそ何かを始めようという気持ちになってきたのかと感じます。
こういう心境になったのも、ブログやら、訴訟やらを一度リセットした結果かもしれません。
もう少し、リラックスの時間を過ごして、自分の人生を豊かにすることに時間を費やすことを優先した日々を送って行きたいと思っています。
ではなぜ、今日ブログを書いたのかというと、これを書きたいのではなく次の記事を書きたくてたまらなくなったからです♬
(続く)
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