Friendshipは船と港 ~藤田くらら 小6でTOEIC980点までの軌跡~

小学6年でTOEIC980点を取った女の子のお話。中学1年での、学校体育時の事故が原因で「脳脊髄液減少症」を発症。寝たきりから「復活」の兆しが…

「ガチ闇」を思い出し「ガチ病」しそうになっている…

この数日、病院からの開示資料をその頃のブログ記事と照合したりしている。

そしてこれは「精神衛生上」良くないだろうと薄々感じてはいたが、それでも自分でも意外に感じるほどの強い悪影響を心身に及ぼしていることを自覚し始めた… 

 

今、娘は「健康」というにはほど遠いけれど、年齢相応の生活体験を部分的にも享受できる程度にまでに回復しているため、これから一連の法的手続きを踏んでゆく作業など、サクサクと「平常心」でこなせると思っていた。

 

ところが一昨日あたりから、身体が重く気分が晴れないなぁと思っていたら、昨日は寝込んでしまった。

 

身体が動かない…起きられない… 

 

風邪などではなく、確実に気持ちの問題だ。

 

この重苦しい感覚は、かつて味わったことのある類のある馴染みのあるものだとはっとした。

 

娘が、昏睡状睡眠を続けていた時期、よく思った。

 

「こんな娘の姿を見るくらいなら、私も、一旦眠ったら、明日はもう目覚めたくない。この世から消えて無くなってしまいたい・・・」

 

そうして、朝が来て、カーテンの隙間から入る光の明るさを感じると、夢の世界から(初期の頃は結構「悪夢」もあったが)この残酷な現実に引き戻されたことを知覚して、「新たな暗闇の一日が始まる」と、もう布団から出る気力がなくなる・・・といった具合であった。

 

まさに、その当時のあの嫌な感覚を心身が思い出しているような感じなのだ。

 

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事故発生からは、あれよあれよという間にミステリーのような理不尽の深みにはまっていった苦しい時期があり、人は離れ、社会から取り残され孤立し、ブログで苦しみを吐き出すという「(私の)癒しのための療法」が可能になるまで1年間以上の不条理の世界に耐え続けるしかなかったのだ。

 

1年経った頃からは、娘の治療に更に奔走した。希望が見える時は身体からエネルギーが沸き起こり、また希望が消えた時も、新たな光を求めてとどまる事はなかった。

 

そのような日々の過程では、夢中の渦中で周りを顧みる余裕もなかったが、正常な世界の一端に娘がよろめきながらも立つことができている現在、改めて振り返ってみると、

 

「よくもまぁ、こんなに凄まじい試練の日々を強いられてきたものだ…」

 

と、今更ながら唖然とするしかない。

 

こちらがこんな極限状況にある間も、娘の人生を変えてしまった加害生徒は、平穏に中学校生活や部活、そして幾つもの塾や習い事を全うし、希望の高校に合格して青春を謳歌しているのだろう。もはや娘のことなど記憶から消えてしまっているのかもしれない…

 

そして、学校教員に至っては、担当者不在の体育授業中の事故であるにも関わらず、長期入院することになった娘の顔も誰一人として見に来てはくれず、ついに最後まで娘への謝罪は一度もなかったのだ。完全に存在を消し去られ、挙句の果てに、校長は嘘を吐き娘を傷つけ、3年生最後の娘のいない3者面談では、号泣する私の前で一人の教師が居眠りまでした。

 

暫く、そんな記憶を封印していたのが、今は一度スイッチが入ってしまえば、そんな辛い場面が脳裏に走馬灯のように繰り出されるのである。

 

 

資料を見れば見るほど、まるで人間一生分の人生が凝縮されているような2年間+α が、心の中に蘇りそうになり心が拒否反応を起こし、よって身体にも症状が出ているのだろう。

 

寝込んでしまってはいられないので、丸一日気分転換をした。

 

意識的に現実から逃避をして、布団の中で好きな卓球動画を観たり、美しい世界を思い出すためにバレエや音楽の動画ばかり見ていたら時間を忘れて夜中の3時になってしまった。

 

本当なら、娘も闘病に明け暮れることもなく、こういう明るい世界の事を沢山経験できた筈なのに・・・


あの事故の日からずっと心身の不調に苦しみ、最近ではそれとどう折り合いをつけ周りの世界への参入を可能にしてゆくかに心を砕き、一瞬たりとも、それが頭から離れることがないような「不自然な人生」を強いられているの娘…

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Odilon Redon "Conversation mystique"

 

学校の近くには大きなバレエ教室もあるし、電車に少し乗れば大きな卓球教室もある。

でも、身体を動かしたいと気持ちでは思っても、学校へ行って帰るだけで、もうエネルギーは残っていない。

 

それに、リハビリのつもりにでも、バレエをまた習い始めることで脊椎に負担をかけて髄液漏れが再発でもすれば、そこからまた1年余りが台無しとなり、これだけ苦労して続けてきた学校も退学せねばならなくなってしまうのだ。(バレエは小1の時と、中1の事故まで習っていた。今は家で時々簡単なストレッチをしている)

 

それでも、ある程度、体感的に完治に近づいたと自分で自覚すれば、きっと何かを始めたいと言い出すに違いないが、今はまだその段階には達していないのは確かである。

 

そんなことをくよくよと考えても仕方がないし、今目の前にある課題を一つ一つクリアしてゆくしかないのはわかっているのだが、神戸の闘病時代の詳細な記録を目にしていると、嫌でも心がそちらの方向へとベクトルを向けてしまい、うっかりすると鬱々とした黒い淵に気持ちが飲み込まれてしまいそうになるのだ…

 

 

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