7月8日の午前、奈良県、近鉄大和西大寺駅で行われていた自民党参議院候補者の演説・・・
ここで何が起こったかは書くのも辛いので省きますが、この時間が思いのほか深く心に突き刺さったのは私だけではなく、なんと娘も相当ショックを受けていました。
思えば無理もありません・・・
第一次安倍内閣が2006年~2007年、そして第二次安倍内閣は2012年~2014年、第三次安倍内閣が2014年~2015年、第四次安倍内閣が2017年~2018年ということで、2004年生まれの娘が2歳の時から小学校時代、中学校の2年まで、安倍さんが「日本の政治家を代表する顔」として、いつもテレビに映っていました。(最後の方は病気のためテレビは全く観られませんでしたが…)
あの人懐こい笑顔は、「自分の生活に普通に存在するもの」として幼い脳にしっかりと刻み込まれていたのです。
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2022年7月8日
この日は金曜日で、娘は朝から学校にいました。
あの「銃撃されて心肺停止」の速報はあっという間に学校中に広がったそうです。
この学校は宗教の関係で保守派の方が多く、外国人の先生の何人かは、安倍さんにとても良い印象を持たれていたようで、授業中も安倍さんの政治家としての功績を話したりしながら安否を気遣っておられました。
事件のあった近鉄大和西大寺駅は、学校近くの最寄りの近鉄の駅から急行で15分ほどという近い場所にあることもあり、皆、メディアの続報が気になって仕方がなかったようです。
奈良方向へ空を飛び交う幾ヘリコプターが何度も窓から見えました。
安倍さんの容体は午後4時前に学校を出る時間になってもわからず、この日は私が京都に帰っていた関係で娘は友達と近鉄電車に乗って最寄駅から京都に戻ることになっていたのですが・・・
丁度その頃、昭恵夫人は、京都に到着したと伝えられ、京都駅構内で新幹線から近鉄に乗り換えをされていた頃だったと思います。
そうして、娘が学校の最寄駅から京都駅へ向かうその時間、おそらくどこかで昭恵さんの乗った奈良行きの電車とすれ違ったに違いありません。
この日の朝は晴れていたのに・・・
昭恵さんが京都に到着する頃から雨が降り始め、それからずっと翌日の9日の夜まで京都の空は、晴れ間が出ると思えば急に大雨になったり、やんで、また突然土砂降りになったりという、何だか普通ではあり得ない奇妙な空模様が続いたのです。
京都の人は、「これは安倍さんの涙雨だ…」と感じた方がきっと多くおられたのではないでしょうか…
娘が、その日近鉄電車で京都に着いて迎えに合流した時、安倍さんの容体が気になって気になって歩きスマホをしていたのですが、小さく叫びました。
「あ、死亡報告が出てる…! 安倍さん、亡くなったんや…」
それから、家に戻っても心ここにあらず…と言う状態で、期末テスト前というのにずっと安倍さんに関するTwitterや動画を見ていたうようで、眠りにつくまでお互い沈鬱な面持ちで過ごすことになりました。
娘は、思いがけず京都の南部にある高校に在籍することになり2年前の6月から平日は学校近くの近鉄の駅よりほど近いアパートに住んでいます。ここからは京都市内へ行くよりも奈良の方が近いこともあり、娘は学校帰りに友達と一緒に大和西大寺駅近辺に出向くことが何度かあったのです。
昨年の皆既月食は、大和西大寺駅から眺めていたことを思い出しました。
楽しい思い出の動画には、安倍さんが最期の演説を行う中で凶弾に倒れられたあの駅前広場が収められていたのです。
戦後レジームを脱却し日本が日本国民にとって「美しい国」になるために、(政治というものがそうである以上は)理想と妥協の狭間で苦労されながらも、ずっと尽力してこられた安倍さん。
子供のころからの難病である潰瘍性大腸炎を抱えながら、常人にはとても成し得ないような量と質のお仕事をこなされ、常に穏やかな笑みを絶やさぬお姿は、私達の心に焼き付き生涯忘れることはないでしょう。
本当にお疲れさまでした・・・
煩い輩のいないそちらの世でゆっくりとお休みください・・・
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