続きです
昨日は11月25日。午後2時からの調停に出るために電車で1時間半以上の距離をJRで長閑な田園地帯から大阪を抜けて懐かしい芦屋、住吉、六甲、三宮を通り、神戸に至る。
1時半に弁護士先生と裁判所一階の階段下で待ち合わせなのだが、時間に余裕を持たせて到着し、まずは勝利祈願のためにすることとがあった。
湊川神社
まずは、駅から北にすぐの湊川神社に参拝。これからの武運を祈願しようと思う。
湊川神社は、中に神社庁もあるなど規模も大きく立派な神社である。明治5年創設。楠木正成公を祀り幕末の志士たちの心の拠り所。吉田松陰や坂本龍馬も参拝したとのこと。
神戸にいた時代、どん底の時にはここに来て神社庁の職員さんにお話を聞いてもらい厄払いやご祈祷の紹介をしてもらったり、神様に娘の回復をお願いしてきた。今回は、どん底だった生活が好転過程にあることのご報告と感謝もお伝えしたかった。
神社正面の鳥居をくぐると、曇り空から日が差し始めた。これは吉兆!
本殿に参拝し、まずは2礼をしようとした丁度その瞬間、中から神楽が聞こえ巫女さんが舞い始めた。こういうのは、「神社の神様が歓迎してくれている」という事らしい。
またまた吉兆!
すぐに録画をさせていただく。
これから展開される殺伐とした時間?の前に、邪悪な魔を全て洗い流してくれるような鈴の音が心に沁みる。皆様にも是非聞いて頂きたい。
まさにお清めの鈴…
少し境内を散策して奥の出口をくぐると、目の前に神戸裁判所が現れる。
これまでずっと「神戸地方裁判所」と思い込んでいたが、正確にはこの建物の中の「神戸簡易裁判所」にて調停は行われるのだと弁護士先生に教えていただいた。(ブログを読んで頂いていることがわかり緊張が走る…)
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調停は闘いではなかった・・・
小さな部屋に招き入れられると、男性が3人座ってられた。ご年配のお方がお一人と若い方お二人。後で先生から聞いたところによると、真ん中の若い方がおそらく裁定を下される方で裁判官みたいな役目、右の方は弁護士さんで顔馴染みの方!、そして左のご年配の方は何者かわからないということ。
それにしても、法曹関係で働く方々は皆お若く見える・・・弁護士先生も私から見れば若手であるのだが、この感覚でいくと今回の裁判官と弁護士さんなどは「若造」くらいに見えてしまう青年と言ってもいいくらいの若々しさだ。
これはほかならぬ現実…すなわち私が年を取って老齢期に入ったということを物語るのだろう。
明石の病院のN先生や、福山のM先生も、私の歳から見れば完全に「若手」である。そして、今回の調停のお二方はそれより更にお若い。今、第一線に立って社会を動かしている方は一回りも二回りも歳下の方たちなのである。(その影の「長老」たちが曲者である場合が多いようだが)
前回の調停ではお二人だったのが、今回は三人に増えていたのは、「裁判所の本気度の姿勢の表れであるかもしれないですね」、とは調停後の弁護士先生の弁。(これも吉兆!)
まずは、部屋に入った時、私は相手方の弁護士がいないことに気づいた。
当たり前だ・・・
調停は、別々に前後して話を聞くだけなのだから。そういうわけで私たちが先に招き入れられたのだ。
ご挨拶をして、着席する。
私たち被害者は「ならず者」ではない
「主張書面」は予め提出してあるため、こちらの伝えたいことや争点となる部分のおおよそは既に把握してられた。
今回は、被害に遭った当事者として、こちらの主張の信憑性、相手の主張のいいかげんさを印象付けることが大事だと考えたため、まずは、何故神戸へ来ることになりあの事故のあったマンションに住むことになったこと話す。こちらが賠償金欲しさに問題を大きくしているならず者ではない事をはっきりわかってもらうためだ。
神戸に移ったのは、息子の進学のため。
原因のわからぬ病気で中学校へもろくに通えず電車に乗ることも難しい弱り切った子が、受験勉強らしいこともほぼできないまま記念受験をした学校。小さいころからの憧れのその高校に通ってしまったため、一学期間だけでも通えたらと、徒歩数分の距離に借りた格安マンション。進級は無理だとわかっていたが、それまでの日々の悲惨さ、光の見えないトンネルの中にいた息子を明るい世界に少しの間でも置いてやりたかったのだ。
まさに、昨年の娘の状況と同じことばで語っているが、医師に見放された状態で未治療だった息子の病状は何倍も深刻で悲惨なものだった。受験日には、「試験中に意識を無くさないようにするため」に覚醒作用のある「劇薬」と、その副作用を抑える数々の薬を処方してもらって乗り切ったのだ…
勿論、調停員さんに対してはそんな詳細は話さず、
「息子の○高校進学のために神戸に移ってこのマンションに住むことになったのです」
とのみ語る。
中央に座る裁判官の瞳の奥で何かが動いたのを感じた。この一言でこちらの身元が怪しいものではないとわかってもらえたと確信した。
今までは、病気治療所の中で数えきれないほどの医師に相対した時に、この学校名が出ると確かに「接し方が変わる」ことは何度かあった。大方は良い方に、たまにだが悪い方に(医師の中にはこの学校のアンチの人も結構いる)…
肩書は、その人間の人としての優劣を表すものではないが、こういう場では幾重の言葉よりも役に立つものであることは否定できない。少なくとも、ややこしい筋の人間ではないことは伝わるのだから。
これで、
「身元のしっかりした1家族が階下の塗装工事のために大きな被害を被り、手術直後の絶対安静の息子を連れて緊急避難をしなければならなかった。そうして、その部屋の発癌性化学物質による汚染状況は改善されず、3か月後には『子供の健康と命を守るために』学校近くで便利なこの部屋を捨てて別の物件に移ることになった」
という証言が、ならず者ではなく善良な一般市民の口から出たことを知ってもらえ、真実に一本の確かな筋が通ったのではないかと思う。
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被害者VS保険会社
あとは、弁護士先生と私が交互に話す形となる。
質問されたことに、一番状況のわかる当事者の私がありのままに或いは詳細な記録を見ながら答え、一方の弁護士先生は話の流れを作り、こちらが答える必要のない質問は拒否し(すごくカッコ良かった!)、相手方の矛盾点をぐいぐいと突いて、それに私が当事者としてそれに関しての当時の状況を補足的に証言してゆく「理論と実証」という形で、うまい具合に進んでいくことができたと感じている。弁護士先生のご感想は如何であったろうか?
なお、相手方が工事に用いた全ての製品試料を提出しておらず、ホルムアルデヒドの有無や他の揮発性有機化合物(VOC)の存在と空気検査との照合が必要な事が話に出た。
相手方の論拠は、事故から1ヶ月も経ってからようやく保険会社が行った空気検査の結果のみだ。
それに対しては、「こちらの再三の要望を無視して故意に遅らせて発性物質が飛んでしまった時期に検査をするのは意図的なものを感じるし、そもそも相手の保険会社の行う検査であるのは中立性という意味でどうなのか?」とこちらが疑問を投げかけた。 (本当に悪質)
更に、「検査で全てのことがわかるわけではない。それよりも、塗装工事直後から数続く、シンナー中毒のようなあらゆる症状、中枢神経がおかしくなるような怖い症状まで出たという事実(医師の所見あり)とその被害にむしろ目を向けていただきたい」ということを、弁護士先生と2人で強調して、部屋を出た。
私は歳のせいで化学物質のカタカナ名がさっぱり覚えられないところ、流石に超優秀な頭脳をお持ちの弁護士先生が、すらすらとご説明されるお姿には、やはり専門家のプロ意識を感じてしまい感心することしきりだ。
この間、時間感覚が全く無くなっていたが、弁護士先生の言葉から、「普通は30分くらいですが、1時間10分話してましたね」と知る。
そして、「弁護士なら保険会社の狡猾さは皆知っている。3人の調停員の内に弁護士さんがおられるので、この方も当然わかってられる」とはこちらの弁護士先生から出た私にとっては安心材料のお言葉。
言いたいこと、言うべきことは全て伝えた。そして、私よりも頭がはるかに切れる調停員の方たちには、充分な理解をして貰えたと思っている。なぜなら事実を述べることにおいては何らの理論の綻びや破綻は存在しないからだ。
真実は1つだけなのである。
そして、こちらへの宿題としては、被害金額をまとめることくらい。
もう一つ提出予定の「ある内容」に関しては、当時、既に時系列でメモをしたものをワードでまとめて蛍光マーカーまでしてあるので、これを弁護士先生の手でスマートな文体に纏めて頂くのみである。
相手方へは、私たちが指摘したところの「報告書の数々の(意図的?)虚偽記載」の是非についてだったり、工事試料の提供だったり、沢山の宿題が課せられたことだろうと思う。
それにしても、元々は、人柄の良い方だとお見受けした相手方の施工会社の社長さんだったが、保険会社が絡んできたら嘘に満ちた人になってしまった。そして、相手方の弁護士も保険会社の人のようだし、そう考えるとこの調停は、実は・・・
被害者 VS 保険会社
という構図になっていたのだと、鈍い私はこの時初めて気づいた次第である。
被害者の一貫した正直で揺るぎない主張と、途中から出てきた保険会社の出鱈目でつぎはぎのボロボロの脆弱な主張のどちらが信憑性があるかは、調停員の方々は既に感じておられると思うが、ここに「化学の数値」がどう絡んでくるか、その解釈が分かれ目になるところなのかもしれない。
次回は少し空いて1月末に第3回の調停となる。
そして帰路に着く
懐かしい三宮から見た山手の風景。何度も福山行きの新幹線に乗ったのもあそこからだ。別件で区役所に用事があったため、途中の住吉駅で降りて東灘区役所に向かう。
神戸の生活での最寄りだった住吉駅。数々の重圧と希望を心に持ちながらここを拠点として娘、そして息子を救うために動いていた
自転車置き場に向かう階段。息子を連れて受験に来た日に見た同じ風景、そして学校へ続く小道…
綺麗な外観と共に職員の質が非常に高い東灘区役所。離れてみて尚更、その質の高いサービスの提供がよくわかった。
数々の苦難に親身に相談に乗って下さった職員さんを訪ねたが、転勤されてもうここにはおられないとのこと。娘が全快した時にはお手紙を出そう。
外に出ると、日は既に西に傾いていた。同じ道を引き返し電車に乗る
少しの滞在で、まだ自分がまだ神戸の人間であるような錯覚を覚えてしまう…
2つの県境を跨ぎ、娘の学校近くの最寄り駅に着いたらもう真っ暗になっており、空には白く冷たい月が輝いていた
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