Friendshipは船と港 ~藤田くらら 小6でTOEIC980点までの軌跡~

小学6年でTOEIC980点を取った女の子のお話。中学1年での、学校体育時の事故が原因で「脳脊髄液減少症」を発症。寝たきりから「復活」の兆しが…

「絶対この高校に戻ってきたい!」と失意の娘が初めて「目標」を持った中3初夏~ 学校が決まるまでの葛藤と諦念の忘備録 ⑩

(続きです) 

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 立命館宇治高校のIBコース

立命館宇治高校は、今の娘が通う高校から急行電車で1駅の京都南部にある私立高校で、世間にはスポーツと英語に力を入れている学校として知られています。

言うまでもなく、関西では有名な立命館グループの一つで、ここにはIB(インターナショナルバカロレア)というコースがあるのですが、生徒は帰国子女がほとんどです。授業は国語を除いて全て英語であるため、一般の公立中学から入るのは難しいのですが、それでも頑張って入る子はいるようです。

 

葺合高校のカリキュラムが娘には適していないと判断した後、病が言えぬまま3年生になった辺りから私はこの学校のことが時々頭裏に過るようになりました。存在は知っていましたが、切羽詰まっていたその時までは、娘に行かせようなどと考えもしなかったところです・・・


理由は、「学費がものすごく高い」ということでした。ただでさえお高めの立命館宇治高校の中で、このIBコースはその学費+73.9万etc.の学費が必要なのです.

初年度納入は制服やらPTAやらなんやかんや合わせると凄いことになります。改めて調べてみたのですが…

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初年度納入金200万円の世界です ・・・

 

一般の私立高校とは比較にならない額で、裕福な子弟しか行けないところだと昔から思っていたのです。

 

どうせ行かせるのは予算的に無理だろうけれど、一度IBコースというものの見学に行って久しく遠ざかっている「学校での授業」を1時間でも見学することできれば娘の気も晴れるかもしれないと思ったのです。安易な考えでしたが、娘に打診してみると「葺合の時は行けなかったから、今度は体調が行けそうなら行ってみたい気がするけど…」とのことなので、なんとか運んでいってみようという気持ちになりました。

 

娘が英語でのびのび学習できるのはここくらいのレベルの所であるのはわかっていましたけれど学費が(庶民には)天井を超えているため、ものすごく悩みましたが「一度見学して先生方に奨学金の話などあれば伺ってみよう」ということになりました。

 

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娘を運び無事オープンキャンパスへ

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さすがに私学。立派な建物です。

前日に、京都の家まで娘を車に寝かせて運び、翌日、南に向かいまさにここの階段の近くまで後部座席に寝かせて運ぶという、2日がかりの移動となりました。

このころはまだ昼を過ぎないと起きられなかったため、車の中で眠っていました。

 

まずは、保健室へ案内してもらい、学校説明の時間にはずっと寝かせてもらって、授業2コマにだけ顔を出すというふうにしました。

IBコースは1学年10人くらい?の極めて少人数なのですが、間違えて1学年上の授業の見学となってしまいました。

 

本当に久しぶりに同年代の子供の中にいる娘を見るのは感慨深いものがありましたが、どうしても気になったのは、血色の良い思春期の生徒の中にあって「一人だけ顔色が違う」のが目立ったことです。

 

青白いのではなく、脳脊髄液減少症患者さん特有の土気色です。それを見て、「あぁやはりまだかなり悪いんだなぁ…」と認識を新たにしたものでした。

 

数学と化学の授業を見学した後、先輩たちが学校の紹介をする時間があり、娘も何か聞いていたようです。その様子を見るにつけ、やはり娘は学校で同年代の子供と過ごすのが好きなのだなぁと感じました。

 

その間、時間を無駄にしないように私は進路担当の先生とじっくり話をさせてもらいました。

話のポイントを挙げると、

 

*娘ならおそらくここの学校でも半分より上のレベルに入ると思う

*入試では学校の成績も採点される

*入試の数学は日本のカリキュラムとは違うので特別な勉強をする必要がある

*面接では自分をアピールすることが必要

*要は、学校に来れるまで回復するかどうかの問題

 

という感じで、勿論のことですが、病弱の生徒でもwelcomeという空気ではありません。なんだかがっくりきてしまい奨学金のことは聞き忘れてしまいました…

まだ、訪問学級の勉強さえもやっとの娘にとってこれだけの課題をクリアするのは大変なことだと気が重くなったのが正直なところです。 

 

一方の娘は外国人の先生方に大変暖かく接していただけて…

何回か保健室で休みながらの短い時間の見学でしたが、娘は参加型の授業に興味を感じ、またそれ以上に、外国人の先生方が示した娘への興味とシンパシーを肌で感じたようです。

「英語教育を受けていないのに、読書でなんでこんなに英語ができるようになったの?」と、驚きとともに何度も聞かれて、それまで自尊心を完全になくしていた娘はとても嬉しかったそうです。

そして別れる時には、こう言って送り出して下さいました。

「絶対治ってくるんだよ!僕たちは君が病気を克服して来年この学校で授業を受けられることを信じているよ!」

 

私も、授業を見学しているときに、お写真で拝見した校長先生(立命館大学で教鞭をとっておられるらしい外国人の方)がひょこっと覗かれたので少しお話をさせていただいたのですが、とても温厚な人格者といった印象で、文学者であられるせいか、娘の置かれた苦境を瞬時に理解していただいたようです。

そして、他の先生同様、「娘さんがこの学校に来られることを強く願っていますよ…」と、社交辞令ではなく、心からそう思ってられることをその真剣な眼差しから感じました。

 

こんな風に言われたら、娘がキャンパスを出てお迎えの車に乗り込むまでには、「私は、病気が治ったらこの学校に絶対に行きたい!」という気持ちになっていたのは自然なことです。ずっと寂しかったのですから…

 

そうして、その日は京都の家で泥のように眠り、翌日神戸に戻ろうとしても、娘は疲労困憊で起きられず1日寝かせて次の日の午後に神戸まで運ぶことになりました。

 

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よく行けたねぇ…

次の訪問授業の日、先生に立命館宇治のオープンキャンパスへ4日がかりで行ってきたことを報告すると、いつもの娘の状態を見ている先生は、「よく行けたねぇ、頑張ってきたんやね…」と、びっくりしつつも、娘に初めて確固たる目標と前向きな気持ちが芽生えたことを喜んで下さいました。

その後、数学の先生との話では、中学1年レベルで止まっている数学を少しずつ勉強していって、ある程度進んでから立命館宇治の米国数学の対策をしようかという話になりました。

 

試験は2月なので、あと8か月しかありません。まだ訪問授業で週4時間の勉強をすることすらやっとなのに、これはちょっと無謀だな…とわかりつつも、娘にはそういうことをとても言えない雰囲気となっていたのです。

 

でも、あんなに苦労したのだから、本当に行ける状態になっていたら、どんなことをしてでも希望を叶えてあげたかったと今でも思います

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娘は1年後のここにいる自分を想像していたかもしれません(立命館宇治高校図書館にて)

 

しかし、梅雨に入ってから娘の体調は下り坂となり、この希望も儚く消えてしまうことになるのです…

 

(続く)

 

 

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