Friendshipは船と港 ~藤田くらら 小6でTOEIC980点までの軌跡~

小学6年でTOEIC980点を取った女の子のお話。中学1年での、学校体育時の事故が原因で「脳脊髄液減少症」を発症。寝たきりから「復活」の兆しが…

緑の道を歩きカッコウの声を聞く日々

現在、のんびりした場所でゆっくりと時間の流れに身を任せています。

ここでは、小規模のショッピングモールは(コロナだからというわけでもなく)7時半に締まり、日が落ちてからは部屋をでるのは憚られるような闇に閉ざされます。

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考えてみましたら、この手の環境の中に身を置くのは、私は少女時代以来、娘は生まれて初めてとなります。

京都の西山の麓で育った私は、小学校時代はいつも男の子の中におり、学校が終えると家にランドセルを放り込んで友達と集合。

家の前の大きな銀杏の木をどこまで登れるか競ったり、車道で(!)ドッジボールをしたり、西山の竹林を遊び場としてモリアオガエルの卵を見つけたり、10メートルほどの赤土の崖を登ったり上から木の板を橇代わりにして滑り下りて吹っ飛んだり、冬は道に張った氷でスケートのまねごとをしたり、夏のある時は西山にカブトムシやクワガタの捕獲に出かけてスズメバチに刺されたり、自転車で松尾の奥地まで遠出をして冷たい川で泳いだりと、その時代だから許されたような実に危険な遊び三昧の日々を送っていました。

 

一方の娘はというと、遊び場といえば小さい公園しかない住宅地で、英語のアニメやドラマのテレビを見て、本を読んでバイオリンを弾くという、私とは正反対の静的な毎日を送ってきました。

 

京都大学付属病院の大病棟で誕生してから、向日市の駅と駅の間の住宅街で幼少期を過ごし、大阪の上本町、近鉄YUFURAの真ん前のマンション(家賃5万ちょいのUR賃貸で2か月間毎日何回も空きを尋ねる電話をしてやっと確保できた物件)で「5か月間」これ以上は望めない超便利な生活を味わい、息子の体調が崩れ寝込んでしまったため京都に戻るも束の間、その年の終わりには息子の「まさかの進学」のために神戸の東灘の商店街に移りました。

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ここでは、アーケード一本の両脇にスーパー2件、郵便局、銀行、整骨院、ボランティアセンター「こもれど」、そして凄いことには卓球場まで揃っていて、台風の時もマンションの裏口から傘も持たず濡れずに移動できるという、上本町とはまた違った意味での快適生活でした。終の棲家を見つけてもいいくらいに気に入っていましたが、中一の事故以降はめったに足を踏み入れることもない「禁断の地」となってしまいましたが…

 

この商店街の極楽生活に終止符が打たれたのは、娘が中一の夏休みのこと。ここで「被災(住宅が住めない状態にされた)」をした私たちは家主や工事業者との交渉を続けましたが決裂、3か月のジプシー生活を経て仕方なく自腹を切ってやっと新しい住処に落ちつくことができたのです。そこは裏口から中学校まで徒歩1分の距離で、学校事故に遭うまでは楽な登校生活を送っていました。

 

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このように、娘は生まれてからずっと自然の少ない場所で過ごしてきたのです。

そして、今回の引っ越しでは、昨年母に先立たれ依然として寂しさの中に生きている「おじいちゃん」のところへすぐに行ける距離の京都市の郊外に住むことになりました。

 

神戸時代は窓を開けると2号線の騒音が生活の通奏低音のように聞こえてきましたが、ここは違います。窓を通り抜ける風に乗せられて「カッコウ、カッコウ…」という可愛い美声が時折入ってきます。

少し歩けば、緑に囲まれた遊歩道が続いており、娘も朝すっと起きられた時には一緒に散歩をしました。

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激動の日々を経験した後には 野に咲く花の可憐さにも心打たれます

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この写真を撮ったのは5月の初旬でしたが、この後、娘は驚くような行動にでました。それは次回に・・・ 

 

 

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