2020年4月末の某日、5年間の神戸暮らしで増えてしまった3LDK分の荷物の箱詰めを終え、何とか京都まで運んでいってもらえる状態となる朝を迎えました。
すべての思い出がこのトラックの中に圧縮され、ドアが閉じられると最後は文字通り「封印」をして、私を残し娘の待つ京都へと出発しました。
2時間足らずで私たちの神戸生活の空間は「無」に帰りました。溢れかえっていた荷物がすべて姿を消した家の中、やけに広い空間に取り残された空虚感を感じる間もなく清掃を始めます。
実は、娘の事件以前にも住居のことで理不尽な苦境に陥っていたのですが、その時から並々ならぬお世話になった方からサプライズでの豪華弁当の差し入れがあり心暖まりました。
段ボールに占拠されているであろう京都の新居の整理も気になるので少し早めにお昼を頂くことにしました。
「何とか終わった…」と一息ついて、何もない部屋でポツンと座り、のどかな空気の外が見える娘の部屋の窓際での最後のお食事となりました。
海の幸満載のお弁当をしみじみと味わいながら、何だかやっと「本当に神戸を離れるのだ…」という気持ちの区切りがつきました。
窓からの見慣れた景色を「これが見納めになるのだなぁ…」と、写真に収めました。
この時の心を映し出ているのか、嵐が去った後のようなうららかで清々しい空気が満ちた風景です。
ここ以前に住んでいた所をひどい形で追い出されることになり必死で部屋を探し求めていたとき、この見晴らしの良さが決め手となりここに移ってきました。
裏口から徒歩1分の中学に登校する中学1年の娘を、ベランダから手を振って送り出しました。娘は裏庭へ出ると必ず振り返り遥か上にいる母親に向かって満面の笑顔で手を振り、楽し気な確固とした足取りで学校へと続く道へ消えてゆきました。
その頃は、流星群が来た時や月食の時にはこのベランダに折りたたみ椅子を持ち出して夜更けまで娘と二人でずっと南の空を見つめていました。そしてそのずっと後、ブログで徹夜した翌朝は一人で朝陽が昇るのをまぶしく眺めました。
この窓からの風景は私たちの神戸生活の感情歴史を映し出す鏡であり、神戸での悲しみと希望のドラマの目撃者でもありました。
非凡に密度の高い時間を過ごしたこの場所を去る時間が近づきます。
後に大掃除にのため再び訪れることにはなりますが、我々の生活実態の余韻が残る空気を感じるのはこれが最後となります。
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そろそろ京都へ向かわねばならぬ時間となり、一つ一つの部屋に別れを告げながら玄関へとゆっくり歩を進めました。
さようなら、神戸東灘での喜怒哀楽の心象風景を映し出した窓
さようなら…
病に苦しむ二人の子供を我慢強くその懐に抱いてくれた各々の部屋。
左の部屋で長期間臥せっていた息子がここから巣立つと程なく、右の部屋の娘が事故に倒れ長い闘病の日々を送ることになる
さようなら…
私がかつて「絶望の一人酒」を飲み、その後、救いを求めるかのごとく夜通しブログに向かう姿を明るく照らしてくれた華麗なイタリアンシャンデリア、
そして、頭が正常に働かぬ娘に水浸しにされ、その後の回復で2年ぶりに簡単な料理をし始めるに至る心情の連なりを優しく受け入れ包んでくれた、素晴らしく使い勝手の良いシステムキッチン
さようなら・・・
レトロな風合いが暗い心に寄り添い落ち着きを与えてくれた玄関からの眺め。仕事から帰り、物言わず眠り続ける娘の部屋へ直行し息をしているか確かめたあの冬の日々
さようなら、娘が中学生である時期の殆どの時間を過ごすことになった優しくも切ない時間と場所
そして、娘の「事故と闘病と復活」のドラマの入り口の扉を開けることとなった5本の鍵を返却する
さようなら、
怒りと祈りと感謝の時間
さようなら神戸、
生涯忘れえぬ
試練と祝福の地
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