お正月2日目となりました。
きのうの元旦は、周りの空気を読んで「100%プラス思考」でゆくつもりでしたので、敢えて、初夢の事は後回しとなりました。
後半は、ファッションブログの真似事のようになってしまいまいました。
「娘のスタイルがよい!」との反響を寄せていただきましたが、ひとえに、スマホカメラマンである私の腕がよいということに他なりません。至って普通の日本人体型ですが、写真は撮りようによって、このように見せることができるのですね。
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元旦のブログの裏の意味
どんな物事にも裏と表の意味があります。
昨日は、敢えて表の意味で最後までポジティブ思考で通し、裏の悲観的な要素は出ないようにしたのですが、ここのところを、鋭く感じ取られている方はしっかり感じておられたようです。
つまり、竜宮城に行っている間に年を取って、地上に戻ると、母親も亡くなり住んでいた地域の風景も見知らぬものになっていた浦島太郎の悲哀が、日本では誰もが知る物語としてあるわけですが、あのような心境に娘はなっていると思うのです。
浦島太郎は、地上での空白の期間に、竜宮城ですこぶる良い思いができたのだから、まだ救いがあるでしょうが、娘は、眠り続けた期間、本当に何もできず、1年以上の期間を無為に過ごしました。
最後の子供時代の貴重な期間が奪い去られました…
子供から、年頃の少女へと移行するこの期間、「本来なら色んなことを経験できただろうに…」と思うと本当に不憫でなりませんし、現在娘を苦しめ、トラウマとなっている「辛い思い」が形成されてしまった大きな要因は、この空白の期間にあると思うのです。
周りの子供が、小学校を出たばかりの子供っぽい時期から、中2、中3と進む間に、勉強も人によっては高度なレベルをこなし、部活での人付き合いでも、大人社会の人間関係の原型のようなものを経験し、異性への思いに目覚めたり、先生を通して大人との接し方にも変化が現れるという、実に、人間の一生の中で人が最も大きく変化する時期だったと思うのです。
そのような大事な時期と時間を、周りの友達と一緒に、どころか、人間社会から隔絶されたところで、想像できない寂しさと、学校や勉強で落伍し、忘れ去られる恐怖を感じながら過ごすしかなかったというのは、子供にとってかなり壮絶な経験だというのは間違いありません。
(以前から、このような訴えを繰り返し書いているのは、これを言い続けないことには、娘の中学生活を破滅させて知らん顔で生きている当事者達に、娘の苦しみが何1つ伝わっていないという実感があるからなのです)
そして、初夢は…
娘が小学校1年生に戻っていました。私が、綺麗な木造の学校に入り、娘のクラス「1年2組」を探そうと、校舎の中をぐるぐる回っているのですが、ついに見つからなかった、というものです。
学校の夢は、以前、凄まじいものを見ていました。・・・
今回は、このような、現実でやり場のない怒りの想念による破壊行為をしたいという衝動は全くありませんでした。
それに代わって、「見つけたいものが見つからない不安と焦り」を強く感じていたのです。
夢解釈になりますが、
夢の中で娘が小学校1年に戻っていたのは、「まだ、いじめも学校事故も経験していない、まっさらな幸せ状態だったあの頃に、娘が戻ることができたらなぁ…」という私の潜在的願望が現れていたのかもしれません。
そして、見つからない教室というのは、現在の娘の、「半年後には一体どうなっているのかわからない」宙ぶらりんの状態を表しているのでしょう。
或いは、現在の原籍校には「娘の居場所は最早なくなってしまっている」ことを、私も娘もはっきりと感じていることから、もうたどり着けない存在としての中学校の「教室」が夢に現れたのだと思います。
原籍校には、もう戻れないことを確信したのは、昨年のクリスマスイブの日でした。それまで、娘はよく同じ「悪夢」を見ていたのですが、私にはただの不安の表れと捉えていました。
娘は、今でもこの悪夢に象徴される思いに、苛まれ、寝つけなかったり、布団の中で度々泣いているということを、最近の娘の告白で知りました。
でも、12月24日のある人達の訪問により、その悪夢は、取りも直さず、この学校事故の顛末を全てを見抜いていた娘の直感が見事に視覚化されたものだとわかったのです。
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