Friendshipは船と港 ~藤田くらら 小6でTOEIC980点までの軌跡~

小学6年でTOEIC980点を取った女の子のお話。中学1年での、学校体育時の事故が原因で「脳脊髄液減少症」を発症。現在はほぼ寝たきりとなり1年が経過しました。

1年2か月ぶりに制服を着た日

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このタイトルを見て、「おっ、娘さん劇的な回復をして、とうとう中学校に復学できたのか!!」と思われた方がきっとおられるであろうが、それは見当違いである。このような紛らわしいタイトルを選んだことをお許し願いたい。

 

娘が学校事故に遭った時から1年2か月もの月日が流れた。明日の晴天を願う「てるてる坊主」のように、学校へ早く戻れるよう枕元にハンガーで吊るしてはあったが、今日まで全く着る事のなかった制服に、久々に袖を通したのは、可愛がってくれていた京都の祖父、「公園のおじいちゃん」の葬儀に参列するためであった。

 

葬儀は午前中始まりということで、当日の朝出発することは現在の体調では100%無理と判断し、前日の午後に出発することとなった。

 

午後の3時頃に無理やり覚醒させ、最寄りの駅までタクシーで運び、電車に乗せた。席が空いていたのは実に幸運だった。電車に揺られ始めるやいなや、つい一時間ほど前まで熟睡していたというのにのに、早速うとうとが始まり、西宮を過ぎるころには熟睡モードに入った。やはり、この睡魔は普通ではない・・・


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 そうして、特急に乗り換えのために、梅田に到着するころには、完全に「落ちて」いたため、起こすのに往生した。


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苦労して何とか京都まで連れてきて一泊。そうして、翌朝、葬儀に向かうため、枕元で名前を呼んで起こそうとすると、予想外に簡単に目覚められたので驚いた。なんと、祖父の死に直面する悲しみと緊張のあまり、眠りが浅く、何度も起きてあまり寝て居ないという。 こんなことは、事故以来一度もなく、弱った心身に祖父の逝去の知らせは余程堪えたのだなと察した。

 

朝食を簡単にとって、と思ったが、しんどくて口に入らないという。そのまま駅に向かい、阪急電車に乗り親族と待ち合わせの桂駅に向かった。

 

あんな事故に遭わなければ、毎朝、こんなふうに制服を着て友達と元気に通学していたのになぁ、と、いつもの寝たきりの姿との乖離を思うと心がしんみりとなった。


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 (玄関を引きずるように連れ出したため、靴にまで気が回らなかった・・・)

 

葬儀の前に、久しぶりに会う年の離れた従妹たちと談笑した際、「身長が伸びたねぇ~、抜かれちゃったわ!」とびっくりされた。それも其の筈、ひどい時は一日中眠り続ける日々が何か月も続いたのだから成長ホルモンが出まくっていても不思議ではない。

 

寝たきり状態になってから、男の子の成長期のように、一年で10センチは伸びていて、166~167センチという高身長になってしまっている。

 

平均身長かそれ以下の多い、親双方の家系にあって、この身長の伸びは尋常ではなく、血液検査で「栄養が足りていない」と言われても、歩いたり運動ができなくても、成長ホルモンはその影響を受けずに睡眠時間や睡眠の深さに比例して出ているものなのだという一つの例証となるのではなかろうか?

急激な身長の伸びに、循環機能の発達が追いつかない事から、立ち眩みや、低血圧などの起立性調節障害のような症状がでているのかもしれない。

 

告別式が始まり、僧侶の読経の声が響く中で、ご焼香を済ませた娘は流石に限界が来たのか、控室に戻り畳の上に横になりうとうとしていた。

そして、お祖父ちゃんとの最期の別れをする際に戻って来た娘は、泣きながら棺一杯に樒を敷き詰め、その中で安らかなお顔で眠るお祖父ちゃんに、最後の別れを告げた。

2年前に神戸新聞に載った、娘の満面の笑みのTOEIC980点記事を印刷し、きちんとフレームに入れて飾りいつも眺めてくれていたそうだ。亡くなる間際まで、期待の孫娘を襲った悲運を嘆き、一日も早く元気になることを願ってくれていたお祖父ちゃんであった。

私も、心の中で、「きっとこの子が元気になって笑顔で生きられるように、命に代えてでも病気を治して社会に戻してやります。どうぞ娘を見守って、願わくばあの世から力を貸してください!」と祈った。

 

無理がたたったのだろう。この夜から、張り詰めた糸が切れたように娘の体調は悪化し、翌日は案の定、果てしなく眠り続けて結局電車に乗ることができず、私だけが神戸に戻った。さらに免疫力が低下しているのか、急性胃腸炎にまでかかってしまい、最後まで電車には乗れず、車で神戸に送り返してもらえるまでになるまで、一週間京都に置きっぱなしとなった。

 

 

果たして卒業までに、再びこの制服に袖を通す日は来るのであろうか?

それは神のみぞ知る、だ。

 

*「公園のおじいちゃん」のあの世からの神通力なのかどうか定かではないか、このお葬式の日を起点として娘の境遇にある変化が起こり始めた。「体調」ではないが「境遇に」である。

それは後日書くことにする