Friendshipは船と港 ~藤田くらら 小6でTOEIC980点までの軌跡~

小学6年でTOEIC980点を取った女の子のお話。中学1年での、学校体育時の事故が原因で「脳脊髄液減少症」を発症。寝たきりから「復活」の兆しが…

娘には叶えたい沢山の夢があった

学校事故の前日まで、娘にはたくさんの夢があった。

  • 部活の卓球部でレギュラーになって部活の友達と各地を転戦する夢
  • 「超柔軟性と音楽性」を武器に中1で始めたバレエ。大好きな「エスメラルダのバリエーション」を(お楽しみレベルで)踊れるようになりたいという夢
  • 生まれて初めて学習塾に通って、本気で勉強に集中して志望校に合格する夢
  • 趣味のバイオリンでは、中二のうちにカルメンファンタジー全曲と、ウィニャフスキー(Wieniawski)のコンチェルト2番を通して弾ききる夢(これは私の夢でもあった)
  • 神戸市の市立中学の代表団に選抜され、姉妹都市のオーストラリアのブリスベンに親善大使として加わる夢
  • TOEICで満点を取り、国連英検特A級にもチャレンジする夢
  • 高円宮杯などの色んなスピーチコンテストに個人や学校の仲間と出場する夢
  • 高1から、給費留学を受けて英語圏に留学する夢
  • 地元のボランティアセンターで既に、英会話のクラスを持ち何回か子供達に教えていたが、更にボランティアに来ている大人の人対象のクラスも作るという夢

等々・・・


中でも、バイオリンは娘とともに成長してきた双子の姉妹のようなものだ。元気な時は、地震が来ても、背には防災バッグを担ぎ、手にはバイオリンケースを抱えて逃げるつもりのようであった。
3歳の頃から、病気の日と旅行以外は、毎日少しでも練習した。
娘が触れなくなって一年、いつか娘が弾ける日のために私がたまに音出しをしている。硬い硬い音になってしまっており、力なく寝たきりになった娘の心情に共鳴しているようだ。

山積みの洋書も持ち主に読んでもらえず埃をかぶっている。幼少のころから繰り返し読みふけっていた、こちらも娘にとっては分身のようなペーパーバックたちである。何処に行くにも必ず何冊かバッグに忍ばせて、いつも一緒だった物語の山・・・


進学ももう完全にアウトだ。
この春から中三。神戸市東灘区の文教地区にあるこの中学ではもう周りは完全に受験体制に入っている。中一のまま時が止まっている娘にとっては、例え病状が回復してきても、一年分以上の学習がすっぽり抜けた今の状態では、希望の所を3つくらい落としても合格を貰うことは客観的に無理であろう。成績もオール1という状態なので内申重視の兵庫県の公立高校は絶望。
どこか、いわゆる「一芸」だけで入れてくれるところはないであろうか?あくまでも、こちらのニーズと合っている所でないと意味は無いが。

本人もそれがわかっているので、「もう無駄な抵抗はやめた・・・」とばかりに、目を開いているときもただただ音楽を聴いて小さな声で歌っているだけだ。


子供が病気により長期欠席を強いられるのは残酷だ。
大人も勿論苦しい思いをするが、子供は子供ならではの心理的事情も介在する。
比較すること自体が不謹慎な事は承知ではあるが・・・


明舞中央病院の脳脊髄液減少症の大人の男性の患者さんもこう言っていた。

「この病気になって、仕事もできなくなり、なんで自分がこんなしんどい目に合わなくてはいけないかと苦しんだ。でも、一緒に入院している子供を見て、もっと可哀そうだと思ったよ。
私は、幸せな子供時代、青春時代を送れたけど、子供でこの病気になったら本当に気の毒だ。
大人でもこれだけ辛いのだから、子供は100倍辛いと思う。そんな子供を前にして、大人である自分は嘆いていられない・・・」


学齢期の子供にとっては、学校という社会を奪われることがどれほど辛い事か・・・
友人関係を奪われ、勉強の機会を奪われ、進学の機会を奪われることになり一日一日、ほぼ眠るだけで無為に過ぎていく毎日は、本人は勿論、それを傍で見ているしかできない家族の者にとっても拷問のような日々である。

 
元気である筈の子供という生き物がそのエネルギーを奪われ眠り続ける姿は不条理の極みだ


色んな可能性が、輝かしい未来が少しずつ確実に消えてゆく。手に掴んだ砂が指の間から零れ落ちてゆくように・・・

既に娘は多くの夢を奪われた。自分が一番わかっているはずだ。

「私は音楽を聞くことに逃避している。心が壊れないためにはそうするしかない」
 by 娘