特別支援学校の教頭と担任、私、原籍校の学年主任、担任、進路指導担当、という6人が原籍校図書館で対面しました。その続きです
娘の無念を涙ながらに代弁した
号泣で始まり、 先生方は、無言でこちらの切実な胸の内を聞いておられた。
しかし、今回は進路についての話であるので、このへんは聞き流しモードであったのかもしれない。
進学先なんて、今のこの体調では決める事はできない。そもそも午前中が起きられないのだから、全日制に行くのが今現在はまだまだ無理なのだ。
しかし、福山のブラッドパッチで、体調に目に見えて良い方への動きがあったためまだ諦めてはいない。1月の正月明けの福山行の新幹線を切符も買ってある。
私は、号泣は自分でも予定外だったが、娘が高校受験のスタートラインにも立てなかった事に対する無念さをできる限り代弁した。言葉にしないとこの人たちにはわからない。今まで、娘の気持ちを「察して」行動してくれたことは、ほぼない。中学生が2年の時間を奪われることの計り知れない損失には思いが至らないのだ。
学校側としては、「どこでもいいから、どこかに入った形で卒業させたい」ということなのだろう。
それから、この事も今回ははっきり伝えた。
「娘が、病気の悪化に加え、孤独と疎外感で生きる力を失くしている時に、なぜ、先生方は、徒歩1分の距離なのに、一度でも顔を見に来てくれなかったのですか?」
という、今でも理解できない冷たい対応のことだ。
先生方は、相槌を打つ以外は、特に意味のある返答はされない。
そして、すぐに、具体的な進路の話になった。こちらの苦渋の要望に対し、
「学校は、できる限りのサポートをしたい。校長先生もそのために動いてくれている」
ということを強調しておられた。今度は、約束を破られないようにお願いしたい。
こちらとしても、「最悪の状況の中での最善の選択」をせざるを得ない場面であるので、進路については、なるようにしかならないと思っている。
もし、娘が、4月までに通える状態になればという前提付きであるが前向きな気持ちで話をしようという気持ちであった。娘が学校に通うなんて、今となってはもう「架空の世界」の話のような気持ちはするが…
その他、大事な話として、娘の学籍をどのように原籍校に移すかということがあった。移さないと調査書を書いてもらえなくなるのだ。
自分の苦境に手を差し伸べてくれた「支援学校」の生徒として卒業を迎えたい娘にとって不本意であるが、これは仕方がない。
支援学校の教頭先生もかつて言われた。
「この社会では、実際良くない事ですが、『支援学校を卒業』と言う事実に対する、偏見を持つ人がいるあるようです。お気持ちはわかりますが、やはり原籍校で中学を卒業されるのが娘さんの将来のことを考えるとよいのではないかと思いますよ」
私と娘にとっては、誇るべき特別支援学校であるのだが、制度的にも、支援学校のまま卒業というのはとても難しいという理由も今回の面談でわかった。
この状態で、娘の気持ちを少しでも汲んだウルトラC、
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
という提案が、支援学校の教頭先生から出されたのだが、実現可能かどうかを現在、検討してもらっている。
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舟を漕ぐ男
このような、私の号泣から、両方の中学の代表、校長、教育委員会を含め、一人の重大な被害を負った生徒のこれから卒業までの非常に大事な話がされている中で、ふと、対面の右端に座る教員のほうに目をやった。
ガックン…ガックン…と、何度も前のめりになる五分刈りの頭。
え、まさか・・・・、この人、居眠りしてるのか?
こちらが、あまりの悲しさと無念さで大泣きしつつの訴えかけから、さほど時間は経っていないぞ!
おい、おい!それは、あまりにこちらを馬鹿にしてるのではないか ⁉
私は、立ち上がり、両手で机を バンッ!!!と叩いて五分刈り頭をしゃんと起こしてやろうと思った。
が、やめた。腹立たしいと言うより、呆れるあまり脱力感に襲われてしまったのだ。
その教員の真ん前には、支援学校の教頭先生が座ってられたのだが、教頭先生も、
「信じられない・・・アンタ、この場でそれはあかんやろ…」
という表情で、目を見張っておられた。
考えてみると全く意外なことではなかった。
そうだ、事故発生から、万事この調子だったのだ。私が学校に足を運んでも、教員の誰一人として「くららさん、どうですか?」と、娘のことを聞こうともしない。その後も誰一人として、娘の様子を気遣い訪ねてきてくれた人もいない。
今までは、もしかしたら、緘口令が敷かれ、関係教員以外に娘の事故の事は漏らさないようにしていたから誰も知らないのか?と勘ぐっていたが、そうではないのだろうと今は思う。
明らかに娘の事故は知っている。そして、その母親が、自分の前で号泣するという、被害生徒の悲壮で壮絶な痛みと苦しみが目の前で繰り広げられても、その直後に居眠りができるという事実・・・事件の重要性も感じず、全く危機感を持っていないということだろう。
先生を職業とする人の中には、生徒が人生が狂う程の打撃を受けようが・・・いや、おそらく、生徒が死のうが生きようが、所詮は、他人事であり、その痛みのかけらさえも感じることのできない人がかなりの割合でいるのではないだろうか。
だから、この社会では、死ぬほどの苦しみを抱えた沢山の子供が、先生の対応が引き金となって実際に命を落としてしまうのだろう。
この居眠り対応には驚き、改めて深く傷ついたが、今まで私が学校に対して折々感じてきた異常な無関心と不自然な冷たさが集約された行為だと思うと、ストンと納得がいった。
私が、「号泣」で娘の気持ちを代弁したように、この先生は、「居眠り」で学校の姿勢を代弁してくれたのだ。
そう思うと、全てのパズルのピースがはまったような、達観の境地らしきものが開けた気がする。
ほんとうに、ある意味、多くの学校事故に共通する、被害生徒と学校についての清々しいほどの見事な構図が展開されていたのだ。
帰宅後、いつもは何でも語り合う娘には、さすがに可哀そうで言う事はできなかったが…
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