Friendshipは船と港 ~藤田くらら 小6でTOEIC980点までの軌跡~

小学6年でTOEIC980点を取った女の子のお話。中学1年での、学校体育時の事故が原因で「脳脊髄液減少症」を発症。寝たきりから「復活」の兆しが…

娘の身心の「深すぎる傷」を実名で晒し続けはしたけれど…

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12歳のままネットの中で生き続ける藤田紅良々
 
12歳のネットの中の娘に全ての命運をを託した

今年3月2日に一つ目の記事を書いた。 

既に、本人の預かり知らぬ「ネットの世界」の情報網の中で、頻繁にやりとりされる存在となっていた娘を実名で表記することについて迷いはなかった。

 

その時点で、学校事故から1年が経過し、娘の人生が既に変わってしまったことは確実であった。おまけに回復の兆しを微塵も見せず、昏睡を続ける娘と同じ空間にいることで、私の人生も終わったも等しい気がしていた。

娘は、人としての心身の機能を奪われた状態であった。何の責任も果たさぬ学校、加害者、そして周りの何も知らぬ人々の中から忘れられ、取り残され、我々は社会の最底辺を這いずり回っている感覚だった。

 

ただ娘の苦しむ姿を見るだけの毎日を抗うつ薬と抗不安薬でやり過ごすしかできぬ自分の情けなさを感じていた。もう、私には「生きている」=「受難」という実感しかなく、既に自分の命に対して何の未練もない状態であった。

 

娘は文字通り、「全て」を失っていた。でも、幸い「ネットの中の娘」はまだ生き続けている。どこまで世間の人の記憶に残っているか正直不安はあったが…

 

でも、私は、ネットの中で12歳のまま生き続ける娘に、14歳で実質社会的に抹殺されている娘を救済してもらうべく、全ての命運を賭けることにしたのだ。

 

それ以降、学校事故被害者である娘に「人間としての尊厳」と「子供として必要な教育を受ける権利」を回復する際のあらゆる試みは、12歳の少女、「小6でTOEIC980を取った藤田紅良々」と供にあった。

 

実際、「12歳の藤田紅良々」により発信される14歳の娘が置かれる苦境は、幸いにも多くの人々の耳に届いた。この時点で、「状況」が変わり始める。

その訴えは、あらゆるハードルを越え、少なからぬ支持と協力も得られ、それから黒一色だったあらゆる局面の色を少しずつ明るい色に塗り替えていった。

「12歳の藤田紅良々」なしでは、多くが不可能だったと思う。

 

その意味で、このブログの語り部は母親である私という事になっているが、一連のブログの記事となる事象のプロットを築きあげてきたのは「12歳の藤田紅良々」ということになる。

 

実名を出すことの危うさ

 

お子さんの病気ブログをされている方は多いが、実名というのはほぼ皆無だ。これは、子供の実名を晒すことの危険さと、身元が判明している状態でブログを発信することの困難さを意味している。

なので、記事1つ書くにしても細心の注意を払い、倍ほどの時間がかかっていると思う。睡眠を削り、何度も表現を練り直し、本当は書きたいが実名であるが故に削除をしたりと、実にフラストレーションがかかる作業となる。 

 

でも、実名を晒すことで、「この輝いていた12歳の少女が、社会から抹殺されたような状況に陥ることがあり得るのだ」という、一見非現実的な話に、ありのままの現実感を持たせることができていると思う。

 

また、実名を出すブログで、社会に注目をされることで、新たな責任も生まれると感じている。知らぬうちに「脳脊髄液減少症」という看板を背負っての発信しているという側面も確かに実感している。

 

個人としての、「娘」の、人権回復と社会復帰へ向けての闘いと、「脳脊髄液減少症患者」として、医療や保険の制度からの救済が不当に得られていないこの難病の周知と待遇改善への願いである。

 

そのためには、それに繋がる道がどれほど険しく、患者の受ける身体と精神の「受難」がどれほどのものかを、写実的に残すことが必要だと考えている。

 

ブログで扱う所の、「教育委員会」や「学校や先生」は、シニカルに描くところも多いが、それはそれらの個々を攻撃する意図はなく、学校事故で、そして脳脊髄液減少症が舞台となれば、ある程度共通してみられる事象だということであり、その典型として書き残すという意図がある。こういう非常事態でさらけ出される、組織としての普遍的性質と言えるかもしれない。

 

娘の実名を晒してこれらを書くことで、相手方もある程度身元特定がされてしまい、気の毒なところはあるが、娘がこの2年近くに味わった地獄は、そんなものの比ではないので、それは、公的教育機関組織に属する大人として、しっかりと受け止めて頂きたい。

 

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実名を晒してもまだまだ足りないもどかしさ

 

ここまで、娘の名前や姿や状況を晒す形で捨て身で、周知を心がけてきたが、解決すべき問題はまだ山ほど残っている。

昨夜は実家で久々に枕を並べて寝たのだが、娘は、長時間、語っては泣き、語っては泣きを続け、事故発生以来、心に刻み込まれてしまった「不安と苦しみの想念」に今でも夜な夜な苦しめられていることを告白した。

 

母である私は、病気治療と学校関係に奔走しすることで、少しは状況を改善してきた気になっていたが、娘の精神的なダメージは想像以上に大きい事を実感した次第だ。

 

今年最後の日になって新たな問題を突き付けられた形になり、本来ならば、明るい話題で締めくくりたいところであったが、とてもそんな気になれず、相変わらずのこのブログの藍黒いカラーで最終のブログを終えることとなってしまった。

 

来年こそは、何とか娘に幸せになってほしい…

 

(今日まで、ブログを熱心に読んで下さった方々、お陰様で何とかここまで続けてこれました。皆様、どうぞ、良いお年をお迎えください!)

 

2020年も引き続きこのカラーで書き続けます!下の2つの画像に「ランキング応援クリック」をして頂くことが、結果的に娘の幸せに繋がるのでよろしくお願いいたします。

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