Friendshipは船と港 ~藤田くらら 小6でTOEIC980点までの軌跡~

小学6年でTOEIC980点を取った女の子のお話。中学1年での、学校体育時の事故が原因で「脳脊髄液減少症」を発症。寝たきりから「復活」の兆しが…

号泣の三者面談 

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ヨーロッパ中世のカテドラルのファサードのような兵庫県立長田高校
 
あまり行きたくないが・・・

 

クリスマス前に、原籍校での3者面談に行った。進路をほぼ決定する時期がきたからである。

3者面談とは言っても、もちろん娘は来れない。体調というよりも、おそらく本人にとっては悲しいだけのこの場に来させるのは拷問に等しいと、支援学校の先生も判断していた。

 

なので、当日は私と、特別支援学校の先生、そして原籍校の先生という、異例の「3者面談」となったのである。娘がいなくても確かに3者ではある。

 

 

原籍校は徒歩1分というご近所であるが、もう1年以上足を踏み入れていない。特に娘が支援学校に籍を移してからは、校長先生の言葉とは裏腹に没交渉に近い形となっている。

 

心理的には、学校へ近寄るのも気持ちが苦しい状態だ。登下校時は、かつて娘が元気なときに着ていたのと同じ制服を着用し、エンジのボータイリボンをつけ、学校名が白く書かれた紺のスクールバッグを肩にかけ、真冬でも短い白いソックスに白い運動靴を履いた生徒を見るとかなり辛いので、この時間帯は必要時以外は決して外へは出ない。

 

こういう状況なので、生徒が学校内で活動している時間も、校門に足を踏み入れるのは過呼吸になるほど苦しいのだ。私でさえ、こんな状態であるのだから、娘はもっと切実な思いを抱えていると思う。

 

なので、3者面談に指定された4時という時刻は、私にとってはまだ「魔の時刻」。生徒がまだ部活で残っており、その元気な毎日変わらぬ活動を見せつけられるのだ。でも当然の事ながらそこに娘の影はない…これが非常に親には堪えるところだ。

 

無理、無理・・・一人で校門をくぐるのは、ちょっと厳しい試練だ。

少し恥ずかしかったが、前々日に、支援学校に電話をして、先生にお迎えに来てもらい一緒に校門をくぐってもらうことにした。

 

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当日が来てしまった・・・

 

当日3時55分頃に、電話が鳴った。支援学校の先生がと到着されてマンションの下で待っておられる。

「じゃぁ、行ってくるね…」と娘に言い、不安げな眼差しで見送る娘を残し、私は駆け足でマンションを降りた。

 

支援学校からは、2人も来て頂いている。教頭先生と担任の女の先生。私はあたかも、不登校の子供が2人の先生に守られて登校するような感覚を覚えながら学校へ向かう。

込み入った話をする間もなく、正面の校門に着いた。そして、本当に久々に学校内に入る。部活動で休憩中の男子生徒達が、明らかに緊張の空気を纏った3人組をじろじろと見つめる、そして元気な声で挨拶。

 

娘がいた頃と寸分違わぬその光景。娘の存在が消えてもそんな事はお構いなしに学校の日常は続いている。

身体が震え、呼吸が詰まりそうになった。そして2人の先生に訴える。

「苦しいです。本当に身を切られるようです。辛いです…」先生方は、私の気持ちを察するような表情をされた。

 

校舎に入ると、原籍校の担任の先生が出迎える。いつもの優しい笑顔。でも優しいだけでは子供は守れないのだ…

 

階段を上がり図書室に通された。すぐに現れたのは、学校事故を当初から担当している学年主任の女の先生。そしてもう一人知らない男性教師の顔があった。

どちら様ですか?」と尋ねると、学年主任がすかさず、

進路担当の〇〇です」ということだ。確かに、今日は進路の話にきたのだからおられて当然だ、と考える。でも、この人は娘が通り抜けた地獄の日々を知っているのだろうか・・・?と、ふと不安がよぎる。

まぁ、誰がいてもよい。こちらが話すことは一緒だから。

あちらは3人。でもおそらく、話をするのは学年主任のみだろう。

 

娘の進路の話が始まった

開口一番、学年主任の先生が言った。

 

「〇〇〇(学校名)がご希望ということですね」

 

支援学校から予め、こちらの学校に伝えてあったのだ。娘が、もし学校に行けるまで回復したら、という前提で、今のボロボロの学力と体調でも入れてくれる学校はここしかなく、支援学校の教頭先生に、その学校名を告げたのは私だ。

 

しかし、いざ、娘をあんな目に合わせてその後冷たく放置した学校側の人間の口を通してその学校名を聞いた時、ここで私の対面を保とうとする緊張の糸が大きな音を立てて切れた。

 

違います、娘の志望は長田高校です!娘は長田高校を目指して2年生から必死で勉強をしていたはずなのです。事故でこんな病気にさせられなければ、今頃、ここの3年生として、毎日教室で勉強して、塾にも通って、普通の中学3年生として、受験に参加できていたのです」

 

涙が溢れて止まらない。

 

「小学校から塾で勉強漬けが大多数のこの学校の生徒の中で、娘は塾にもいかずにあのような成績を取っていました。普通に頑張れば届いたと思います。事故がなければ、今この場で、娘は自分の口で『長田高校を受験します』と言ってました…」

 

この時点で号泣。

 

「でも、娘は何も悪いことをしていないのに、中学生活を奪われて、身体も頭も壊され勉強もできない状態になって、挙句の果てに、名前を書けば誰でも入れてくれるような学校を志望しなければならなくなったのですよ!本人は今でも長田高校に行きたいのです。どれだけ無念か・・・可哀そうすぎます・・・」

 

三者面談は、このような波乱の幕開けとなった…

 

 

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