続きです。
今年4月、神戸市教育委員会の計らいで、特別支援学校に転籍となった娘ですが、その後、校長先生が色々奔走されます。でもそこには、当事者である被害生徒への暖かいまなざしが感じられない気もしましたが、まぁ、今までよりも良い方向に動けばそれでよいかと、当時は深く考えずにおりました。
4月以降は没交渉となって夏休みが来た
校長先生を見かけたのは、4月末が最期となり、5月中旬の脳脊髄液減少症の講演会でもニアミスとなりましたが、結局顔も合わさぬまま月日は過ぎ去り、夏休みに入ろうという時期になりました。
5月から7月中旬まで、特別支援学校の先生と、週に国語と数学を2時間ずつ、中学2年生の教科書から始めました。まだ髄液漏れが続いていたため、最初は、起きているのがやっとという体調で、頭痛が来ては横になって休憩という具合に、先生にうまく対応して頂き何とかその時間だけは勉強らしきことができるようになっていました。
国語と数学で手一杯で、先生が来られない日は殆ど寝ている状態だったため、他の教科は全く手つかずでしたが、校長先生の申し出て下さった言葉を頼みに、夏休みには、理科や社会に手を付けられるよう原籍校の先生方のサポートを心待ちにしていました。
校長先生はこう言っておられたのです。
「娘さんは、便宜上籍は移りましたが、こちらでも全力でサポートさせて頂きます」
「特別支援学校の先生が夏休みにお休みされるような時には、この学校の教員を娘さんの所に行かせるようにします!その時はご遠慮なくおっしゃってください!」
念のために特別支援学校を通じて依頼
夏休みに差し掛かる頃に、訪問授業に来られた先生に相談しました。
「原籍校の校長先生から、夏休みに先生に来てもらえるという申し出を受けましたので、支援学校を通じて、こちらがそのように希望している旨、お伝えして頂けますか?」
この依頼は、翌日には支援学校の教頭先生(支援学校分教室のトップ)に伝えられたということでした。
それから、いつ原籍校から連絡が来るか来るか、と首を長くして待っていたのですが、何の音沙汰もありません。
このような申し出、私の性格では自分から口に出すのは到底無理なもので、「まだですか?」などと催促などとてもできません。以前、恐る恐る少し打診した際に軽くスルーされたこともあり、気持ちが前に出ませんでした。
連絡を待ちながら「きっと学内の生徒さんへの補習授業や夏期講習でで忙しいのだろう」とか「部活の引率で手が開かないのだろう」などと、様々な理由を考えて、そのような健康な生徒さん達への指導を終えてからきっと病気の娘の所にも来てくれるはずだと思い、じっと待っていました。
娘も、「いつ来てくれるのかなぁ…」と呟きます。
しかし、そうするうちに7月は過ぎ去りました。
少し不安になってきた折、8月の初旬に「こども病院」の診察があり、院内学級の教頭先生が下の待合室まで下りて来られてお話をする機会がありました。
一番気になるこの件について、まずは確認しました。
「教頭先生、あちらの学校へは、「先生が来て頂く件」は伝えて頂けていますでしょうか?」
すると、教頭先生は驚いた顔をされ、
「まだ、誰も先生が来ておられないのですか⁉」
と、信じられないというような表情で話されたのです。
「うちの教師から報告を受けてすぐに、あちらの学校に電話をして『校長先生が直々に言われたということですが、夏休みに教師をサポートに行かせるというお申し出を藤田くららさんが楽しみに待っておられますので行ってあげてください』と、ちゃんとお願いをしておきましたよ。なんで来られないのでしょうかねぇ…」
どの人物の元でこの申し出が反故にされてしまったのか?
電話を受けられなのは校長先生ではありませんでしたが、支援学校分教室のトップからの依頼です。申し送りがされないことは普通は考えられないでしょう。
学校の先生を、超近所とはいえ、学校長の意志として、夏休みに学外に行かせるということならば、当然校長の裁量が必要なのではないかと思います。
誰が電話を取られたかはここには書きませんが、もしもその方が、学校事故の被害者で何の補償もしてもらえず、1年以上教育が受けられずにいる可哀そうな状態の一人の生徒=娘のことを時々でも思い出して案じてくれているなら、こんな大事な要件を伝え忘れる、というようなことはありえないでしょう。
なのでおそらく、管理職には伝わった筈だと考えます。そこで、理由はわかりませんが、夏休みの娘へのサポートは必要ない、又はできないという判断になったのでしょう。
言い出しっぺの校長先生本人はどうなのでしょう? 万が一、電話を受けた先生が、致命的過失で、完全にその事を忘れて校長に伝えなかったとします。
でも、夏休みになって、現在学校で一番悲惨な境遇にあり、そうなった責任が学校にあるという生徒が、今どうしているのだろうかと一度でも考えでもしたら、自分の口から出た約束の事を思い出したのではないでしょうか?
いずれにせよ、それまでの対応で、娘は軽んじられ、優先順位が一番低い、生徒のカーストの中では最低に位置づけられていることは感じていましたので、今回も、
「あぁ、やはり誰も娘のことを真剣に考えてくれていないのだな」と再認識したわけですが、もう2度とこの学校には心を許さないでおこうと思わずにはおれませんでした。
当てにしていた先生が来ず、ガッカリした娘。髄液漏れで脳の位置のずれたボケた頭(高次脳機能障害)で1年半分の理科と社会など一人でできるものではありません。
夏休み明けに、お気の毒にも支援学校の先生が担当教科外の理科と社会まで教えられることになり(授業時間数は変わらないので国語と数学の時間を減らして)、原籍校のサボりのしわ寄せは全てこちらに行ってしまったのです。
娘は、事故以来、何度も学校側の無関心に泣いてきましたが、ここで更に校長先生にも裏切られたという思いを持ってしまいました。
「やっぱり本南の先生、誰もきてくれなかったなぁ・・・」
ボソリとこう言って、先生不振が更に強まり気を落とす娘を見ながら、私は、言葉は悪いとは承知ですが、
「嘘つき校長!気持ちのこもらない約束などして、子供の心をこれ以上傷つけてくれるな!」
と、叫びたくなるのを(娘の前なので)辛うじて抑えたのでした。
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