続きです。
初めて校長室へ通される
2019年4月、教育委員会からの「特例」の対象となり、訪問授業を週2回受けるためには、所属を特別支援学校に移す必要があるという説明を受けました。
それから数日後に、在籍校から転校手続きを取るために来て欲しいという電話を受け、いそいそと徒歩1分の学校に向かいました。
職員室に挨拶に行くと、
「こちらへどうぞ」
と、今までその前を通り過ぎるだけで一度も入ったことのない部屋へ通されました。
迎え出たのは、学校長。
この学校へきて校長先生を見たのは入学式の時以来ですが、その時とは違う方に変わっていました。
校長先生は、とても心配されているご様子で娘の様子を尋ねられました。それから、具体的に特別養護学校に籍を移す手続きの説明です。
とても実直そうな方で、娘を全力でサポートしますと繰り返し言って下さるので、こちらとしては大変心強く感じた記憶があります。
「養護学校へ行かれてもそれは便宜的に籍を移すだけですので、困ったことがあればあなんでもご相談ください!」
そして、こうも言って下さったのです!これには心から感激しました‼
「特別支援学校の先生が夏休みにお休みされるような時には、この学校の教員を娘さんの所に行かせるようにします!その時はご遠慮なくおっしゃってください!」
と、こちらは何も頼んでいませんが、自発的に申し出て下さったのです!
週2回、1回2時間では、1年間の学習の空白を埋めながら、更に3年生の課題をこなしてゆくことは、その時の娘の状態では到底無理だと思っていました。なので、これは娘にとっては願ってもない誠に有難い申し出であったわけです!
私は、校長先生に丁重にお礼を言い、
「もしも、娘が訪問授業に耐えられる状態であるならば、夏休みは是非よろしくお願いします!」
ということで、気持ちよく校長室を後にしました。
家に帰る道すがら(徒歩1分ですが)、こう思ったのです。
「夏休みに色んな先生が来て下さって娘と関わりを持ち、訪問授業で扱いきれない科目を指導してもらえたら、ひょっとしたら受験まで実はなんとか追いつけるかも・・・」
そして、またこうも考えました。
「今まで1年以上放っておかれたし、さっきも校長先生の口からは一言も謝罪の言葉はなかったけれど、夏休みに学校全体で娘を応援してくれるのなら、こちらも学校に対して持つ複雑な感情も変化しそうだ…」
当時は、まだ3年生も始まったばかりでしたので、このような受験に対する希望的観測を抱いていたのです。
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何とか早く、勉強をできる状態にならないと・・・
そのためには、まずは、訪問授業を受けられる状態に持っていく事が必要であったので、何とか、休憩しながらも其の2時間は眠らないように、頭痛もコントロールするように工夫しました。
午後2時半まで眠り、3時からの授業を受けるというような状態でしたが、何とか2時間もつということがわかりました。体調がダメなときはキャンセルなどしましたが、後に福山の検査でわかったように髄液漏れを抱えながらも、本人の強い意志と、支援学級の先生の熱意で、授業が成立したのです。
その時期、授業を受ける事が大変な様子がここに記してあります。 まだ半年前のことですが、もう何年も前のような気がします。この間あまりにも多くの事がありました…
期待と不安の中での、見切り発車状態の訪問授業でしたが、それ以外の時間をほぼ睡眠と休養に充てるという、いびつな条件下で何とか続けていけそうな見通しが付いたのです。
今は娘に大変な負担をしいるけれど、夏までに少しずつ勉強ができるようにして、治療も並行して行い、そして、夏休みには、校長先生のお言葉に甘えて、原籍校の先生方のサポートをお願いできれば、形だけでも受験に間に合わせられるかもしれない、という淡く儚い夢を見ていたのでした。
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