Friendshipは船と港 ~藤田くらら 小6でTOEIC980点までの軌跡~

小学6年でTOEIC980点を取った女の子のお話。中学1年での、学校体育時の事故が原因で「脳脊髄液減少症」を発症。寝たきりから「復活」の兆しが…

「何の御用でしょうか?」~事故後2か月で「風化」(病で学校に行けない子供は「生徒」ではなくなるのですか?⑥)

 

 

学校にとって娘の事故は、大きくなって人の知るところになるには都合の悪いものだったのかもしれません。2017年2月末に発生して、2か月後の5月に入ろうとする頃には、すでに学校内では「風化」してしまった感があり、私達はこの大きな不幸の中に只一人取り残された気持ちになっていました。

 

学校に電話するのがもう嫌になってしまった

その間、こちらは入院治療を繰り返すごとに、「早期発見だったからすぐに治る…」という希望を何回も奪われ、「これは長期戦になるのかもしれない」という、不安と恐怖で頭が一杯になっていました。

そうこうするうちに、2年生1学期の中間テストが迫っています。この頃は、頭痛等ですでに勉強はできなくなっていたものの、まだ「学校の勉強についてゆきたい」という意志が私達にはありました。

そんな折、悩んで切羽詰まって学校の先生に相談しようと電話をかけましたら、この事故に最初から深く関わってられたある先生が電話を取られました。

こちらが藤田くららの母ですと名乗った後に返されたのが、感情のこもらないこの一言です。

「何の御用でしょうか?」

それだけです。一瞬待ちましたが、その後に「お母さん、その後どうなってますか?」や「くららさんの容態はどんな様子ですか?」などの言葉はありません。

このような、こちらが呆気にとられ、何とも取り付く島のないようなとぼけた返答をされるのです。

何回かこのような対応を受けると、流石に、「所詮、娘の容態などは他人ごとであり、もう学校事故の事はこの学校では終わっているのだな」、という現実を突きつけられ、電話をするのがものすごいストレスになってしまいました。

 

 

保健室の先生方の対応にも悲しい思いをしました

養護教諭とは、第一義として、病気を発症した生徒に対して「一番の理解者」であり、心身の弱った生徒を「護るべき立場」にある方々であると考えます。また、専門家として、医療のことはわからない学校長を始めとする教員に対し説明義務があり、病気の生徒に対する理解と配慮 を、保護者家庭に変わり申し出ることにより、生徒が安心して療養でき、復帰にまつわる困難を取り除くことをその職務とする、今回のような場合、私たちにとって非常に重要なポジションにおられる人達なのです。

ですので、以下は少々辛口になります。今まで出会った殆どの養護教諭の方達はそのようなご自分たちの重要な職務をわかっておられない節があり、意識の改善をお願いするべく書かせて頂きます。

 

娘の事故後しばらくは保健室へ何度も、電話をつないで頂いたのですが、こちらも同様に、「はい、何でしょうか?」で始まり、あちらから話されるのは専ら「保険の還付金」の手続きの話ばかりで、生徒の健康を預かる養護教諭でありながら、こちらが切り出すまでは娘の容態にはほとんど触れられません。(保険治療分の還付手続きは確かにお世話になりありがとうございました)

初期の頃から、娘がどんな状況になっているのか大して関心がないようで、娘がずっと欠席を続けていても何の問い合わせの連絡もありません。なので、このままでは完全に忘れ去られる‼」という危機感から、こちらから時々娘の状況を「ご報告」させて頂いておりました。

はい、何でしょうか?で終わるその「無関心」に、気持ちを挫かれながらも、「お忙しい所申し訳ございませんが、娘の現在の状況を報告させて頂きます」と、だんだん悪化する娘の状態を、悔しさのあまり涙をこらえて報告したものです。

 

こちらは必至で娘の看病をしているのに…

 極めつけが、5月の頃に、娘が低気圧でぐっと体調が悪くなった時のことです。私は、「とうとう、この症状が来てしまった!」と、真っ青になって、保健室に駆け込みました。

先生、頭痛だけでなく、低気圧で体調がひどく悪化しました。脳脊髄液減少症がやはり悪くなっています!

そうすると、保健の先生は、へらへら笑いながら、

お母さん、この季節は、体調の悪くなる子は外にも沢山いますから、心配のしすぎですよ~」と気楽に受け流されてしまったのです。

すでに何回も入院治療をして、頭痛に苦しみ過眠も出始めている子に対して、この程度の理解です。

つまりは、ただの、少し体調不良の「不登校児」と心配症な母親くらいの認識しか持たれていなかったのかと思わずにはいられませんでした。

私にとっては、かなり癇に障ることでしたが、それを呑み込み、一度家に引き返しました。が、布団の中でぐったりしている娘を見ると気持ちが抑えきれず、すぐに引き返して、この先生に申しました。

「先生、病気の生徒と学校の間を取り持つべき立場の養護教諭が、すでに「脳脊髄液減少症」と診断が出て、2か月も学校に行けずに苦しんでいる娘の病気のことについて何も調べず把握もされていないのでは、こちらは困ります!養護教諭である先生が、娘の「脳脊髄液減少症」の症状の事を何も知らず、危機感も持っておられないのなら、学校内の先生の誰一人として娘の病気や置かれている状況をを理解できる人がいないではないですか?」

こう言うと、はっとされて、悪かったと謝られたのですが、こちらは、「誰一人として真剣に娘の容態を心配をしてくれる人がいない」という学校内の状況を嫌でも思い知らされました。

定期試験に関しても、「保健室の身体を横臥姿勢に慣れる環境で、受けさせてもらえないか?」と、打診しても、そんな前例はありませんからねぇ…の一言を返されただけです。(この時担任の先生もおられたと思います)

頭を上げていられない娘が、何とか試験を受けられるような配慮を上に掛け合ってあげようという真剣な思いは感じられませんでした。(後に、直接管理職にこの話をすると可能だということでした。なぜ、窓口となる人間が、何も考えずに「前例がないから無理」と言ってしまうのか理解に苦しみました)

これらのやり取りは、全て廊下での「立ち話」で行われ、こちらが、事が事だけにきちんと話したいと思っても、最初の1回を除き、保健室内には入れてもらえない事にも違和感を持ちました。

 

 

 事務手続きよりも「娘」のことを心配するべきなのでは?

当時の様子はこんな感じだったので、学校からたまに電話があるのは、「保険金手続きが遅れている」とか、そういう事務手続きがらみの事のみで、娘の体調を心配したり様子を聞いたりするために電話を頂いたという記憶が残っておりません

確かに、先生方に3回の保険適用の入院のスポーツ振興会からの還付の手続きに関して、病院や振興会と連絡を取ったリして頂いたのは感謝すべき事ですが、終始肝心な「娘への視点」が欠如しておられたと感じます。

 

極端な言い方ですが、この方たちは、娘が生きてようが死んでいようがどうでもいいのだろうか?と感じることさえもありました。実際心は死んでいましたが…

 

どの方も、肝心の娘の事は放ったらかしで、仕事として定められた「保険金支払いの勘定を一円たりとも間違わないようにする事務作業」で失策を犯さないよう全精力を注いでおられる姿が実に滑稽でした。

 

(長期間経っており、細かい部分で若干の記憶違いがあるかもしれませんが、私がその時に受けた衝撃はこの文面が表すとおりです)

 

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