Friendshipは船と港 ~藤田くらら 小6でTOEIC980点までの軌跡~

小学6年でTOEIC980点を取った女の子のお話。中学1年での、学校体育時の事故が原因で「脳脊髄液減少症」を発症。寝たきりから「復活」の兆しが…

「あの中学校に戻るくらいならベランダから飛び降りる‼」

ブラッドパッチ15日目の娘の状態

今日も娘は午前10時半くらいに一度目を覚まし、カーテンを開けてからまた覚醒への準備の時間に入っていました。

結局、12時半まで寝たり起きたり半眠りの状態で、こちらが声をかけないとまだ起きなさそうだったので、娘にオーダーされた「豚バラ豚丼」を作りながらおいしそうな臭いで誘い、「吉本観ながら昼ご飯食べようか?」と呼び掛けると、やっと起きられたという顛末です。

やはり、バルーン効果(前記事参照)の期間が終わり、少し症状は戻っている気がします。食欲は少し落ちました。今は徐々に髄液を溜めている期間なのだと信じ、今日は「一喜一憂なし」です。

 

 


特別支援学校との別れが来るのか?

さて、ここからは、前々回の記事の続きです。 

娘の病と格闘し続け、その期間の時間感覚が無くなっていましたが、もう中3の11月となりました。今年の5月から半年間、娘の心と学力を支え続けて下さった特別支援と、別れなければいけない時が近づいているらしいのです。

それは、2か月ほど前の「子供病院」診察時の事。上の階にある院内学級のある先生が下りて来られてお話したところ、私達には「恐ろしい宣告」にも取れるこのような事をおっしゃったのです。

 

2学期が終わるくらいに、院内学級の子供たちは、皆原籍校に戻るのですよ。進路指導やら内申書やらは、こちらではできないですので…」

 

晴天の霹靂‼とはこの事です。こんな事、予想もしていませんでした。

この支援学校は、1年間以上何の勉強をすることが不可能で、完全に学校のペースから落ちこぼれてしまい、投げやりで自暴自棄になっていた娘を文字通り救ってくれたのです。

数学の先生と国語の先生が、ポートアイランドから片道1時間半ほどかけて、週2日の午後3時から5時まで娘と真摯に向き合って下さいました。(遠路はるばる申し訳ないので、先生が、ポートアイランドへ戻らなくていいように、授業終了時刻を5時とさせていただきました)

この方たちのお陰で、娘は、「中学生である自分」を取り戻し、笑顔が戻ったのです。

 

なので、この衝撃の宣言を聞いた帰宅後、娘が放った言った言葉は、これも衝撃的…

「あの中学に戻るくらいならベランダから飛び降りる」

というものでした。

 

「特別支援学校に残る」と言う選択肢

ここまで、激しく娘が拒絶するものを、無理に戻らせると言う選択肢は私のなかに当然ありません。

「どうしても、戻らなければならないのか?」と先生に聞いてみたのですが、先生のおっしゃるには、進路指導の問題の他に、

「原籍校に戻らないと、履歴書に「特別支援学校卒」と記載されてしまう事に抵抗があるご家庭が多いのです」

ということも言っておられました。

私はそんなこと、微塵の抵抗もないのですが、世間一般ではそうなのでしょうか?進学や就職に不利になるようなことがあるのでしょうか。

 

そのような疑問を、信頼できる人何人かにぶつけてみましたが、どなたも「特別支援学校卒でも全然大丈夫!」というご意見でホッとしました。

ですので、こちらは、親子とも、特別支援学校の生徒のまま中学を卒業することを望んでいるということをまずは伝えようと思います。進路云々はまた別の話です。

 

現在まだ「進路の指導」云々の状態ではないため、もう必要はないかもしれないのですが、「内申書」はどこが出先になる場合でも必要なのでしょうか?

何にも知らない自分に呆れます。

娘の希望する高校にはもう受験すらできないと悟った時点から、進路や受験には興味を失くし、娘の治療(とブログ)の方に全力投球していたため、進路の事は全く何も考えていませんでした。福山での改善がなければ、今でも進路の事など考えるどころではない状況だったのです。

 

それにしても、娘がここまで原籍校を拒絶するのには、私も納得できる理由があるのです。それは次回に、ということで… 

 

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