子供がこんな目にあって以来、「なぜ、私たちがこんなひどい目に遭わなければいけないのか」と、自問自答しかけては、まともに考えると気が狂いそうになるので意識を殺すようにして、いわば「精神的仮死状態」で、ずっと不条理な逆境に耐えてきた。
こちらの苦しみは募るばかりなのに、知らん顔の学校や加害者に忘れ去られようとした時に、死ぬ気で社会に向けて真実を問いかけ、見えない敵や病気と闘い続けてきた。
本来、社交的ではない地味な性格なので、このような生き方はかなり無理があり、とてもしんどい日々を送っている。違う自分を演じ続けなければならない状況はまだまだ続く。
身元を明かしたブログで、世間に周知することで、娘を守ろうとしているのだ。匿名ではないので自由度が限られ、数は少ないが心無いコメントに打ちのめされることもあり、本当に書き続けるのがしんどいと感じることもある。
もう飽きられてるかなぁと思いながら続けているが、書くことが義務になると苦痛になる質(たち)であるので、たまには、このように心中を吐き出したい。
真剣に心を寄せて下さる方々がいる一方、大半は興味本位の時間つぶしとして消費されるものであることも承知の上だ。ネットに載せるとはそういうものであるのだから。
でも、続けない事には、全てが終わってしまい、娘の蒙った理不尽な不幸は、確実に闇に葬り去られてしまう。それが一番恐ろしい。
私たちの身の上など比でないくらい悲惨な目に遭われても、世間から忘れ去られるのは時間の問題だ。
池袋の事故。「上級国民」とネットで呼ばれる元高級官僚の老人に命を奪われた母子と残された男性がいる。最近、その方が署名活動をされているのをテレビで見たが、この事件が、その後公正な処理をされているのなら、署名などする必要はなかろう。ご心中を察して余りある。
息子の闘病10年以上、そして今度は娘が、事故の被害者となり長引く病で未来設計図をぐちゃぐちゃにされてしまっているという危機的状況。
誰が見ても哀れな母親となっている私は、「子供さんのためによく頑張ってられる」と言われるが、心は凍り付いたように、何事にも動かされることはない。
実際、自分が生きているという喜びなど、心から感じることは皆無だ。子供達の苦しみは私の心の鏡に直接反映され増幅されている。生きているとすれば、苦しみを生きているといえるかもしれないが、そこには「生きる」ことの何の感慨も達成感もない。
子供達が、言いようのない苦しみの中に置かれ続ける限り、私の心も悶え苦しむ。このような親業の煉獄の中にもう10年以上置かれているのだ。
いつまで続くのだろう・・・終わりはあるのだろうか?
子供2人の心身が健康な状態に戻って、笑顔で人生を送れるようになれることだけしか眼中にない。それ以外のことは、何の興味も関心も持てず、ほんとうにどうでもいい。
何かの拍子で明日この世を去っても何の未練もない・・・
哀れな子供達の事以外は
現在末期癌で余生が徐々に短くなっている母が、8月31日で86歳になるのに、まだ「死」を受け入れられず、生きたいという気持ちで一杯なのだが、見ていて、替われるものなら替わってやりたいといつも思ってしまう・・・
哀れな子供達がいなければの話だが
直接的ではないが、結果的に子供を守ってやれず、2人ともに辛い人生を背負わす結果となってしまったことが親として慙愧に堪えないのだ。
最近は、自分が自分であることの実感がなくなっている。これは鬱の症状であろう。 ひどいときは、数日鏡をろくに見ることもない。髪の毛も、3年間伸ばしっぱなしだ。栄養状態が悪いのか、抜け毛が多く、ある一定の長さ以上に伸びる事はない。
先日、自分の頭を上から写して驚いて我に返った。もう若くないので白髪とかどうでもよかったのだが、客観的に見て、こんな白髪の混じり具合の人がいたら、2度見するレベルだ。
存在を消していたいのに、こんな頭で外にでたら、意に反して人目を引いてしまう。「このひと、一体どうしたのだろう?」とか思われる。浮浪者のレベルだ。
一気に真っ白になれば、それはそれで独創的だと思うが、こんな汚いグラデーションはどこへ行っても歓迎されない。
部位的には、左側頭部に集中。左脳を使いすぎて血流が悪くなっているのだろう。左脳は勉強脳。疲労で蕁麻疹がでるほど徹夜でブログを書いていた時期があったから、文章脳の左脳が使い倒されて虚血状態?になった結果である。まぁ、もともとストレスフルな毎日による鬱で脳血流が慢性的に悪いということもベースにあるとは思うが。
私が憧れるのは右脳を使える人。でも現実は、左脳で生きて左脳を使いすぎて死んでゆくという、発想の豊かさも独創性もないショボい人生である。
マイナス思考がぐるぐる回る。娘は、昨日も今日もひどい頭痛で絶不調だ。