京都で盆休みを過ごすことになったものの、大型台風通過やら、さきほどの俄な大雨などで、基本昼過ぎまで起きられない娘であるが、昨夜は良い兆候が見られた。
場所は、「来来亭」長岡京店。京都に戻るたびに、ここの背油醤油ラーメンが懐かしくてよく足を運んでいるが、娘は事故後発症した脳脊髄液減少症による胃腸症状悪化のためにラーメンなど到底無理である。これまで一緒に来ることは全くなかった。いつも一人でお留守番で可哀そうなのではあるが、脳内に蘇る背油醤油の風味に抗えず、置き去りにして家族や親せきと食べに行っていた。
それが、昨日は「なんか、ラーメンが食べたいなぁ」と、聞きなれないことを言うではないか?「本当に食べたいの?お腹痛くならない?」と確認して、皆で相談の結果、私の一存で来来亭に決めた。
近辺には、京都の名産九条ネギを入れ放題の「横綱」を始めとし、星の数ほどのラーメン店がひしめいているのであるが、私が心惹かれるのは、やはり「来来亭」である。
ここのラーメン、目立った特徴はないのであるが、チャーシューの煮込み具合や、背油加減やが絶妙であるし、何と言っても、醤油の味が飽きがこない。しつこくないのに飽きがこない。そうしてその味は「脳内麻薬」のようにしっかりと脳みそに沁み込み記憶されるのである。
また、注文時に、オーダーメイド感を持たせてもらえる下の画像のような選択肢があるのも嬉しい。
今、ふと疑念が頭をよぎった。
以前、台湾のおいしい屋台を観察していたら、結構な量の「味の素」をおたまでガバッとすくってスープの中に放り込んでいたので、驚いたのだが、来来亭の麻薬のように残る美味しいスープもやはり味の素なのだろうか?
そう思ってネットで軽く調べてみると、ここに限らず「超美味しい」といわれるラーメン店の多くが、自前のベースに味の素を加えて絶妙の味を出しているらしく、こんな疑問は野暮だとわかったのでこれ以上は追及しない。
娘の食べたのは、「一押し」と書いてあるラーメンのお子様用(小)である。
食べたいという気持ちは強いのだろうが、どうせいつものように食べきれず残すだろうと思い、私もラーメン(小)にして、食べ残し処理のために胃袋を待機させていたのだが、なんと見る間に食べてしまった!スープは少し残したものの、空になったラーメンの器を眺めるのは感慨ひとしおであった・・・
8月18日午後8時台。娘のラッキーナンバーの「8」の沢山ついている、記念すべき夕食となった。
娘は完食できることを予感したのかもしれない。珍しく、食べる前に撮影をしていた。
食欲が少し出ている理由は、いくつか思い当たるが、何と言っても京都で盆休みを過ごしたことで、神戸の負のしがらみから解放され、心が軽くなっていることが大きいように思う。
京都暮らしが1週間に及ぶとはっきりしてきた事がある。
何も悪いことはしていない正真正銘の被害者の立場であるのだが、なんだか神戸に存在していること自体が、ものすごいストレスになっているようなのだと。かく言う私も、京都の空気を吸うとかなりほっこりするのだから、ましてや当人の感覚は遥かにその上を行くものだと察して然りだろう。
これは、学校事故等の被害者になった人にしかわからない身体感覚を含む心情の在り方だと思う。娘の現在の問題の一つである、「メンタル面の問題」も、そもそもの問題の発端となった土地から離れることで軽減はされるかもしれない。
でも私は、ある意味、かつては娘の在り方を「良いほう」に変えてくれもした「神戸」を、逃げるように出ていくのは絶対に嫌なのだ。
思い起こせば一瞬で、神戸での悲喜こもごもの実に密度の高いディープな出来事の数々が私の脳裏を去来する。私は終始「汚れ役」でもいいのであるが、どのようにすれば、娘にとって最後は明るく良い思い出で締めくくれるものかと、京都に戻る度にいつも思案に暮れている。