英検2次試験面接についての前回の続きです。
スカイプ授業で、2コマ1時間でも外国人の先生と途切れなくディスカッションできていた娘は、英検2級の2次面接試験で「危うく不合格になるか!」、というぎりぎりの点数をつけられたのです。それに関して、まずは英検側が、年少の受験者への問題カードの選定における配慮の必要性を感じたことを前回で述べました。
面接官の存在する意味
そして更に思うのですが、もしもこの面接官の男性が、機転を利かすことのできる能力と人格を持っていれば、このような事態は防げ得るものだと感じます。
この方が、こんな小さい子には理解不能なカードを選んだかどうかは全く知らないのですが、もしこのような、小さな受験者にとっては、まさに「ジョーカー」のようなカードが当たってしまったと気づいた場合、「英検2級受験者の会話能力の合否の判定をするほどの英語力を持った人間」ならば、もう少し違った対応を見せられないでしょうか?
自分が担当責任を負う受験者の小さな子供が、「クレジットカード」や「ネットショッピング」が何のことかわからなくて、英語は上手いのに頓珍漢な答えをしていたとしたなら、それ以外で、その子の本来の能力が引き出せるような問いかけができなかったのでしょうか?
特に、最後の2問などでは、最初の定型の質問に続く自由な会話の中で、違った形での問いかけを臨機応変にできるというのが本来の面接官の仕事なのだと思います。仮に、そのような、気遣いができていたなら、あのような数字が成績表に並んだとは考えられません。
本来、面接カードというものは、受験者と面接官との間の議論の場を設定するツールとしての役割を果たすものですが、娘の場合は、全くその機能を果たさず、「議論の場」が成り立たない状態で、わけもなく怖い顔をしたオジサンの冷たい視線の前で試験時間を耐えることになりました。
一方、英検の準1級や特に1級では、自分の得意な方向、知っている方向に話題を持っていくような「話題のコントロール」が受験者側にある程度可能で、面接官からの質問も、それに合わせて臨機応変であります。
それ故に、英語を話すことにおいての対応力も含め、総合的でありのままの会話能力がさらけ出されることになります。
しかし、おそらく2級の娘の面接では、面接官は紙に書いてあるお決まりの質問文を一度読んだだけで、相手がどんな困った反応を見せようが、知らん顔で終わりだったのでしょう。
そのような時、仮に、面接官としての英語能力的な対応能力がないのであれば、できる範囲で気持ちだけでも表してほしかったものです。
普通の大人なら、こんなカードが当たってしまった子供に対して「あぁ、ちゃんと上手に話せる子なのに可哀そうに・・・」と少しは気の毒に思い、笑顔までとは言いませんが、「運悪かったけど、ガンバレ!」というような雰囲気が伝わるような・・・やはり、スマイルですね。への字の口角を上向きにするとか、ポーカーフェイスのような無表情ををやめるとか、優しい気持ちの人間なら、言葉以外で伝えられるメッセージがあります。
息子の時の面接官は、たどたどしく話す息子に対し、笑顔で迎え笑顔で送り出してくれました。「緊張しないで、気楽に話して!」という空気を作ってくれていました。
一方、娘はこのように、運悪く終始、「笑顔無し、愛想なし」の面接官に当たってしまい、もともと感じていなかった緊張感漂う場を作り出され、最終的に、ハッピーとは言えない記憶を子供心に残してしまいました。
まさに、問題カードと面接官で、ジョーカーを2枚続けて引いてしまったような大惨事の面接だったと言えます。
結局、英検3級から1級までの面接結果で、この2級だけが飛びぬけて悪く、後は満点に近い結果でした。特に、1級では、「子供ということでハンデを受けない対応をしてもらえた」という意味で、この英語運用能力試験の平等性と客観性を持ちうるものであったと思いますが、たまたまダブルジョーカーを引かなかっただけでしょうか・・・
面接結果の数字が示すもの
辛うじて合格しましたが、「黒歴史」といえるほどの本当にひどい点数でした。これは娘の英語運用能力を表す数値では断じてありませんでした。合格すれすれとも言ってよいものです。
それでも、合格できたのは、この面接官には娘の本来の会話力がわかっていたはずで、不合格にすることは流石にできないけれど、
この、自分より英語が使える小生意気なちびが、大人向けのトピックにしどろもどろになり、自信を無くす姿を冷淡に眺め、激辛の点をつけてやることで、自分の中の何かを満足させたかった・・・
という面接官の心中の個人的ストーリーが透けて見えるのは私だけでしょうか?直感的にそう読んでしまいました。
娘の英検受験最後となった英検1級の面接のトピックは、この時より遥かに簡単なものでした。直後に娘に「どんな答えをしたの?」と聞いたら、内容的には大して深いものではなく、日常会話の域を出ないような返答でしたが、澱むことなく自分の考えを述べられたそうです。
面接官は興味を持って(持ってるようなそぶりをしてくれた?)質問をしてくれ、和やかな雰囲気のうちにたくさん会話ができたということです。
そうして、娘の最後の英検の花道を「Good Luck!」と笑顔で送り出して下さいました。
送られてきた個人成績表の数字やコメントは、娘の成長を傍で見てきた私の印象と完全に一致するもので、評価欄に並んでいる数字の一つ一つは、娘の英語人生を雄弁にかつ愛情に満ちて語り、娘の小さい頃からの成長を走馬灯のように写し出している、私にとっては、とても、とても味わい深いものでありました。
英検を頑張ってられる方にはわかって頂けると思いますが、「人生における1つの大きな 完結 」に立ち会うことができ感無量でした。
終わりよければすべてよし! です。
以上、娘の体験をもとに私見を述べさせていただきました。
今後は良くも悪くも、英検が入試に大きく関わる事になり、受験する子供達にとってその結果の重みが、今までとは格段に違います。面接官やカードによる結果の差異が出ないような企業努力を日本英語検定協会にお願いしたいと思います。
受験者の皆さん、明日からの面接、もし当たりが悪くても「想定内」ということで頑張ってください!(^^)!