先月より始まった訪問授業により、1年3か月ぶりに国語の教科書を開いた娘。
今月から始まった古文と漢文、そして太宰治は人生初めて触れる世界だ。
今日はその2回目である。
太宰を知らずして青春とは呼べない
やはり、「走れメロス」が来るか。しかし、中2の国語でこれを読んだのを最後に太宰を終わらせるのは人生の大きな損失であると断言する。メロスにおける信頼と友情、遺書?ともいわれる人間失格、斜陽のデカダンス、はさておいて、太宰の別の才能が発揮されている珠玉の小品が沢山ある。「女生徒」「畜犬談」「右大臣実朝」「駆け込み訴え」などを読まずして太宰を語ること勿れ。
読んだのは数十年前のためストーリーは、細かくは覚えていないが、自身、多感な時期に、大変面白く感じ、引き込まれた作家で、全集もほとんど読破した記憶がある。
太宰治、本名津島修治自身は清々しいほどのダメ人間で、この人間の人生を知れば知るほどその弱さが癖になるというか、愛おしくなる存在なのである。特に女性にとっては。
以下は、映画「人間失格―太宰治と3人の女たち」の、太宰の愛した(同時進行で・・・)
三人の女性。妻、津島美知子(宮沢りえ)、太田静子(沢尻エリカ)、山崎富栄(二階堂ふみ)
こんな女性たちに囲まれていたら、破天荒な生き方であっても、人生を総括すると悪くはないかもしれない。女性の側からすればたまったものではないが・・・
太宰の私生活のそれはそれとして、自意識過剰で悩み多い思春期には、多くの若者が太宰を通過して大人になってゆくというのは今でもそうなのだろうか?
走れメロスは飲んだくれだった?
「走れメロス」は、「駆け込み訴え」のように、西洋古典に題材を求めたものである。(駆け込み訴えは、聖書から。ユダの一人語りで構成されている作品である)
調べてみると、太宰はドイツの文豪シラーの『人質』から「走れメロス」の着想を得たらしい。そのシラーは、古代ローマの著作家ヒュギーヌスの名で伝わる『神話伝説集』を参照して書いた。
また、それとは別に、こんなに面白い逸話もある。
中学の授業で『走れメロス』を読まされ、これが、友情と信頼という人間の美しい心情をを描いた美しい作品だと信じている中学生に、作品の発端と言われるなった、いかにも太宰らしい下記の出来事をつきつけたらどんな顔をするか見ものである。
懇意にしていた熱海の村上旅館に太宰が入り浸って、いつまでも戻らないので、妻が「きっと良くない生活をしているのでは……」と心配し、太宰の友人である檀一雄に「様子を見て来て欲しい」と依頼した。
往復の交通費と宿代等を持たされ、熱海を訪れた檀を、太宰は大歓迎する。檀を引き止めて連日飲み歩き、とうとう預かってきた金を全て使い切ってしまった。
飲み代や宿代も溜まってきたところで太宰は、檀に宿の人質(宿賃のかたに身代わりになって宿にとどまる事)となって待っていてくれと説得し、東京にいる井伏鱒二のところに借金をしに行ってしまう。
数日待ってもいっこうに音沙汰もない太宰にしびれを切らした檀が、宿屋と飲み屋に支払いを待ってもらい、井伏のもとに駆けつけると、二人はのん気に将棋を指していた。
太宰は今まで散々面倒をかけてきた井伏に、借金の申し出のタイミングがつかめずにいたのであるが、激怒しかけた檀に太宰は「待つ身が辛いかね。待たせる身が辛いかね。」 と言ったという。
後日、発表された『走れメロス』を読んだ檀は「おそらく私達の熱海行が少なくもその重要な心情の発端になっていはしないかと考えた」と『小説 太宰治』に書き残している。
引用:Wikipedia 「走れメロス」
(太字はブログ筆者)
今日6月19日は桜桃忌
太宰のファンのことは、「ダザイスト」と呼ばれ、太宰を偲ぶ日の事を「桜桃忌」といい、俳句の「夏」の季語にもなっている有名な日である。この日は太宰が玉川上水で入水自殺を図った日ではなく、遺体が上がった6月19日であり、奇しくも太宰の誕生日でもあった。毎年この日に、太宰の墓のある三鷹市の禅林寺で法要が行われ、全国から多くのファンが集う。
今日である。太宰の誕生日である6月19日。
久々に太宰の短編集を読んでみたい気分である。
娘には太宰の「滅びの美学」がわかるだろうか
娘の脳が正常に戻ったら、いつの日か、太宰全集をそっと部屋において、ネットWi-Fiをのことはしばし忘れて、耽読する時間を作って欲しいと思っている。
心が弱っている今のその後は、人間失格と斜陽はまだ除外したほうがよかろうか・・・
しかし、今一番記憶に残っているパッセージといえば、「斜陽」の冒頭のこの部分なのである。
朝、食堂でスウプを一さじ、すっと吸ってお母さまが、
「あ」
と幽 かな叫び声をお挙げになった。
「髪の毛?」
スウプに何か、イヤなものでも入っていたのかしら、と思った。
「いいえ」
お母さまは、何事も無かったように、またひらりと一さじ、スウプをお口に流し込み、すましてお顔を横に向け、お勝手の窓の、満開の山桜に視線を送り、そうしてお顔を横に向けたまま、またひらりと一さじ、スウプを小さなお唇のあいだに滑り込ませた。太宰治「斜陽」
あまりにも有名な太宰治『斜陽』の冒頭である。実家の津島家をイメージした、没落していく旧家を描いた作品で、太宰は「チェーホフの『桜の園』の日本版を書きたい」として出来上がった作品である。
「かずこ」は太宰の愛人の一人である太田静子(映画では沢尻)をモデルとし、作品全体に太田静子の日記を参考にしているという。太田静子なくしてはこの作品は生まれなかったのだから、日本文学史上、重要な女性であったわけだ。
また、主要人物4人に年代別の太宰自身を投影してゆくということで、太宰の人生や人となりを知る上でも興味深い私小説と言える。
翳りゆくもの、滅びゆくものの美しさが全篇を通じてたゆたっている太宰の美学を象徴している。
因みに、この「スウプ」は、グリンピイスを裏ごししたスープなのであるが、主人公の1人である「かず子」が、本物の貴族のノーブルさを備えた母親の、上品で軽やかな食事姿に娘ながらに感嘆するシーンをうまく演出している。
大昔に読んだ当時は、まるで違う人種を見るようで頗る新鮮であった。こんな美しい所作ができる女性は時代的にも階層的にももう絶滅品種ではなかろうか・・・
神戸には文学作品集は何も持ってきていないが、今は、何処でも読める「青空文庫」もある。
私も失われた記憶のピースを再度埋め込んで、太宰の享年を遥かに超えたこの歳だからこそ、辛い事ばかりの今だからこそ、味わえる読後感を得ようかと考えている。若い頃に読んだ時より成長した自分が見えるであろうか?
はたまた、少し修羅場の多かった人生を経て感性が鈍麻し、十代のガラスのような尖った感覚を失った齢〇十代の今は、38歳でこの世を去った「太宰」が生前感じていた、「生きるという事の苦しさ」を感じることができなくなっているかもしれない。
かといって、太宰に共感し自分を投影していたあの頃の、狂気とは紙一重の、今とはまた違った苦しい日々にはもう戻る気はないが...
太宰の来訪
今日の午後は、娘の訪問授業の日で「走れメロスの作者」太宰との遭遇の記念すべきひと時となる。桜桃忌に太宰を初めて読むというのは只の偶然とは思えず、太宰が娘のところに病気見舞いにきてくれたような気がしないでもない。
娘といえば、昨日も頭痛がひどくてなかなか寝つけないようであった。現在も少なからぬ人の手を借りて回復への手立ては模索しているが、社会復帰まではまだ遠く感じる。
何としてでも健康を取り戻し、メロスとは趣向の異なる「弱くてひょうきんでナルシストで狂気をはらんだ太宰おじさん」の作品群と出会える日が一日も早く来ることを願ってやまない。
最期に、現在の私達に光を感じさせてくれる太宰の名言を置いておく。
人間は、しばしば希望にあざむかれるが、しかし、また、「絶望」という観念にも同様にあざむかれる事がある
太宰治
太宰に話が及んで、つい長々と書いてしまった。どうせなら少しでも早くと思い、桜桃忌の朝一番に、いつになく早起きをして投稿する。