Friendshipは船と港 ~藤田くらら 小6でTOEIC980点までの軌跡~

小学6年でTOEIC980点を取った女の子のお話。中学1年での、学校体育時の事故が原因で「脳脊髄液減少症」を発症。寝たきりから「復活」の兆しが…

娘の後悔 ~「遅れる勇気」を持てなかったあの時…

大学受験のゴールが近づくと共に今の自分の限界が見えてきた感のある娘です。

 

「もうこれ以上は無理かな…

 

娘は、体調の許す限界まで頑張ってきたのですが、ここにきてもう自分自身で諦めているようにも見えます。

 

SAT(全米大学受験共通試験)の数学の点数が頭打ちとなりちょっと凹み気味です。

 

SATは英語は恐ろしく難しいと言われていますが、数学の方は(普通の日本人にとっては)実際の所それほどのものではないのです。

日本の高校数学を履修してそこまで苦手意識がなければ、人によっては満点も取れるというレベルのものと言われています。

が、色々訳ありの娘に関してはそれが思ったように伸びずもう時間切れとなってしまいそう瀬戸際になってしまいました。

 

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やはり「時間」が足りなかった

 

思えば中学校では「これからどの教科ももいよいよ本格的になる」という1年の2月に事故に遭いその後2年間、文字通り廃人のようになってしまいました。

 

国語も古文も漢文も歴史も地理も地学も化学も物理も生物も、未履修のものがほとんどで受験に繋がる知識は全く学ぶことができませんでした。

 

特に数学・・・もしも娘が普通に学校に行けていたら、最終的には神戸の進学校を目指していたでしょうから、進学塾で滅茶苦茶に勉強してかなり難易度の高いレベルまで深められていた事だろうと思います。

 

しかし、あんなことになって中2は睡魔と脳機能の低下により勉強どころではなく完全にゼロ。中3も訪問授業を年間に2科目で合計30時間(?!)ほど来ていただいた以外はやはり何もできませんでした。

 

中3の11月に受けた福山でのブラッドパッチまでは、まさか高校進学ができるとは思えるような様相ではなく、年が明けて睡眠障害の長期入院治療で、最後の最後3月になってやっと進学を決意できたのです。

 

すなわち、高校入学時には、ほぼ小学校卒業レベルの学力と知識しかないまま、馴染みのないアメリカ式のカリキュラムが行われている高校に途中編入するしかありませんでした。

 

日本でも難関大学を目指す人達は中学校受験を始める小学校4年生ころからそのモードに入り、大学入試まで中高の6年間をかけて万全の準備をするものです。

 

日本に比べて楽だと言われる海外の大学入試ですが、実際のところ、やはり上を目指す子供たちは、やはり中高の6年間(中学2年間、高校4年間)で万全の準備をしているのだとわかりました。

 

成績の他に学業や部活・特技における表彰歴、スピーチコンテストや生徒会活動など色んな要素が加味されるのですが、中でも度肝を抜かれたのは、ある海外進学予備校の無料ZOOMセミナーの中で、難関校を狙う生徒は、SATなど3年生に入る前にとうに終了していて余裕があるため、高校在学中から大学の研究室やその他研究機関等に自分を売り込みに行ってそこの研究チームに混ぜてもらい専門分野の勉強を始めていると知った事です。(⇐これが入試に物凄く有利だそう)

 

1人や2人ではありません。現に娘のアメリカ人の友人にも試しに聞いてみると、彼も既に大学の理系の研究室にお邪魔しているそうなのです。

(本当に賢すぎて知的好奇心が嵩じてそうしているのか、はたまた大学入試の為のパフォーマンスの部分が大なのか御本人に聞く訳にもいかず…とにかく自己アピールとしてはポピュラーなようで、お試しzoom説明会でも勧められましたがこちらはポカンとしていました💦)

 

こんなのはまさに未知の世界であったのですが・・・仮に知っていたとしても娘にはそんな余裕はなかったため知らないでここまで来てよかったと感じています。

 

なので、せめて試験の点数だけでも大きく評価されるものが欲しいところなのですが、それも頭打ちとなってしまい、悲しいですがこれが今の娘のベストだと本人も私も認識しているという状況なのです。

 

そこで、娘がちらっとこぼしたことですが。。。

 

「入学の時に1年遅らせて、高校の1年生(日本では中3の学年)から始めればよかったかも・・・」

 

もしそうしていたら、数学も代数のⅠから始めることができ、それまでのブランクをゆっくりと取り戻すことができ、SATの試験の演習も授業の中でたくさんできてもっともっと点数が取れていたことでしょう。

 

確かに、入学前に、教務の先生からも「2年もブランクがあるのだから一学年戻って始めてもいいのですよ」と打診されたことがあったのです。

 

でも、その時は遅れを取り戻したい一心で、事実上の留年をすることなど一顧だにすることはありませんでした。

 

今現在、よく考えてみると、あの時点ですでに世間の同世代から遥かかなたに遅れてしまっていたのだから、そこで開き直ってじっくりと無理のないペースで進んで、もっと準備をしっかりできた状態で大学入試を迎えさせてやったほうがよかったのかもしれないと思うのです。

 

今年度のSATの初めての試験も夏期講習も学年が下の生徒と一緒に受けました。

同学年の生徒さん達は、昨年から受け続けて結果をある程度揃えて、今夏からは入試の為の志望動機やエッセイを書いているくらいの段取りが普通のようです。

 

そして何よりも入試に必要な数学の範囲を1年や2年生のうちに終えて、2年、3年の1~2年間をじっくりと受験対策しながら、高校の単位も早々に取り終え、2、3年でポイントの高いAP科目(大学範囲の科目)を履修してGPA(評定平均)も爆上がりさせるという、これが真剣に大学入試を目指す生徒の標準形なのです。

 

考えて見れば、本国アメリカでも欧州でも日本のインターでもこんな感じのカリキュラムで、6年間でみっちり知識をつけて大学入試の準備をするところを、娘は途中から3年間だけでそれも、小学生並みの学力から始めて、それも半病人のような有様で・・・こんなのちょっと考えてみたら可能なわけがありません…‼😭

 

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今から留年か浪人する?

その無理のしわ寄せが日々露呈しつつある今日この頃、一度こう尋ねてみました。

 

「もし悔いが残りそうなら、あと一年、留年か浪人する気があればしてもいいんやけど…」

 

娘は一言、「それはいやや!」

 

何故かと言うと、お金もかかるし、それにこんなしんどい生活があと1年も続くのは耐えられないからだそうです。

 

やはり入学のあの時が「遅れること(留年)を受け入れられる」唯一のチャンスでした…

 

でも、よくよく思い出してみると、あの頃はまさか娘が体調不良により退学もせずここまで続けてこられる可能性などないに等しいと考えていたため、留年をして4年かかって卒業などという気の遠くなるようなことは考える余裕がなかったです。

 

もしも、あの入学の時点で脳脊髄液減少症が完治しているという状況であったならば・・・

一年学年を落としての再出発を真剣に検討すべきであって、そのほうが悔いのない大学受験が迎えられたことと考えます。

 

 

ここまでくれば中途半端な準備で受験をするしかないですが、現状でご縁のあるところが娘にとっての一番の学校といういつもの楽観思考は常に頭の中に置いています。

 

それにしても、そんなあまりにも不可能なことをこの3年間続けてきたのだと思うと、娘、体調の事も周りにあまり理解されていない中、よく頑張ってきて本当にえらいなぁと、我が子ながら敬意の籠った目で眺めずにはおれません。

 

学校の課題はこの期に及んでも鬼のような量の科目もあり、週末と言えども受験勉強そっちのけで成績を落とさないよう必死にこなしています。(一緒に取っている下級生は余裕でしょうが、こっちは受験間際なのに〜😭)

 

それでも娘の部屋から時々鼻歌が聞こえてくるのは、かつてあの修羅場を経験をした人間ならではの余裕…?🤔

精神衛生上は大きな安心材料ではあることは確かです。

 

 

 

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